多分、2013年が底辺から脱出できた年だと思う。
実家を捨てる際、ホントは会社を辞めるつもりだった。
それを、当時の社長・・・私の男親のマブダチに言いに行くと、何故か反対された。
「僕が居てても、雑用をこき使うだけでしょ?それやったら僕、ここに居る意味なんてありませんから。給料だって、上がる見込みの無い所に居る意味、あります?」
そう、正直に言った。
「レッカーでもしてみるか?レッカーしたら、稼げるぞ」
そう言われてしまったから、踏み止まった。
年末から、レッカー部へ移動。
日曜日、出勤してレッカー出動したら手当が貰える。
だから、引っ越した12月23日以外は休日出勤するようになった。
本当なら、各日当番の人が対応する。
しかし、案件が重なったら依頼を断るしかなかった。
それを、私が拾い集めた。
待機中は、経理部の手伝いとして伝票入力した。
一気に流れが変化した。
2013年2月の給料。
毎月20万円の給料だったのが、手当として10万円近く加算された。
人間って、実に単純。
頑張れば給料に反映されると知ったら、もっと頑張れる。
府営団地へと引っ越した後、毎週休日出勤して稼ぎに稼いだ。
この年は、様々な事が生じた。
6月には、祖母を93歳で失った。
お祖母ちゃん子だったから、通夜・告別式で一人泣きに泣いた。
9月には、妹が結婚して出て行った。
実家を失った時に、アドバイスしたから。
「母親の面倒は見るから、お前は嫁に行って幸せになれ」
いざ出てったら、寂しかったけど。
これで、母親と二人で団地暮らし。
ある日、帰宅したら買い物帰りの母親がゼーゼー言って寝込んでた。
5階建ての5階部屋。
エレベーターなんて無い。
67歳の母親には辛い生活。
その姿を見て、決断した。
「戸建住宅を買おう」
2013年11月。
37歳目前で決意した。
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