alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

大人の遊び場

2010年08月25日 | サードプレイスとしてのカフェ


 今日は一日蓮太郎と一緒にいる日で
さーて何をしようかな と思っていたら
はっと記憶がよみがえり 今日って水曜?
25日か?もしやほっこりサロンの日じゃないか?


 いそいで携帯を探し出し
いつもの近所のおばさんに電話をすると
「あー今電話しようと思ってたのよー」
ということでやっぱり今日だった。
洛西ほっこりサロン 月に1回開催です。


 はじめは気合いが入ってたものの
だんだん私も適当になり、そのおばさんも
「あんまり声かけてなくってね」ということになり
今回でもう5回目くらいになるのだろうけど
だいたい顔ぶれは決まってる。
なんだか近所の寄り合いっぽく
最近ではお菓子もみんなで持ち寄っていて
「あー こんにちはー!」
「あらー れんちゃん」という
そんな感じでとてもなごやか。


 1回目は風船やらおもちゃやら
なにやらやたら持ち出してたけど
2回目はみんなでお手玉をつくろうと
いうことになり あさからチクチク
チクチク縫って 午後はひたすら
お手玉練習。そしておばあちゃん達が少女になって
そう ここにくると みんな本気で遊びはじめる。
それがとっても面白い。
ちなみに前回は浴衣講習で 3人がかりで
京都のおばちゃんに浴衣の着付けを教わったので
おかげさま で パリで一人で着れたのです。


 ところで何の集まりだっけ?と
不安になることもあるけれど
何か1つの遊びがあって
それでみんなが関わりはじめて
真顔になって遊び始める
今日はジェンガが積まれてて
じゃあこれをやりましょう!と
蓮太郎も含め8人くらいで
順番に木の棒をひきぬいて は
上につみあげ また引き抜いて。
みんなめちゃおどおどしながらやっている。

ジェンガ
クリエーター情報なし
タカラトミー



 蓮太郎は 大人達の中の一人の子供で
はじめにドーンと壊してからは
ちょっと恥ずかしくなったのか
一人で引いていたけれど 3周目に
もういちど「蓮太郎もやる?」と
きくと「やる」とのことで
みんなでドキドキしながら彼を見守る。

 彼の回は 私が棒を半分つついて
あとはそれを彼が引き抜き
それから積み上げられたジェンガの上に
乗せる という風にやっていて
なんと彼は5回もやって
しかも最後に倒したのは 
かくいう私なのだった。ガシャーン!
けっこう気持ちいい音だった。



 「すごいねえれんちゃんは!
これね 4歳からって書いてあるよ」
「本当にすごいね おしっこもいけるし
質問もできるし ジェンガもできるの!」と
母感動。今日はようやく「2歳」を
手で示す(じゃんけんのチョキ)ことも
できるようになっていて 本当に可愛い盛り。
我が子の成長が愛しいです。


 2歳になったら きっと違うよ
といろんな人に言われていたけど
彼は昨日は 一時保育の保育園で
私が部屋を出るときに ついに泣かずに
立って手を振り 手を降り終わると
こちらを見ずにお友達のところへ向かっていった!!
今まで大号泣だったのに!!もう本当に
牢獄に閉じ込められた子供みたいに
すさまじい勢いで扉のところで泣いていたのに!!
信じられない なんだか甘ずっぱい気分。
蓮太郎、、、 大人になったね
トイレも大人とおんなじだもんね
あんた すごいよ ご飯も一人で食べてるし、、、


 思い起こせば1年前なんて大変だった
おっぱいはあるわ 離乳食をつくらにゃいかんわ
つくったそばから文字通りさじを投げるわ
そしておかゆが床に散らばり
本当に大変だったなー
まだ歩けなかったしなー 今じゃ
本当に立派になりました。
今日は私に「ママ アンパンマン号知ってる?」
と質問してきた。質問できるの?蓮太郎!?
彼は本当に成長していて
地域の人も その成長を見守ってくれている
それは本当に あたたかい。


 カフェに行ったらカウンターにすわり
カフェを出る時はお金を支払い おつりをもって
バイバイをして三輪車にのる蓮太郎。
郊外のニュータウン暮らしは私には大変だけど
彼がいなけりゃ 知り合いなんて
きっと一人もいなかったろう。
おばさんたちから何かを学び
おばさんたちと一緒になってみんなで遊ぶ
ただ 遊ぶ というそんな時間は
もう十何年も持ってなかった気がするから
月に一回 大人と子供が集まって
こうして遊ぶ それってすごい リフレッシュ。

第二回 洛西ほっこりカフェ無事終了

2010年05月19日 | サードプレイスとしてのカフェ
 4月にこのイベントをすることになったあとから
身体もまたしんどくなったりでなかなか動けなかったけど
今回もまたカフェのみなさまに助けられ
無事に「洛西ほっこりカフェ」の2回目を迎えることができました。


 今日は雨 ということで「行くよー」といってくれた
ママサークルの人たちも 「ごめん 雨やし」ということで
子供は2人だけだったけど 朝から私と30代のお母さんと
60代のおばあちゃんとでちくちくちくちく「おじゃみ」
(お手玉)を手縫いしながらお話をして
こんな時間ってなんだかいいねーと話してた。

