1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

イッツ・フライデー!

2022-08-30 22:21:00 | 日記
父と母のことを、以前の記事で「ロビンソン・クルーソーとフライデー」に喩えたことがありました。
父は家庭というものを「世の中から孤立した状態で」「他人の影響を断ち切り」「自分本位、独裁状態で」樹立した——そのさまが、まるで無人島のロビンソン・クルーソーのようにも思えたのです。彼の島にたまたま現れ奴隷として採用された「土人」(差別語)のフライデーに相当するのが母、という構図です。
といっても実は、デフォーが書いた『ロビンソン…』では、ロビンソンはたまたま船が難破して止むを得ず無人島に漂着した人というだけで、独裁者だのカルトの王だのを目指すつもりは一切ありませんでした。だからこの比喩はあまり適切ではなかったのですが、むしろわたしは「フライデー=母」という部分が言いたかったのかも…。

母は、はっきり言って「バカ」です。学歴も大したことなく、また、口を開けば愚かなことしか言わないので、話す人が話せば数十秒あれば「これはバカだな。」と判断がつく。そういうレベルの人間です。
だから、誰かの奴隷になるのも、さもありなん。フライデー的ポジションは実にうってつけだったのです。(ただし『ロビンソン…』という小説の中のフライデーは決してバカではなく、片言の英語で立派に会話するようになったりし、地頭の良さを発揮していた——ので、母と一緒にしたら失礼なんですが。)

「”奴隷”だとか何言ってんの? お母さんはお父さんの"妻"でしょう? それに、自分の母親のことをバカとか言うもんじゃないよ!」
と思われるかもしれません。
いや、前の記事を全部読んでいただければ理解可能かと思うのですが、母は単なる専業主婦の家事労働を超えた、24時間在宅している父に四六時中侍っている侍女みたいな役割をさせられていたので、それを「奴隷」と表現してもさほど間違ってはいないかと考えます。(父が、「肩が凝ったなー」と言えば肩を揉み、「なんかスーッとしたものが飲みたいなー」と言えばサイダーを買いに走る。といった感じ。あと、父が思いついた事をばーっと話すのを全部聞いて記憶しなくてはいけない。など、一日中待機の何でも使用人。)
また、「産みの母をディスるなというお叱りあるかも」に関してですが、母から暴力を受けてきたわたしとしては、とてもじゃないが母を肯定的に評価することなどできない。バカはバカなんで、それははっきり言いたいのです。

父の偏向イデオロギー強要についてはもう繰り返しませんが、まあ、それは「自分の子供は自分の思想どおり、理想どおりになってほしい」という理念(間違った理念であったとしても)があってのことだったんだと思います。結果は最悪だったけれど、理念を持つこと自体、その原点自体は「善なる意志」だったのかもしれないです。
それに、父は決して、わたしに暴力を振るうことはなかったのです。

一方、母には何の理念もなく、ただ「ご主人様」の言ったことに「そうだ、そうだ!」と従って騒ぎ立てる役、そして暴力実行役、をやっていただけです。
理念がないばかりでなく、はっきりと「悪意」がある、と感じました。
もう少し分析するなら、父に支配されてストレスがたまっていた母の、鬱憤晴らしのためのサンドバッグにわたしがなっていた、ということだったのではないでしょうか。

何か怒られる理由があったとしても暴力は厭なものですが、うちではしばしば、「そんなメチャクチャな!」という言いがかりからの殴りがありました。
たとえば、ある時、わたしがコップから麦茶を飲んでいるのを横でジトッと見ていた母が、急に、
「ゴクゴク、と喉を鳴らして飲むな!」
と怒鳴るなり、わたしをぶちました。
(ええっ? 人間は、飲む時にはゴクッてなるもんなんじゃないの?!)
とわたしは驚きましたが、まだ飲みたかったので、なるべく音がたたないように?トライしましたが、もちろんまた「ゴクッ」っとなります。
「だから喉を鳴らして飲むなってば!」
またバシッ。
そんな馬鹿な、と誰でも思いますよね。