1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

いじめフリー素材

2022-08-28 22:09:00 | 日記
ピーター・ガブリエルの”Not One of Us”という曲をのちに聴いたわたしは、「小学生の時の自分は、まさにこう思われたんだな」と理解しました。(「自分たちの仲間じゃない」という。)人は、集団の中に自分たちとは違う異分子を発見すると、ボコボコにいじめるものです。
鉛筆削り器ではなくナイフで汚く手削りした鉛筆を、キャラクターもついていない昭和初期みたいな筆箱に詰めこんで持ってきてる、って時点で、もう「獲物発見!」となるに決まっている。そんなの当たり前というものです。
変わった点は鉛筆だけでなく、「自転車に乗れない・持ってない」「おもちゃを一切持ってない」「アニメの話が通じない」「健康保険に入っていない」(保険証のコピーを貼付してくださいというプリントが学校で配られるといつも、「健康保険には加入していません」と母が当該スペースに手書きで書いたのを持たされました。うちは保険類には入らない主義だったのです)などなど…もう、いじめたくなる要素が満天のきら星のごとく、いじめっ子たちに向かってチカチカ点滅しまくっています。これでいじめない方がおかしい、というものです。

おまけに、うちの親はPTA活動をバカにして全部ガン無視、一切関わりを持ちませんでしたから、小学生たちにしてみたら、わたしは「チクられない」絶好のいじめターゲットでした。普通なら、他のお母さんから「あなたんちの子、いじめられてるわよ」などと耳打ちされたりしそうですが、うちの母は24時間父の世話をするのに専念しており、親同士の交流なんかまったくしませんでした。
また、うちの両親は運動会などの学校行事に来るということも、一度もありませんでした。
親が出てくる恐れがないなら、これはもう、わたしは、自由にいじめていい「フリー素材」みたいなものです。

小学生にしては結構すごい内容のいじめだったと思いますが、それに関しては、くだらないのでここでは省略します。
わたしにとっては、学校でのいじめより家庭での虐待の方が、よりバイオレンス度が高く辛かった、というのもあり、わたしはいじめられてもいじめられても、それでも家よりはマシ、と毎日一生懸命、バカみたいに小学校に通っていました。

親が絶対に文句を言ってこないと知れわたると、子供からいじめられるだけでなく、なんと、先生にもつけこまれます。
小学校3、4年の時の担任は、当時のわたしから見て「おばあちゃん先生」(といっても今のわたしぐらいだったのでしょう苦笑)で、学校図書館なんとか協会みたいなものの要職?についている人でした。
わたしは、本しか娯楽がなかったため読み書き作文は得意な子でした。だから説得力があるヤラセ要員だと思われたのか、わたしはある日の放課後、おばあちゃん先生に呼び出され、誰もいない部屋でマンツーマンで向き合って座らせられました。
「先生が言うとおり書いて。」
そう言われてわたしは、原稿用紙に口述筆記させられました。
「『へそは茶なんかわかさない』を読んで。三年一組 城南」
それは読書感想文のでっち上げでした。(本のタイトルはフィクションにしてあります。半世紀近く前の出来事でとっくに時効だろうけれど、悪事は悪事なので。)

先生が言うとおりに口述筆記した「わたしの」読書感想文は、読書感想文コンクールの東京都代表作品に選ばれました。 
自分の意志とは関係なく、やらせアクターにされてしまったわたしは、双肩に罪の意識がのしかかるのを感じました。当然、そんなやらせ事件のことを「芸術至上主義で、嘘が嫌いで、自分の頭で考えろ主義」の父になんか恐ろしくて言えるはずもありませんでした。(チョー悪おばあちゃん担任の読みは大当たり、企ては大成功だったわけです。)
もちろん、わたしは他の誰にもこのことを告白できませんでした。やらせアクターとして、学校の校内放送で「東京都代表の感想文」を朗読しながら、わたしはしかし、心の中で(ここのところの言い回しはババくさくて小学生が書いた感じじゃないんだけどなあ…)などと密かにダメ出ししていた——そんなことを覚えています。

親が子供を守らないと、子供は「身元不明人」なみに、どんどん利用されてしまう、というお話でした。