 「まあ ほっこりカフェだし 人数が多いよりも
自分がほっこりできたほうがいいわよねえ」ということで
和室から雨のあたる緑を眺めながら 時にお茶をのみ
お手玉をして お手玉をするためにお手玉を縫い
お昼すぎからおばあちゃんたちもどんどんふえて
みんなで昔のお手玉遊びを教えてもらってた。


 今回は60以上のおばあちゃんたちが6人くらいきてくれて
彼女達が一生懸命昔覚えたお手玉遊びをしているのをみていると
いつものおばあちゃんな雰囲気では全然なくて
小学生の女の子たちが遊んでいるのを見るようだった。


 最近ママサークルでも子供じゃなくってママが
ゴムとびをしたり 風船バレーをしたりするとこをみて
なんだか遊ぶってとっても楽しい!!と思ってたけど
こちらでもそんな空気が流れてて 「子供のために
遊んであげる」のではなくて自分がやりたい
自分が楽しい!!そんな姿をみていると
子供も夢中になって遊んでく それって本当に
みんなが楽しくて素敵だなーと思わされる。


 何にも知らない私はおばあちゃんたちに
お手玉を教わり(少なくとも縫えるようになった!)
お姉さんに折り紙の手裏剣の折り方を教わって
それから昔の子守唄をみんなで唄っていたときは
とっても美しい時がながれて れんちゃんも嬉しそうだった。


 保育園!とか もうこんな親類も友達も
ほとんどいない所で子育てするのは本当に嫌だ!
もう無理だ!!とも思うけど そして泣きたくなるけれど
そんな孤独な私から たくさんの活動が生まれてきていて
孤独こそが 源であることは 高校時代から確かなことで
そんな私が もっと地域のおばちゃんたちと知り合いたいと
たくさんのことを教えてほしいと思ってつくることになってった
このイベントで 来てくれた人がとてもよかったといってくれ
それがとっても嬉しくなった。


 横浜に帰りたい そっちだったらどんなに子育てしやすいだろうと
思うけど 実家の近くで暮らしたいけど こちらはこちらで
何かはもうはじまっていて 今日はとっても素敵な日だった。
自分が動けば 足を伸ばせば 助けてくれる人たちはいて
子供と遊んで元気になったといってくれ
4ヶ月の赤ちゃんから もうすぐ2歳のれんちゃんや
小学生やおばあちゃんたちやママたちが
あったかい空間で 楽しそうに遊んで過ごした
それってとってもいいと思う。
なんだか自然な空間だった。


 来月も第3週の水曜に「ほっこりカフェ」を開催予定です。
時間は10時から4時までで いつきてもいつ帰っても構いません
参加費はたったの100円!お茶もお菓子もついてきます。
こんどは子守唄やらお手玉やらおはじきやら
昔の遊びをみんなで遊んでみると思います
よかったら遊びにきてみてください

地域の居場所づくりはじめました

2010年04月14日 | サードプレイスとしてのカフェ

 長いことご無沙汰でしたが、、、

 一週間ほど風邪やら疲れやらで寝込んでました
旦那のおかあさんに愛知から来てもらって
なんとか一家がもちました。おかげさまで
みんなでお花見もでき 楽しい時間をすごせました
ありがとうございました!


 さて、先月「ふれあいの居場所サミット」というのに
近所のカフェの代表さんと行ってから私の気持ちが
盛り上がり あれよあれよという間に
じゃあやっぱりやってみよう!と
念願の地域のおばあちゃんたちとママ達やらの
世代間交流の場をつくることができました。
その間たった一ヶ月!いろいろあって体調不良に
なりましたが 今日ついにそれが実現しました。


 自分の住んでる地域で物事をおこしてみるって
未だかつてしたことがないけれど(徒歩圏の地域ね)
それってかなり地に足がついてる感があって
なんだか楽しい!


 今日は私が寝込んでいたため宣伝不足に
なったにもかかわらず、ママサークルの人たちも
何人も参加してくれ、カフェ界隈のおばあちゃんたちは
ハーモニカやら紙芝居やら指人形やらいろいろと
披露してくれて 私は子供達と外でおいかけっこしたり
カフェで挽きたてのコーヒーを注文したり
おばあちゃんたちとお話したり
来た人にお茶をいれて会話をしたり
かなりドタバタだったけど みな思い思いに
過ごせたかなあという感じで
主催者近辺がもちよった おもちゃも
子供達に好評で 大きな茶の間で
地域の人たちがお話してる そんな感じでよかったです。


 もっとおばあちゃんたちの話がききたい
もっとお近づきになってみたい
子育てのことももっとききたい
昔の遊びも教えてほしい!!!


 そんな願いをずっともってた私が
近所のカフェの夫婦と一緒に
ようやくそんな場をつくることができました。
一歩ちゃんと 自分の想いに近づいてったよ!

