今週の水曜の夜、あまりに言うことを
きかない息子に本当に嫌気がさしてしまって
「もーそんなことばっかり言うんだったら
お母さんが出て行くからね!」と言ってた私は
旦那が家に帰ってからもしんどくなって
プチ家出をしてしまった。
といっても1時間くらい外をぶらついただけなのだけど
すると帰って来たら息子は即座に「ごめんなさい」
とあやまって ちょっとはわかってくれたのかなあと
思っていたけど 次の日の朝も私はしんどく泣き出す始末。
そんな私を見かねた旦那は「じゃあ今週末は実家に行くよ!」
と土日に私を一人にしてくれることにした。
「じゃあ朝の4時から行くから、、、」
はあ?朝の4時?なんでそんなに早い時間に
もっとゆっくりしたらいいのに、、、
と案外淋しくなった私には脇目もふらずに
彼らはさっさと出て行って なんだか
置いてけぼりをくらったような 私は
ちょっと淋しくなって さて2日間も どうしよう。
はじめての一人暮らし?
どこかに行くなら別だけど
ポツンと家に取り残されて
どうしていいのかわからない。
いやいや研究しなければ
そのために時間をもらったわけだし
そうは思えど「2日間!!」
何だか長くてまるで大学院時代のように
あまりに時間が存在するから
逆に何から手をつけていいのかわからなくって
結局のところ何にもできない なんだかそんな雰囲気だ。
さて そんな2日間 結局昨日は
カフェを3軒巡ったりして
1軒目では研究をして 2軒目では
カウンターにすわり お姉さんに
主婦生活の愚痴をもらしつつ
彼女の壮絶な専業主婦時代の話をきいて
「大変なのはみきちゃんだけじゃないのよー」と
慰められる。そしていつか子育てについての
文章を書きますと約束し
お姉さんは励ましてくれ なんだかちょっと
元気になった。
3軒目に行ったカフェでは
私の本を置いてもらっているのだけれど
「お客さんがかなり手にとって読んでますよ!」
とのことで またまたちょっと嬉しくなって
このあたりからシンクロニシティがおこりはじめて
ちょっと面白くなってきた。
さて最後にフランス人の友達の送別会が
あったのだけれど 知り合いも一人しかいないし
彼女は他の人と仲良さそうにしゃべっているし、、、と
思っていたら たまたま隣に座った人と
やたらなんだか話があって それから我らは3時間
他の誰とも会話をしないで ひたすらずっと話つづけた。
彼女は日本人なのだけど アメリカに2年住んでいて
保母さんの資格も持ってて また年末からアメリカで
働くのだといっている。こんな若いのに
子育ての話ができて しかも保母さんだし
幼児教育を学んでいるからかなりいいアドバイスをしてくれて
ああそうなんだ 怒ってても効果ないんだ
そうか 寄り添うことなのか、、、と学んでみたり
いっしょに茶化したり遊べばいいのか と納得をする。
彼女はこう言っていた。「結局ね 大人が
早くしなさい!とかって怒るのはたいていが
大人の理由なんですよ」 はー なるほどなあ
よりそって 子供の視点にたってみること
「いい子にしなさい!!」とやたら叱ってみていても
子供の顔はどんどん曇ってくばかりだし
彼らはやたらと抵抗するし どうしようもないんだそうな
「そこは大人が根負けしますよ。だからどう
機転をきかせるか、どうもっていくかなんですよ」
そうなのか、、、 大人が成長するって
そういうことか。
彼女とは山ほど話すことがあり
とっても話があって本当に驚いたけど
別れ際に駅の近くで話していたとき
そういえば「教育」「遊び」「学び」「カフェ」、、、
あれ?私が知ってる先生達が「大人の遊び」って
いってたな、、、と思い出す。
そこらへんから何かが私の中でつながりはじめた
ような気がして、カフェ、遊び、子供から学ぶこと
遊ぶ姿勢、遊びで子供は学んでる、、、
遊び って 一体どれほど重要なんだろう?
「大人」になると 「遊び」なんてほとんどなくって
私は最近バカになれてきた方だから
けっこう遊べてる気もしてたけど
「ちゃんとしなきゃ!!」と意気込んでしまい
「ああしなさい こうしなさい!
あれもだめ これもだめ もう全部だめ!!」
みたいになってしまうと遊びどころではなくなって
「遊び」も子供の想像力も なんだか
「時間の無駄」に思えてしまう。
それじゃあ たぶん だめなんだ、、、
ここは 私 変わるべきかも、、、
よりそうことか、、、そうしてその世界を
一緒に体験することか、、、 子供は小さな
ブロックで遊んでたってそこに宇宙を見ているらしい
そんな豊かな想像力を 一緒にもつことができたなら
それだけで私もわくわくできるし(実際子供と
運転ごっこで遊んでいたとき「ドイツに到着でーす
ああソーセージがおいしいね!」と言ってみただけで
なんだか解放された気分になって
ちょっとわくわくしたりした)私の思考が変化しそうだ。
そう だから 「時間がない!」とか「早くして!」とか
「時間を無駄にしてる気がする、、」と思わずに
子供から学んでみること 子供と一緒に
その世界に入って遊んでみること
そうすることで カフェ文化を研究している
でもまだまだきっと頭でっかちな私が
きっと気づける 何かが待っているのだろう
シュールレアリストたちは幼児期の想像力ほど
すごいものはないのだ と言ってたし
きっとそれらと 創造力と カフェはどこかで
結びついてて それが何かはわからないけど
何かに気づくべきなんだろう。
もっともっと 蓮太郎によりそって
蓮太郎の話をきいて 蓮太郎と考えること
一緒に世界を想像すること
それをやっていたのなら
かちんこちんになってしまった 私の頭は
少しは子供のようになり やわらかくなって
ゆくのだろうか。
「生産的なことをしてないような気がして、、、」と
子育てにかかりっきりのママはつい思ってしまうのだ
とゴゴのお姉さんは言っていた。
でも何が生産的かなんて その時点では
わからないわよ!と彼女は言った。
本当にそうかもしれない。
子供との遊びの中に 何かは隠れているかもしれない
そう 人生は どう導かれるか わからない。
なんだかヒントがあった気がした
見慣れた三条京阪の夜の街角。
彼女と話して 私はなんだか一歩進めた気がする
たまたま隣の席に座った そんな不思議な巡り合わせに
感謝して もう少し 子供の世界を学んでみたい。