楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.004

2018-05-10 | 先人の知恵に学ぶ

PHP『心に響く・名経営者の言葉』
1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.004

「アイデアの良い人は
  世の中にたくさんいるが、
    良いと思ったアイデアを
      実行する勇気のある人は少ない」
盛田昭夫・ソニーの創業者の一人(19211999


盛田昭夫は、造り酒屋の長男として愛知県で生まれた。
 昭和19(1944)年に大阪帝国大学を卒業すると日本海軍に入隊し、
横須賀の海軍航空技術廠で熱線追尾爆弾の開発に携わった。
 のちにソニーの両輪となる井深大とはそこで知り合っている。
終戦直後の昭和21年、盛田は井深とともにソニーの前身である東京
通信工業を創業し、井深が専務、盛田は常務を務めた。
 二人はそこでテープレコーダー、トランジスタラジオ(ともに日本初)、
トランジスタテレビ、家庭用ビデオテープレコーダー(ともに世界初!)
などを開発し、製造、販売した。
 ソニーが飛躍するきっかけは、トランジスタラジオをアメリカ市場に
売り込むため、盛田が渡米したことだった。
 「世界で最も小さく高性能」というキヤッチフレーズで売り出された
トランジスタラジオはアメリカでも爆発的に売れ「SONY」というブラン
ドイメージが急激に高まった。
 この成功を受け、それまで商標名として使用していた「SONY」を、
昭和33年に社名とした。
 盛田は昭和46年にソニーの社長に就任したが、それからもたび
たび世界を歩き、営業マンとしてソニーを売り込み続けた。
 そのため「世界のセールスマン(揶揄ではなくいい意味で使われた)」
や「財界の外務大臣」などと呼ばれ、欧米で最も評価される経営者の
一人となった。
 盛田の特筆すべき点は、エンジニアでありながら営業マンに徹し、ソ
ニーを大企業に育てあげたところだろう。
 彼は、技術部門を井深にすべてまかせ、資金繰りから販路の拡大
までを一手に引き受けた。
 だからといって、製品を見る目がなかったわけではない。
営業マンだからこそ、良いものと悪いもの、売れるものと売れないもの
を見極める目は厳しかった。
世界のセールスマンだからこぞ、冒頭のような言葉を発することができ
たのだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