 東京を離れ 愛着をもった浜名湖を離れ
今度は京都の市内も離れ 本当に新天地の
ニュータウンで こうして何かを起こせたことは
なんだかとっても大きなことで
旦那も旦那で 地域参加ができそうで
我らもようやく 動き出せる日がきたのかな
洛西が 京都で一番子育てしやすい
そんな風に有名な場になったらもっといいのにな
ここにはめぼしいものは何もないけど
住んでる人があたたかい。
地域で子供を育てていくって
あたたかくって とっても楽しい
そう思える人がもっとふえたら
三歳になるくらいまで 子供のそばに
いてもいいかって そう思える人がもっとふえたら
きっと何かが変わるだろう。


 はじめの一歩
小さいけれども大きな一歩
また5月12日水曜日にも開催します。
洛西の「ほっこりカフェ」です。
参加費100円でお茶とお菓子がついてきます。
お金のかからない対話の場!
これが実現したかったのです
(子供たちが騒がしいけど、、、)

私のサードプレイスで

2010年02月11日 | サードプレイスとしてのカフェ
 サードプレイスの本を読み
サードプレイスについて考えながら
サードプレイスに行ってみて
沢山の話を耳にしてきて また考える。


 火曜日には洛西でよく通っているケヤキにいって
水曜日にはれんちゃんを預けて一人で勉強をしに
山の麓のカフェにいき 今日木曜日はゴゴに行ったら
その後もう一見知人が開いたカフェに立ち寄ることになる。


 山の麓のカフェの方 は もう常連になっているのか
多分なってはいないけど お姉さんは「あの人ね」とは
認識をしていてくれて そこはだいたい60前後のおばさんたちが
おいしいランチを食べにきた後 そのまま話して
お姉さんともまたしゃべる。 そんな場所なのだけれど
私はそこも自分にとってのサードプレイスと思ってて
お話にも入れてほしいけど かけがえのない研究もしたい
そんな思いで揺れていながら 結局話をつい聞いてしまうことになる。


 今回はなかなか集中して本が読めなかったけど
おばさんたちの話をきいてしまうのは楽しくて
そこでこんな会話があった。

 「うちの旦那は空気みたいな感じでね、、」
「えー 空気ってとてもいいですね!
私もそんなこと言ってみたいなあ!!」
「うちの旦那なんてね 有毒ガスですよ 有毒ガス!」
(一同絶句)


 私はこの会話には参加はしてないのだけれど
つい耳にしてしまって 考えた。有毒ガスも大変だけど
(それでも彼女は3人も子供がいるそうだ
結婚は勢いだったのよーと言っていたけど、、)
空気ってそんなにいいのだろうか?


 私もよく 自分の旦那さんを空気のようだと思ってて
たまに夢をみたりする。はて 私だれと付き合ってたんだっけ?
不思議に思って目をさます と あ そうか
私 彼と結婚したんだわ、、、
そんなことまで忘れてしまう!それっていいのか?
空気って きっとあることをあまり意識してない
そんな存在でもあると思う
それってそんなにいいのだろうか 
私は「空気」と表現をした そのおばさんと話を
ちょっとしてみたかった。


 今日またオルデンバーグの本を読み
この本深いなと思わされるのは
結婚によって変わってしまった状況のことも
色々と書いてある事で
結婚をして(幸せそうにはたからはみえているのに)
実はすごく孤独を感じる妻達の生活だったり
男性の友人が結婚をひかえているときに
「ああ彼はサードプレイスで得ていたものを
これから手放そうとするんだな」とちょっと哀しくなる
人の話とか なんだかとても深いと思う。


 結婚をして子供を産んで 子供にかなり
ふりまわされてる私はというと どうしてこんなに
サードプレイスにいくのだろう?それは昔から
そういう人で カフェがないと生きられない人種だからかも
しれないけれど 結婚をして 子供を産んで
そういう人なりの孤独を味わってみた事でこそ
サードプレイスの重要性や 会話をすることの
必要性が 身にしみてわかったのかもしれないな。


 今日は久しぶりのゴゴに行き
はじめて一家で行ったのだけど
そしたら見知らぬ常連さんがカウンターに座ってて
私とお姉さんがドアのところで会話をしてたら
私がトイレに立ったすき に 彼は私について
質問していた。そしてお姉さんの声が聞こえた。
「大丈夫。あとでふってあげるから、、」


 そうなんだ。 ここのお姉さんはそういうのが
めちゃくちゃうまくて そしてここでは
彼のように 若い大学生の誰かがまた一人
常連になり かつて私が通ったように
カウンターに日々通いはじめて 
そうして誰かと会話していく。
ここにはテレビがあるのだけれど
テレビはとても重要で ここにいるお客はみんな
テレビの方を見ているそぶりを見せながら
本当は内容はどうでもよくて
人の話をきいている し
おもしろかったら 入れる隙をうかがっている
テレビは話題のきっかけにしかすぎなくて

 でも話を途中でやめてもいいし
また自分の本を読んでも良くて
沢山の逃げ場が存在している
だけど みんな 誰がいるのか興味があって
どんな話をする人なのか 
それとなーくうかがっている
それがとっても面白い。

