PHP『心に響く・名経営者の言葉』
第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.004
「アイデアの良い人は
世の中にたくさんいるが、
良いと思ったアイデアを
実行する勇気のある人は少ない」
盛田昭夫・ソニーの創業者の一人(1921~1999)
盛田昭夫は、造り酒屋の長男として愛知県で生まれた。
昭和19(1944)年に大阪帝国大学を卒業すると日本海軍に入隊し、
横須賀の海軍航空技術廠で熱線追尾爆弾の開発に携わった。
のちにソニーの両輪となる井深大とはそこで知り合っている。
終戦直後の昭和21年、盛田は井深とともにソニーの前身である東京
通信工業を創業し、井深が専務、盛田は常務を務めた。
二人はそこでテープレコーダー、トランジスタラジオ(ともに日本初)、
トランジスタテレビ、家庭用ビデオテープレコーダー(ともに世界初!)
などを開発し、製造、販売した。
ソニーが飛躍するきっかけは、トランジスタラジオをアメリカ市場に
売り込むため、盛田が渡米したことだった。
「世界で最も小さく高性能」というキヤッチフレーズで売り出された
トランジスタラジオはアメリカでも爆発的に売れ「SONY」というブラン
ドイメージが急激に高まった。
この成功を受け、それまで商標名として使用していた「SONY」を、
昭和33年に社名とした。
盛田は昭和46年にソニーの社長に就任したが、それからもたび
たび世界を歩き、営業マンとしてソニーを売り込み続けた。
そのため「世界のセールスマン(揶揄ではなくいい意味で使われた)」
や「財界の外務大臣」などと呼ばれ、欧米で最も評価される経営者の
一人となった。
盛田の特筆すべき点は、エンジニアでありながら営業マンに徹し、ソ
ニーを大企業に育てあげたところだろう。
彼は、技術部門を井深にすべてまかせ、資金繰りから販路の拡大
までを一手に引き受けた。
だからといって、製品を見る目がなかったわけではない。
営業マンだからこそ、良いものと悪いもの、売れるものと売れないもの
を見極める目は厳しかった。
世界のセールスマンだからこぞ、冒頭のような言葉を発することができ
たのだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます