楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

荘子の言葉・その28

2016-10-12 | 賢者の言葉

憂而不救:憂いあれば、則ち救われず(人間世)
---心が乱れると何も解決できない---

人間の心が憂いを抱くようになる理由

リーダーに憂いがあって心が乱れていたのでは、人を救うことは出来ない。
 今日、学校の先生方の多くが、自身を失っていると言われている。子供たちをリードする先生方の心は、
明るく健康的でなくてはならないのに、とりわけ、良心的な教師の心が病んしまって、教育者としての自分を
自分で律する事が、危うくなっている
荘子では、人間の心が憂いを抱くようになるのは、世事の雑な用事や、世間の人からあれこれ批判されたり、
せめられたりするためでる。と、説く。
かれらは、文部省(現:文部科学省)の指示を受け、学校長の指示に従い、教育委員会の教導にあずかり、
PTAのチェックを受け、生徒に評価されている。
 今こそ、学校教育に代わって、親自身が、自分の子どもを教育しなければいけない。といわれるが、その両親
も現代社会の混乱した憂いの中にいる。
 先生と両親が憂いの中にいたのでは子どもたちは救われない。

イガ爺、『子は親を選べない、子は天からの預かりもの』との格言?を聞いたことある?
『子は天からの授かりもの』でしょと言う人がほとんどでだが、子どもを立派な人間に、大人に育てる、そして、
社会(自然の摂理の中)にお返しする。これが、親(大自然の一部である)の役目である。ってことだが、 難しい!!
また、『子は親を選べない』とは、子を預かった親への戒めである、こんな、駄目な、私を・・・・・・・・・・・・・・・
 なのである。 おいらも、むつかしいっと感じているのだが!?

                              13:45分投稿       


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