 ゴゴはやっぱりつながっていて
なんともいえない カフェ特有の
「独特の連帯感」が存在していて
ここはとっても心地いい。
いる理由なんて何もなくても
閉店するまで居続けていたい。
そうして時を 何かが起こるかもしれないのを
ちょっぴり待って 共有したい
そんな気持ちにさせてもらえる

 やっぱりゴゴは気持ちいい。


 サードプレイスには沢山の種類の人たちがいる
タバコを吸う人 吸わない人も 子連れの私も
おじいちゃんも 団塊の世代の人も
クセのある人も 一見さんも 学生さんも
ときには中学生や小学生も外国人もいたりして
彼らと会話をしなくても
本を読んでいるふり(?)をしながら
ついつい会話を聞いてしまうのは
とても とっても 面白い。


 オルデンバーグの説によれば サードプレイスは
着飾っては行かないそうな たまに着飾って行ってしまうと
常連達から何それ!どうしたの?と言われるらしい
そんな時が あったよね。
ゴゴに通った 私とそこで出会った常連の人は
確かおんなじ日 が 卒業式で
謝恩会に行く前の彼は ばっちりスーツに
花束をもってゴゴに来た。

 ああそうなんだ 卒業したとき
それを祝ってほしいとき 真っ先に来る場所が
このゴゴなんだ 私はとてもそれがわかって
なんだかとても嬉しくなった。
カフェには色んな出会いがあって
独特のルールがある中
ゆっくりと人がつながってゆく
カフェは本当に奥が深くて
行く度に 心を打たれることがある。
dramaticという程でもない
カフェにはカフェの日常がある
だけど 時に dramatic なことがある


 あの人に また 会えるだろうか
あの人はあそこにいるのだろうか
常連さんとは ほとんど話題がなくっても
なんだかとても会いたくなって
ついつい探してみてしまう
出会いがあれば 別れがあって
カフェの客はゆっくり変わる
カフェはサードプレイスだけど
そここそが居場所な人もいる。
息抜きできる程度じゃなくって
そこに住んでる人もいる。

 振り返ったら 私もいくつか
そんな場所を もててたみたいで
それはみんな 京都にあって
それだけでも なんだかとても素晴らしいような
そんな気がする。サードプレイスの特徴は?
あたたかいこと 時に家庭よりも家庭のようにあたたかい。
オルデンバーグはそう言っていた。
本当に そうだと思う。
サードプレイスよ ありがとう。

The Great Good Place! 面白い!!

2010年02月09日 | サードプレイスとしてのカフェ

The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community
Ray Oldenburg,Ray Oldenburg Ph.D.
Da Capo Press


 先日れんちゃんを預けた時から読み始めた
オルデンバーグのグレートグッドプレイスは
はじめて挑戦してみた英語の本だったけれど
まさに今こそ読むべき本で 大変な思いはしても
やっぱりとっても面白い!から ついつい
がんばって読んでしまう。


 今日も もーどーやって時間とったらいいの!!と
半ば怒っていたところ 旦那さんに
「れんちゃん寝た後じゃだめなわけ?」といわれ
そういえばそれもそうかも、、、と気がついて
昼寝の時と 彼が寝てから時間を足したら
3時間弱にはなるかも? なんとか一日三時間
かろうじてだけど時間をつくって 
研究を進めて続けていきたいものだと思う。



 さて グレートグッドプレイスを読んでると
もーこれを読んだ人からしたら私の本は
パクリじゃないかと思われる程に(パクリじゃないです!)
すごく同じことを言っている。
いやむしろ 同じことを考えているといった方がいいのかも
そこまでは言ってないけど 私としては
つまりこういうことだよね!!と勝手に共感してしまう。

 サードプレイスでいかに新参者が常連になっていくか
(でもこれは私の本で書いたプロセスとはちょっと違った)
サードプレイスの見た目は意外とたいしたことがないだとか
(まさにゴゴや私の通っているケヤキはそんな感じだ!)
徒歩でいけるくらい家の近くにないとだめだとか
主人に認められるだけでなく 常連にも認められてなんぼなのだとか
(これは私の本には書いてないかな)


 これを読んでると あーどうみても
オルデンバーグはカフェやサードプレイスに
通った事がある人なんだ!とよくわかる。
こんな人の本はこれまで一度も読んだことがない。
おかしなことに ここまで考えが似ているのなら
参考文献が全く同じかと思いきや
ほとんどかぶってないようで ではどうして
こんなに似たような考えになるのかといえば
よくいる研究者の視点と違って
どう考えても 彼はサードプレイスが好きで
通っていたのだろう。だって「どうやって
カフェで常連になるのか」なんて
どこにもきっと書いてない けど
体験として カフェにいる人は知っている、、、


