P HP『心に響く・名経営者の言葉』
第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.014
「出来ない理由を考える前に、
出来る方法を考えてくれ」
市村 清・リコー三愛グループ創始者(1900~68)
市村清は、佐賀県の生まれである。
農業を営む市村豊吉の長男だった。
幼い頃から頭脳明晰で、地元の名門・佐賀中学校(現在の佐賀県立佐賀西高等学校)
に入学するが、実家の家計が苦しくなったため2年で中退する。
その後、行商などさまざまな仕事をして実家の困窮を救った市村は、銀行という安定し
た職場に就いたのを機に中央大学の夜間部へ入学した。
だが、大正11(1922)年に日中合弁で作られた大束銀行への就職話を持ちかけられた
ため中退し、北京へ渡った。
ところが、大東銀行は昭和2(1927)年に閉鎖されてしまう。
やむなく帰国した市村は、保険の勧誘員になった。
その後、感光紙(昔のコピー機に使用する紙)の営業マンになった市村は、全国の売り上
げの半分を一人で達成ずるトップセールマンとなった。
その功績が認められ、彼は感光紙部門の部長に大抜擢。そして昭和11年に独立して理
研感光紙株式会社を設立した。
これが後のリコーになったのである。市村は「人の行く裏に逆あり花の山」を座右の銘とし、
その考えを実践してきた人物だった。
たとえば、昭和25年に発売した「リコーフレックスⅢ」というカメラは、はじめに「いままでの
10分の1以下の価格で売る」という目標を掲げ、その価格で売るにはどのような方法で生産
すればいいのかを考えた、いわば逆転の発想から生まれたカメラだった。
また、現在も銀座四丁目交差点に建つ「三愛ドリームセンタービル」は、「お客を動かさず、
建物をまわして商品のほうを動かす」という、これも逆転の発想から生まれたものだ。
ときとして、人は「できない」「無理だ」と相手に伝えるため、頭をひねってその理由や言い訳
をあれこれ考えることがある。だが、これは後ろ向きの努力だ。どうせ努力するなら、前向きの
努力・・・・・・どうすればできるかを考えるべきではないか。
市村は、営業マン時代には努力という方法で、そして会社の社長になってからは逆転の発想
という方法によって次々と「できない」を「できる」に変えていったのだ。
=====創業の精神=====
・人を愛し
国を愛し
勤めを愛す。
----三愛精神----
三愛本社に伺うと
事務所の全員が起立して”いらっしゃいませ”
と、お辞儀をして迎える。のだそうだ!!
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