無駄な独り言を言いながら、生を終えます

あまり閲覧されないことをむしろ望む、変なブログです。

あと4日とちょっとの命

2024-10-26 11:10:00 | 日記
グーテンモルゲン。今チューリヒのホテルで一人、朝食を食べ終わったところです。
予定通りにいけば、4日後の水曜にこの世を去ります。予想外に明るい気持ちなのは「もうすぐこの世の苦痛から解放される!」「きのう美しいチューリヒの街をちょっと散策して、パラダイスみたいだったから、もう思い残すことはない!」「朝食が夢のように美味しかった!(笑)」などの理由によるものでしょうか。

なぜ今ごはんの話なのか、不謹慎(?誰に対して?)じゃないか、という気もしますが、●ぬ前においしいものを食べるのは大事なことでしょう。わたしは、世界で一番(全世界を回ったわけではないが、わたしが知ってる限り)食べ物が美味しいのはフランス、その次がタイ、だと個人的には思っています。ここはフランスではないが隣の国なので、クロワッサンやチーズの美味しさは完全に同じ。というか実は今、わたしは病気起因の味覚障害なので、味があまり正しく感知できてないのだけれど、「思い出とイマジネーションで欠けている部分を補え!」の精神で食は最後まで楽しむ構えです。一人暮らしの賃貸マンションを解約して、成田前の一泊は都内のT横インに宿泊しましたが、わたしは和食風バイキングは見ただけで具合が悪くなってしまう(幼少期のトラウマで和食がまったくダメ。お味噌汁のお椀などの和食器を見るだけでもダメ。理由については以前の記事をご参照ください)ので、T横の無料朝食は全パスだった。フランスに一定期間いたので、今こうして和食の呪縛から逃れ、心から愛するソウルフードあふれるヨーロッパに来て、水を得た魚のようです。

●ゴダを使って(●ッキングドットコムはトラブル多いらしいので、皆さんア●ダにしましょう。ちゃんと問題なく機能します)わざとフランス風プチホテルを予約したら、インテリアは超すてき、モダンでおしゃれなパリ風でしたが、「部屋が寒い(エアコンはなく、ヨーロッパ調のうねうねヒーターのみ)」「アメニティはほぼない」「浴室に換気扇はない」「シャワーのお湯は温度が一定で調節できず、しかもぬるい」「セーフティボックスも冷蔵庫も存在しない」などの実用的な点で、これに比べてT横インは偉かったなあ、おしゃれじゃなくても物質的には何から何まで揃っていたなあと懐かしくなったことも確か。でもまあ、プチホテルが大雑把なのは予め想定していてちゃんと歯磨きセットも携帯スリッパも持ってきていたし、厚着の準備もあるし、こうして朝、メイン目的である「夢のフランス風朝ごはん」に辿り着いたら、細かい文句は吹き飛びました。
フランスびいきの私はフランスフランス言っていますが、チューリヒはフランス語圏ではなくドイツ語圏なので、もちろんこちらでは私も「グーテンモルゲン」「ダンケシェーン」などと頑張って口走っています。郷に入れば郷に従え、です。が、ここでは中途半端にフランス語を出してきてもある程度わかってもらえます。特筆すべきは、サーブしてくれる人やウーバータクシーのドライバーさんに、サーじゃなくて「ムッシュー」と呼びかけると、明らかに彼らの機嫌がというかサービスが良くなります。メルシー、ムッシュー。
ちなみに、スイス他都市のことは知りませんが、ここチューリヒでは、英語はものすごく通じます。よくある「空港やホテルなど観光客向けの場所でだけは英語が通じるけど、町なかの普通の人はまったく英語が話せません」という英語フォービア都市とはまったく違い、英語ノープロブレム、何の不自由もなくとても嬉しく思いました。(むしろ日本にいた方が不自由だった⁈ 日本で日本語が通じないことが最近増えていて嘆いていましたぜ。家具の処分でリサイクル屋さんに電話したとき、「昨日お電話した城南という者ですが、」と話し始めたら「え? サクジツ? えー、サクジツって"きのう"のことっすか⁇」といきなり大声を出された。私の世代は、社会人になった時、敢えて日常語ではなくオフィシャル語を使うよう教育されたものですが、今やそういう人たちより、クソバカの人口の方が多くなってきているようで、日本もいよいよヤバそうです。)