 こんな人が いたんだなー!
先日この本を読んでいるという話をしたとき
意外にもこの本はそこまで知られてないようで
「それなら美樹さん翻訳したら?」と言われてしまった。
私の英語力では無理だろうけど でも
私だからこそ(感情が入るけど)理解できることも
きっとあるのだろうとも思った。
英語が読めても カフェに対して通ったりとか
熱い思いがなかったら きっとよくはわからない
だけど私はよくわかるから 本当にとても面白い。
オルデンバーグの本をつかって 何かをもっと
伝えられたらいいよなあ!
もっともっと カフェの魅力を分析したいと思っていたら
やっとそんな人に出会った

 不思議なことに 大学院でやってたときは
誰一人としてこの本のことを私に教えてくれなかった
だけどとっても大事な本で もし第三版をつくったり
違う本をかけるのならば この本をもっとリンクさせたい。

 英語なんて フランスに留学してからかなり
さけていたけれど フランス語をがんばった甲斐もあり
意外にも言葉がけっこう理解でき これならなんとか
読んでいけるかも そんな気持ちがとてもうれしい。
やっぱり研究はとても楽しい 研究の醍醐味は
人に伝える事もあるけど 求めていた本に出会って
「そうなんだ!やっぱりそうなんだ!!」と感動するのが
とても楽しい そうしてぐんと世界を広げて
自分の中の確信を深めてまだ見ぬ世界へ向かっていくこと
それがなんだか楽しいんだな!


 気がつけば 環境活動なんかより
よっぽどか長い事カフェの研究をしていたようで
それは一度も 諦めることはなかったわけで
やっぱり私に合っている。
オルデンバーグはすごいなあ 
私も立派なカフェに関する本を書いて
影響を与えられたらいいよなあ
もっともっと 研究を深めていったら
第二弾の本を書ける日も来るのだろうか

 マイケルに出会い スタバの社長の本をよみ
今度はオルデンバーグに出会って
なんだか私のやる気は高まっている
大変だけど 「挑戦すること」少しでも
マイケルの爪のあかを飲んだ気持ちで
一歩一歩 未だ見ぬ世界に向かっていこう。

※『cafeから時代は創られる』まだまだ在庫あります!
ネットで購入しにくい方はalternativeway@mac.com(飯田)まで
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もしくは書店さんで注文いただければ在庫はあるそうです。
ちょっと高いですがよかったら読んでみてくださいね。

語りのサードプレイス

2010年01月24日 | サードプレイスとしてのカフェ
 昨日はとても面白い場だったのだけど
通常の体調で参加できたわけではないから
ああこれだ!と思った事を
ちょっとメモしておこうと思う。

 昨日は出会った人との会話の中で
「うわ すごい これ この言葉!」というのが
沢山でてきた。

 前々からお会いしたかった東大のY先生は
安藤忠雄建築の福武ホールに もともとは
存在しなかったカフェを安藤忠雄と喧嘩してまで
無理矢理つくってもらったらしい。どうして
そこまでカフェに思い入れがあったんですか?と
きいてみたら 先生はなんと言ったのだっけ
カフェみたいな場がないと人が交わらないような、、
先生はとてもカフェという場の機能に思い入れがあるようで
他大学でも学校内にカフェをつくることや
図書館のワークスペースの隣にカフェをつくることで
明らかに以前と違った光景を目にすることがあると言っていた。


 そんな東大の福武ホールのカフェではU Talkという
東大の教授に話をきいて、参加者みんなでお話しましょうという
会が月に一回あるらしい。それだけじゃなく
中原先生主催のNPO主催でも educe cafeというのがあるらしく
そこでは今度新見先生という方がお話をされるらしい。
新見先生には学生時代から興味があったので
行ってみたい気もするけれど、、、2月2日です。
(そこまで実家にいるのだろうか!?)


 東大は今やカフェ的動きやカフェに関する考察の
メッカになっているようで 東大の前には
こんどはlab cafeというカフェがオープンしてて
そこでは7時から深夜まで学生たちが
熱く語ったりしているそうな!いいなあ 
とてもうらやましい!一度行ってみたけど、、、
(子連れで夜のイベントに参加するのはいつも厳しい)


 そんな東大生たちの美しくまとまった発表を
ため息まじりにみていた横で 久々に会った
私の知人のMさんはこう言っていた。
「こんなの東大にとられちゃおしまいだね」
「早稲田とか慶応がやるべきなのにね」
だけど完全にとられてますね!ため息をつくしかないのです。

 Mさんは子供がいるので子育ての話をしてて
「第三の場所もいいけれど 第三の場を大事にするためには
第一の場を大切にしなきゃね」と言っていた。
「どうしてですか?」とあえてきく と
「そりゃ家庭で大事にされて育った子は
社会に出て変な事をするようにならないからさ!」と彼はいい
「それなら三歳児までの母子をもっと社会が大切に
見守ってやるべきだと思いませんか?」と問うてみると
「その通り!」と言ってもらえて嬉しくなった

