楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.003

2018-05-09 | 先人の知恵に学ぶ

PHP『心に響く・名経営者の言葉』
  第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.003

いつかは誰かがやらねばならない
  ことがある。だからうちがやる」
           佐治敬三・元サントリー会長(19191999
サントリーは日本最大の酒造メーカーである。
 佐治敬三はサントリーの創案者、鳥井信治郎の二男(小学校の
ときに母方の縁者と養子縁組をしたため、佐治姓)としてこの会社
を継いだ・・・・・・・・・・・と、ここだけ聞いて「何の苦労も知らないニ代
目社長では?」「悪しき世襲制」と眉をひそめる人も、なかにはいる
だろう。もちろん、ダメな二代目社長がいることは事実だが、佐治は
ただの二代目社長ではなかったのである。
 佐治は、大阪帝国大学を卒業し、終戦の昭和20.1945)年にサン
トリーの前身である寿屋に入社した。
 当時の寿屋の主力商品は「赤玉ポートワイン」と「白札」「角瓶」と
いう二種類のウィスキーで、300名ほどの従業員で切り盛りする酒
造メーカーだった。
 これを日本最大のメーカーに育てあげたのが佐治だったのである。
高度成長期には「洋酒と名がつけばなんぼでも売れた」(佐治談)と
いう経験をしたが、佐治は、そのぬるま湯にただ浸かっていることは
なかった。
 ビール業界への再進出(昭和九年に一度撤退している)という大英
断を下したのである。
 当時、ビール業界は麒麟麦酒、サッポロビール、アサヒビールの大
手三社による寡占状態にあり、新規参入の余地などあり得ないように
思えた。だが、彼は「努力しなければ会社はやがて傾く」「寡占状態を
いつかは打ち破らなければならないときが来る」と考え、ハイリスクを
覚悟で、再進出を強行したのだった。
 予想どおり、サントリーのビール部門は苦戦を強いられ赤字が続い
たのだが、平成162004)年に初めて黒字となり、その翌年には同社
のビールがモンドセレクションで金賞を受賞するという栄誉を得たので
ある。これは、食品オリンピックとも称される、世界的に権威のある食品
品評会だ。それは、「いつかは誰かがやらねばならないことがある。
 だからうちがやる」という佐治スピリットが、ようやく結実した瞬間といえ
るだろう。


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