1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

全部が流行現象だったんじゃないか?

2022-08-27 20:22:00 | 日記
「既成概念への反発」とか「反権力」とか、父がやっていたようなことは、今考えたら、いずれも、当時流行していた、ってだけのことだったかもしれません。
ひとつ前の記事で言及した『キャプテン・ファンタスティック』のお父さんも、カウンターカルチャーばんざい、とばかりにサイケデリック模様の服を着ていました。お金が大事なんじゃない、思想や芸術や、個人の自由が大切なんだ! フリーダム! ラブ&ピース!
でも、そういう考え方も「ただの流行」で括れてしまうなーと思うと、なんとなく空しくなります。

資本家に搾取されて生きるのは厭だ!と労働組合運動をやったり、すべての人は平等でなければならない、と共産主義にかぶれたり、というのも「個人の自由」。やりたい人はやればよかった。学生運動なんかも時代の必然だったのだろうし、革命や革新を夢見ることは決して悪いことではなかったと思います。

しかし、父なんかは、リベラル風の言動をしている割には、自分の子供にはなんらの自由も与えず「抑圧」していて、子供の人権は無視だった。これはまるで、「すべての共産主義国家は、トップが専制君主化して、失敗に終わる」という現象そっくりです。  

イデオロギー極端化の失敗、その「残滓(残りかす)」がわたし? 極端な考え方に振り回されて、そのせいで社会から孤立させられたあげく、流行が終わってポイ?

これでは自尊心の持ちようがありません。しょんぼり。



思想も、芸術も、ファッション同様、ただの流行現象である。——こんなこと、当たり前の話なのかもしれません。
でも、渦中にいると全然気がつかないんですよね。当事者は「オリジナリティがある!」と思ってやっている。

もちろん、流行と無関係ではないにせよ、時を経ても「すごい! 面白い!」と心から思えるタイムレスな芸術はあります。そういうのは別格。…でも、大抵の芸術や思想は、次の新しい「流派」の大波が来れば、オワコンとして押し流されてしまうものでしかないのかもしれません。

政治的イデオロギーにだって流行はあります。今はもう右翼だ左翼だと喧嘩するような時代ではなく(いまだそんなことやっている人たちもいるにはいますが)、もっとややこしくなっています。サブカルみたいなものは、ミニ政党に呑み込まれ利用されている感があります。
80年代にサブカルやってた文化人たちは引っ込みつかずリベラル姿勢を取り続けるのでしょうが、その間にも世の中は滅茶苦茶なことになっていっています。