 そうですよ 少子化なのになんでこんなに
待機児童ばっかりなんだよ みんな
働きたくて もとにもどりたくて
子供を預かってもらいたくて仕方ないだけじゃないかよー
子育てなんて面倒くさいこと 邪魔な事に思われて
もとの世界でもと居たように過ごしていたい
そう思う女性が多すぎるから 待機児童になるんじゃないの?
もっと子供を地域で育てて 母親にも時間をくれて
子供がどこに行ってもいいような
そんな社会になってほしい
「だから私は子供を連れてくんです」と
言ってはみたものの、、、 無理すると下痢になって
一家共倒れになってしまうし イベントはだいたい夜だし
もっと日曜の朝からとかにしてください!!
子供がいるとイベントの質がよくなることもあるんです!
(どうかご検討ください)


 と ついつい熱く語ってしまって
他の人とも 出会うとついつい熱くなり
K先生と話してるとき「僕たちは社会革命家なんですよ」と
言われて あーそのカテゴリーは面白い!と思って嬉しくなった
そんなのもあるんだな

 それにしても「社会変革」という言葉 は
いつのまにか いろんなところで耳にするような言葉になって
私がレボキャンをやってたころは 口にするのも
憚られたのに なんだか「普通」の言葉になった
そんな日ってのが来るもんなんだ、、、


 いつも出会うと示唆に富んだ話題をくれるN先生は
「informal なpublic spaceの逆はformalなprivate space
なんじゃないかと言っていて それは日本で言うと
茶道にあたるんじゃないかと言っていた。
はー なるほど!それで先生はやっぱり茶道派なんですか?
「いやいや 僕はカフェが好きなんですけどね、、」
先生とはいつももっと話を深めたいのだけれども時間が足りない。
日本にカフェ的な文化が定着する日は来るのだろうか
イベントがカフェ化しているような気もするけれど


 私はというと 今回の個人的なテーマは
「憧れの力」だったので  憧れについてちょっと語って
日本はeconomyの力じゃなくって 憧れられる
そんな国になったらいいという話をさせてもらった。
途上国の人たちは先進国に憧れるけど
日本から途上国に行く人たちは そちらにいって
現地の人の笑顔に触れて 「日本に足りない何かがある!」と
確信しつつも 彼らのために援助をはじめる。
それで援助されて学校にいき 大学にいき
都会に流れて 目指す先 は?
アメリカみたいな国なのだろうか
それとも日本みたいに 豊かだけれども
自殺率がとても高くて いい大学を出たといっても
精神的に満たされていない そういう気にでいいのだろうか
それなら日本がもっとモデルになったらいいのに
援助するのもいいと思うけど
だけど日本を変える事 も とても大事だと思う と
レボキャンのときを思い出しつつ語ってしまった
成長率じゃなくっても 文化的な豊かさだったり
人のあたたかさがあるような
そしておいしい食物が豊かにあって
子供達も笑ってて そう むかしモースが
描いたように 楽園のような そんな日本に
なれたのならば 憧れられてしかるべきような国になるのに

 なんだか熱く語ってしまった
あんなにひどい体調だったのに
思い起こせば ほとんど熱く語ってた訳で
カフェについて 子育てについて
これからの日本について
そう思ったら あの場自体が
何かを変えうる力をもった
サードプレイスだったのだろう
あの場にいけば 彼らにあえる
そんな場所が もっと語れる
そんな場所があってほしい。

The 3rd place collection 参加できました!

2010年01月24日 | サードプレイスとしてのカフェ
 結局今日の2時くらいまで布団で寝ていたものの
なんとかイベントに参加させてもらうことができました!
行ったらハイテンションで乗り切れるかな?と思っていたら
案の定(笑)乗り切れて おそろしかった帰りの
電車もバスも特に何もなく帰って来れました。
よかったー!!


 会場についたら顔見知りの先生達も何人かいて
ついお話をしたくなってふらふらとして
いつものとおり 行ってみたらもう始まるだけで
私はみなさんみたいにスラスラしゃべれなかったけど
やっぱりスピーチの勉強でもちゃんとしたほうが
いいかなあと思うけど よく考えたら(?)
三割くらいは大学教授で いつも講義してるんだもん
そりゃおなじ土俵にたてないわ、、、
でももうちょっと上手に話ができるようになりたいものです
恥かしい。。。


 今回は前からお会いしてみたいなーと思ってた
先生ともお話ができ 前から面白いなーこの人と
思ってた人ともけっこう長い事会話にいれてもらえて
話がきけて嬉しかった。
もっともっと話したいなー そう思ってたら時間がたって
他の人たちの発表も気がついたらかなり終わってしまってて
個人的には こういうイベントの裏の方で
こうやって熱く話をしてるのが 一番楽しいと思ってしまう
でも素敵な人たちが一生懸命3分の話をしていたのだから
もっと聞けたらよかったのにな!
やっぱりいつも 時間が足りない

 そして私の場合だけだか
いつももっと話したい人たちとは 
イベントの時しか会えない
それがとてももどかしい

 上田先生とももっとお話したかったなー
熱くマイケルについて語りたかったのに
なんだかタイミングを逃したような
本調子じゃなかったのだから
居られただけでもいいけれど

 この人たちは本当にすごい
この人たちとなら何かが変わる
そんな風にいつも思うけど
もっと話せたらいいのになー


 私の拙い話にも興味を示してくださった方、
声をかけてくださった方、そして
今日の日を応援してくださった方々
Thank you very much!!


