楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.014

2018-05-20 | 先人の知恵に学ぶ

 P HP『心に響く・名経営者の言葉』
       第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.014

「出来ない理由を考える前に、
    出来る方法を考えてくれ」
         市村 清・リコー三愛グループ創始者(190068

 市村清は、佐賀県の生まれである。
農業を営む市村豊吉の長男だった。
 幼い頃から頭脳明晰で、地元の名門・佐賀中学校(現在の佐賀県立佐賀西高等学校)
に入学するが、実家の家計が苦しくなったため2年で中退する。
 その後、行商などさまざまな仕事をして実家の困窮を救った市村は、銀行という安定し
た職場に就いたのを機に中央大学の夜間部へ入学した。
 だが、大正11(1922)年に日中合弁で作られた大束銀行への就職話を持ちかけられた
ため中退し、北京へ渡った。
 ところが、大東銀行は昭和2(1927)年に閉鎖されてしまう。
やむなく帰国した市村は、保険の勧誘員になった。
 その後、感光紙(昔のコピー機に使用する紙)の営業マンになった市村は、全国の売り上
げの半分を一人で達成ずるトップセールマンとなった。
 その功績が認められ、彼は感光紙部門の部長に大抜擢。そして昭和11年に独立して理
研感光紙株式会社を設立した。
 これが後のリコーになったのである。市村は「人の行く裏に逆あり花の山」を座右の銘とし、
その考えを実践してきた人物だった。
 たとえば、昭和25年に発売した「リコーフレックスⅢ」というカメラは、はじめに「いままでの
10分の1以下の価格で売る」という目標を掲げ、その価格で売るにはどのような方法で生産
すればいいのかを考えた、いわば逆転の発想から生まれたカメラだった。
 また、現在も銀座四丁目交差点に建つ「三愛ドリームセンタービル」は、「お客を動かさず、
建物をまわして商品のほうを動かす」という、これも逆転の発想から生まれたものだ。

 ときとして、人は「できない」「無理だ」と相手に伝えるため、頭をひねってその理由や言い訳
をあれこれ考えることがある。だが、これは後ろ向きの努力だ。どうせ努力するなら、前向きの
努力・・・・・・どうすればできるかを考えるべきではないか。
 市村は、営業マン時代には努力という方法で、そして会社の社長になってからは逆転の発想
という方法によって次々と「できない」を「できる」に変えていったのだ。

 =====創業の精神=====
人を愛し
   国を愛し
     勤めを愛す。
             
----三愛精神----
三愛本社に伺うと
  事務所の全員が起立して”いらっしゃいませ”
          と、お辞儀をして迎える。のだそうだ!! 

            

 


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