いろいろと話がそれましたが、本来のテーマであるべき「デス」のことを話しましょう。

西部●すむ先生が2018年に多摩川で溺れて亡くなった時(わたしは保守派ではないですが、西部先生ほどのレベルの知識人には尊敬の念がありました。)、衝撃を受けると同時に、自らの●期は自ら決めていいと思う、という西部さんの遺志にはとても共感しました。しかしまあ、多摩川っていう選択はどうなのか、しかも協力者にいろいろ迷惑をかけて…というマイナス感情もあり。
正確に言うと、わたしはこの2018年の数年前、父が亡くなった時から、「父の価値観だけで育てられた私にとって、父というパラダイムがなくなったら存在意義はもうないのだ。よって早く●のう。」という考えを持ち始めていました。
その後、具体的に病を得て、そして「アシスティッド●イサイド」というものがある、と知って、またそれを、私が尊敬するジャン・リュック・ゴダールも実行した、と知って、いよいよ私にもその時が来た、と手配をしました。
今はググればなんでも出てくる時代なので、本気の方はいくらでも後に続いていただくことができると思います。

日本での法制化がなんとか、という話題には、正直言って私はなんの興味もありません。さらに言えば、いまだ男女別姓すらできない我が国では、今すぐイギリスに続いてこのことに関する法案作りをするなんてことは逆立ちしてもできないだろう、とも思います。だからその話題をここで展開したりは、しません。
が、大まかに言っておくと、世界が新自由主義になってきてからの趨勢として、「無駄は止めましょう」という考え方が厳然とあり、日本もその趨勢にいつかは従わざるを得ないでしょう。倫理的にどうなのか、弱者切り捨てやファシズムみたいなことはやめろ、という考え方は、今や現実にそくしていないと思います。
私だって「優生思想」は絶対にいけないと思っています。そんなのは当たり前にダメです。しかし、「個人が●ぬ権利」というのはそれとはまったく違う文脈において、絶対にありますし、あると認めている国が先進国でこれだけあるのです。優生思想とはまったく別ものの、個人の権利の話です。個人の意志決定による●は、あって然るべきものだと私は考えます。

「プラン75」という映画では、75歳以上が自ら名乗りを上げると、国がタダで執行してくれる、という設定になっていました。真面目ないい映画だと思いましたが、ただ、年齢で区切る意味がわからないし、無料で執行、も現実性がない(たしか映画では、報奨金?のようなものも出るんでしたっけ)。
制度がどうであれ、現に孤独●や自●は毎日数多く起こっています。電車に飛び込むなどの無茶な方法は、社会に多大な迷惑をかけるのみならず、本人も、自らの●ぬ意志に反して、重い障害を負った形でより苦しい人生を送らざるを得なくなる可能性があります。
こんなにたくさんの人が●にたい。その現実をどう考えるか。

法制度の問題に関してはしかし、わたしは門外漢なので、「知りません」としか言いませんし、言えません。
わたしはただ、お金を払って、自分の意志で合法的な●を選ぶだけです。
家族には何も言っていなく、ダマテンでここまで来たのが難といえば難ですが、ちゃんと遺産(多くはないですが)は残すし、迷惑は一切かけない設定が出来上がっています。
ここまで書いても批判する人は批判するでしょうが…こうして目立たない場所に投稿しているぶんには害はないよね。
もう誰にも止めることはできません。

最後に言っておくと、同好の士がいたら「ブラックバード」というスーザン・サランドンが主演している映画を是非ご覧になってください。とても参考になり、精神的な支えにもなると思います。

あす日曜に、鉄道でもう少し北の都市に移動して、そこで協会の人と火曜に会い、水曜にこの世にさよならする流れになります。また後ほど投稿するかもしれないし、しないかもしれません。とりあえずさようなら。