カフェセラピー

2009年12月04日 | サードプレイスとしてのカフェ
 今日新聞をちらりと見てたら
私の好きな「人生案内」という読者からの
人生相談のコーナーに「引っ越し鬱」というのが載っていた。
相談をしている人は新居を建ててみたものの
前に住んでいたマンションに戻りたくって仕方がなくて
家事も手につかなくなってしまって 片付けが得意というのに
家の中も散らかり放題で毎日後悔しているらしい。

 それをみてこれだ!と思った
私も引っ越し鬱だったんだ、、、


 ということは 産後鬱に引っ越し鬱が加わって
相当ひどい状況で生きていたということで
こんな大変な産後の人もなかなかきっといないだろうから
(それに本を出した疲れもあったし 産まれた直後から
宣伝活動もしないといけなかった)
私のブログをを読んでた人が「まあ子育てって
そんなに大変なの!!」と思って産んでみると
多分そこまでしんどいわけではないのだろう
(現に私ほど身体がしんどそうだった人には
なかなかお目にかからない)


 そんな私が今は元気で 毎日笑って
れんちゃんと歌って散歩して 
楽しく幸せに生きているのは 一つ大きな理由としては
洛西で行けるカフェを見つけたことにあるのだろう



 私は前から カウンセリングに行くのだったら
カフェに行った方がいいんじゃないかと持論を展開してたのだけど
ここでちょっと書いてみると
私もパリで精神科に通っていたけど
もちろんそこでの経験は とても大事なものだけど
カウンセリングで深い内面をじいっとみつめて
みつめていっても 暴きだされた自分の過去や
自分の暗い思い出は どうしても暗くって
それを意識したって 暗くって なかなか明るくはなれはしない。

 それでもって 消えない過去の出来事を蒸し返し
誰かをせめてしまったり 自分でしんどくなっていたりで
結局それをわかってくれる唯一の人 つまり先生に
精神的に相当たよってしまうから それが危ない
そんなことは 先生たちはよーく知っているのだろう

 だからおそらく カウンセリングに高い対価を
払わせる事で 関係性を少しは対等なものにして
そこだけの世界にとどめようとするのだろうと思うけど
思い返してもあれはこわいし 結局私は帰国してから
過去のことを思い出しては両親を責めてしまって
母を泣かせてしまった事もある。


 だけどそれが何だったかって 結局何にもならなくて
だって過去はかえってこないし やりなおせない
だけど未来は変えてける そのために は
違う関係性が必要で 誰かと関係を結ぶこと
現実に存在している 自分にとっての第三者が
人生にたちあらわれていくとが
本当はとても大事だろう


 そんな時 カフェがあったら
そこに店主がいてくれたなら
ちょっとお金を払うだけ で(カウンセリングの20分の1くらい)
自分の居場所を与えてくれて
”you have a right to be here"といってくれる
何もしなくても ただいるだけで 存在を承認してくれる
そんな場所がカフェであり
そこで店主か誰かと話すこと で それがカウンセリングに
つながっていく 深刻な内容なんて話さなくっても
天気の話をするだけで 深刻な話をしたとき
返事が気のないものであっても 
そこで出会った誰かと会話をするだけで
ベクトルがどこか違う方向に向いていく。


 東大の中原先生は カフェに興味を持った理由で
企業の人がイノベーションを起こそうと思っていても
企業内でだけ話をしているとどんどんインに入ってしまうと
言っていた。そこで社外での行為というのに目をつけてみたんだろうだ。
閉じている関係性で 話を深くしようとしても
ベクトルは深く ちょっと暗く 内省的になるかもだけど
第三者が関わったなら その人が自分の存在を認めてくれて
自分がただそこにいるだけで 喜んでくれるのならば
それだけで人は元気になって なんだかやる気がでてしまう。
(『0から考える経済学』によれば、人は誰かに
気にかけてもらえると能力を発揮しやすくなるらしい
「ケアすることと思いやること」を大事にすることで
会社の業績も伸びるんだそうな)


 そうするうちに 悩みに向かっていたベクトルが
楽しい会話をすることや 自分を活かして
誰かに貢献していくことに 少し変わって
そのとき誰かに「ありがとう」と そう言われれば
それだけで「ああ 私 生きててよかったんだ」と思う。


 結局のところ 鬱というのは 自分の存在意義が
見いだせなくなってしまうとか identetyが崩壊するとか
自分の核が大きくゆらいでしまったときに起こるものだとするのなら
自分が自分になれること 自分が自分であることで
だれかに認めてもらえるだけで だいぶよくなる そんな気がする
「あなたはあなたのままでいいんだよ 
あなたはもうがんばってるよ もうがんばらなくてもいいんだよ
そんなに無理しなくてもねえ あなたのこと好きな人はいるんだよ」
自分が何かになろうとしても 自分と違う何かに懸命になろうとしても
やっぱりなれない そんな時に 人は鬱になるのかも
何者か じゃなくっても そこにいる権利があって
あたたかく見守ってくれる場所があるのなら
それだけで癒えていくのかも


