大(だい)を用(もち)うるに、拙(せつ)なり。(逍遥遊)
---大いなるものもそれなりに使う---
大人物は用い方を知っている
大きいものを用いるには、それ相当の用い方がある。
むかし恵子(けいし)/(けいこさんではありません)という人が、荘子に向かって
こんな話をした、「私はかって、魏王(ぎおう)から、大きなひょうたんの種をもら
った、そして、それを蒔いたところ、よく成長して、おおきな瓢箪(ひょうたん)の
実がなった。とても重くても持ち上げられない。二つに割って、ひしゃくにしようと
しても、大きすぎて、なべの汁を汲む事が出来ない。とてもすばらしく、大きくて
立派な瓢箪だったが、役に立たないので、打ち砕いてしまった」と。
そのとき、荘子が「あなたは、大きいものの用い方が下手だね。瓢箪が、水や酒
を入れるのに大きすぎたり、二つに割っても、ひしゃくにならないのなら、舟を作っ
て、湖にうかべて、子供たちと、遊ぶ事が出来たであろうに・・・・・・・・・」と言った。
瓢箪は酒か水を入れる。二つに割ってひしゃくにする。この世間の常識にとらわれ
て持ちい方がわからず、偉大な瓢箪を破壊してしまったのである。
イガ爺、そのむかし!?、職場でQC活動が盛んだった頃、物事の問題点発見のために、
物の本質を見る事の大切さを勉強した頃のこと覚えているかな?
たとえば、コップ=水を飲むために用いる、器である
これって、ある意味、正解!!である、
「これは、灰皿です」「これはペン立てです」等々、答えは、物は、その活用によって
生かされる、コップが飲み物を飲むための器だと決め付けないで、生かして使うには
視点を変えることが必要である。コップ=水を飲むために用いる、器であると決め
つけたのは、なにあろう、人間であり、思い込んでいる、吾なのである。と・・・
大いなる、大自然は、心広く、人間が、何に用いようが、気にも留めないのである。
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この頃、空気の色合いが、秋の色が夏の色の片隅にあり、香りも、少しずつ、秋臭
へと変わり始めているよね。
大自然の大いなる愛に、懐に、抱かれて生かされている吾を思うとき、
かかわりのある、多くの万象(衆生)への感謝の気持ちが膨らみむよね。
おいらも、イガ爺とともに、歳を重ねたよね!?
・実践は楽しくなければ!?、まず吾が喜んで進んで働く!!
これだよね!? イガ爺さん
20:05分投稿
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