 ほんとかよーと思った方は カウンセリングに行く前に
その分のお金を費やしてみて 自分に合うカフェを
なんとかみつけて ちょっと通ってみてください
一回のお金で20回くらいカフェにいけるとするのなら
その方が効果があるような 私はそう思います

第3の場所

2009年05月30日 | サードプレイスとしてのカフェ

 3月に東大のカフェ研究会に行ってから
上田先生のお話にあった"The great good third place"が気になっていた。
この『第3の場所』のなかにはバーやらカフェやらがふくまれていて
インフォーマルでパブリックな集まりがある場なんだそうだけど

 第3の場かあ みんな求めているんだろうけど
実際のところ 第3の場がなかなかないのは何でだろう


 昨日恵比寿で面白いことをやっている人とカフェについて
3時間ほど熱く語って 日本人の余裕のなさについて話してた。
第3の場があったところで そこに人は来るのだろうか
いやそもそも 日本人って 第2の場である会社という場に
しばられすぎて 第1の場の家庭さえもかえりみれない
そんな状況じゃないだろうか うちにしたって
げんきくんに 第3の場が必要だよ といってはみても
彼にはとても そんな場にいく余裕はなくて
だから昨日お話をしていた人は 「実際に集まれないから
ネットはどうか」と言っていた。ネットだったら
家にいたって ちょっとした時間にみんなが見られるわけだから。


 ネットをする時間はあっても どこかへ行ったり
友人と会う時間はなくて いつもいつも「忙しい」を
連発している日本の人は 何でそんなに「忙しい」んだろ。
社会人になったばかりならわかるけど 私の友人は学生の時も
やたらとみんな忙しくって 東京の人は3週間も前から予約しないと
「ごめんね予定があわなくて!」と会ってはくれないものだった。


 なんでそんなに忙しいのかな みんな一体何してるんだろ
それが今でも不思議でしょうがないけれど


 そんな忙しさの一つの理由に全てのことを自分でやらなきゃ
いけないという 自分にしか頼れない そんな価値観があるんじゃないか
今日げんきくんと電話で話してそんな気がした。

 お金がある人の子は いい教育を受けられて
お金がなかった人の子は 落ちこぼれの道をたどりやすいという
そんなサイクルがいまだにあるのは この社会では
悪い意味での「自己責任」の意識がすごく蔓延してて
子供は一人で育てるものとか 子供は親のお金で育てるものとか
そんな価値観があるからで 誰かと一緒に 誰かが誰かに
手をさしのべてくれるのじゃなく 一人で抱えてやるしかなくて
頼れるのは自分と自分が稼いだお金というわけで
だからひたすら頑張っていて 精神的にも時間的にも余裕がないと
そんな社会のような気がした。

 
 だけども上田先生が カフェ研究会で言っていたように
”How can I do it?"から"How Can WE do it?"という視点に変えれば
もっと楽になるんじゃないか。 私一人じゃできなくっても
あなたとならば あなたたちが一緒にやってくれるなら
そこに到達できるかも 一人ではきっとできないけれど
みんながいるから 時折私が倒れても みんなで上がっていけるかも
そういう思考が とても大事なのではないか 最近すごくそう思う。


 子育てだって 一人じゃできない 研究だって 一人でやるより
誰かと一緒の方がよっぽど進んでいける 家事だって
一人で全部やるよりは 誰かと一緒にやる方が
有意義な時間をつくりだせるから 一人でやるよりよほどいい。

 そうしてちょっと楽な気持ちになったところで
誰かと一緒に 誰かが助けて 自分も助けて
お互い時間のあるもの同士が 支え合っていけるような
そんな場所が必要なんだ それはきっと第2の場所ではないわけで
それこそが第3の場所 今日げんきくんと話してて
私はこう語ってしまった。

「やっぱりね 浜名湖ユースは答えなんだよ。
直感的には 二人で夢を大きく描いて やっぱりこれだと思っていたけど
どうしてなのかわからなかった。たぶん今はその理由探しをしているところで
げんきくんは先生をやっているけれど いつかその経験を
ふまえた上で もっと社会にその視点を還元しないといけないような
気がするな。やっぱりさ 私たちは第3の場をつくるべきなんじゃない?
浜名湖ユースにひかれていたのは そこに答えみたいなものがあったからだよ」

 第2の場所の 学校や職場でもなく いわゆる「地域」や
「公民館」ともちょっと違った 不思議なにおいの第3の場所
浜名湖ユースはそれだった。私たちは夢を見ていた
もう長いこと忘れていたけど 夢があるから それが二人を
結びつけ そうして結婚したわけで。
どこかの途上にいるんだな なんだかふっとそんな気がした
公務員は安定していてありがたいけど それでもやっぱり
いつの日か 自分達で提示して 社会にもっと提言したい
こんな場 が 必要なんだと 
こんな答えがあるんだと。

 
 私はどこにいるのだろうと思うこともあるけれど
私はどこかに進んでる 「カフェ文化」を研究しながら
次の答えへ 次のステップへ 知らないうちに向かってる。

フランスに行くなら

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