alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

I Pad!!!

2011年09月25日 | 想いをカタチに

 今日はついに!!念願のi padを買ってしまいました、、、!

「お金がないのに?」「お金がないから」と普通人は言いますが、、、
そりゃ確かにそうだよなあ それに今度パリに行ったら
一体私はどうなるんだろう 航空券に燃油サーチャージを
足してみる と ああ パリって近いと思ってたけど
めちゃくちゃ遠い、、、と昨日は日本に帰って一番くらいに
パリを遠くに感じてた。


 でもなー 決意すると何かが動くっていうじゃんか
今度パリに住むんだったらi Padは必須だと思ってた。
これがなかったら大変だけど これがあったら
日本の図書館巡りをしないでもやっていけるかもしれないし
フランスの雑誌を読むのもかなり容易にできそうだし
事務所に行く時毎回毎回重いパソコンを背負って行かなくても
大丈夫そうだし、、、 私にとっては必須項目になっていた。


 日本に帰って来てからも 沢山の人に「買いなよー
素晴らしいよ これは必須の文房具だね」と言われ
だよなー 欲しいよ 買うつもりだよ、でも、、、と
思ってた。みんな「買ったらねえ あーもっと
前からもってたらよかった」って思うんだから と言っていた。


 9月中には買おう、、、と決めてはみたものの
それでもなかなか決意はできず、先週今から買いに行こう、と
思ったところで山の様な荷物が届いて断念し その中から
フランス語の本も沢山出て来て あーまず紙媒体で
読めってことか だよなあ やるべきことをやってから?
と思ったけれど


 先日の激しい台風で家に帰るのに3時間ほどかかった私は
電車の中や駅構内でi phoneをいじくりまわしている人たちを見た。
そんな中で私はといえば i phoneもなく もってる携帯は
電源が切れかかり 乗り換え案内で運行情報を見たいけれども
もうちょっとで電源切れる?どうしよう、、、と途方に暮れる
そんな始末。まあでもいいや 疲れてるけどフランス語の本読もう、、
と思っていた矢先 私の目の前に座っていた男の人がおもむろに
バックから取り出したのはi pad。 熱気むんむんでなんだか嫌な
ムードがただよった電車の中で 涼しい顔して彼はインターネットを
はじめて仕事をしだし 一段落ついたのだろうか またそれを
しまって眠ってしまった。。。


 これだよこれ!!! なんかインテリな感じじゃないか
iphoneで運行情報もいいんだけれど なんだかi padは空気が違う
これがあったら どこにいってもフランス語に触れてられるし
カフェがまさに仕事場になり 蓮太郎が寝てる間にフランス語の
雑誌がよめる!!合間にはフランスのラジオのポッドキャストを聴いて、、、


 これは買えってことだなー。。。


 その後もいろんな「やっぱだめかも」はあったものの
もう買うと決めたんだ、いいじゃないか!と意を決して買ってみた。
このえいやっていう感じはちょっと フランスで航空券を変更したときに
似ている気がする。どうなるのかはわからない でも大きな
選択をした。あのとき私は自分にこう言った。「券を変えることは
人生を変えること?」そうして私はこう思った。「i padを持つことは
生き方を変えること?」そうそんな気がする。


 昨年の夏 フィンランドの空港で 私はパソコンと
スーツケース片手にいろんなところに行ってしまって
空港で書いて仕事する そんな人になれたらいいなと憧れた。
あの時はたくさんのものが夢だった いまだってそれはまだ夢だけど
もう少し それらを現実に近づけていく時期のような気がしてるんだ。
i Padは革命的だ。私は夏にもう自分の中で革命みたいなのがあったから
今度は行動をおこす時期なのだろう。そうスーパーで今日私の
耳にこんな言葉がやってきた。


 「人はかくあろうと意図したものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ、、、」
サルトルのそんな言葉 どうしてそれがやってきたのか
わからないけど 意図だけじゃない 夢を見る だけじゃない
投企 行為 現実化 行動を変えること なんだなあ、、、、


 目の前にあるi Padからは あまりに美しい radio classiqueの
曲が流れる。 この曲を聴いたとき もうものすごく遠くに
行ってしまったように思ったフランスは 再びものすごく
身近に感じられて なんだか不思議だと思う。
心理的距離感をなくすこと そしたらそれが
ほんとうに近くなってくるのだろうか 壁というのは
自分がつくっているだけなのならば グローバリゼーションがもたらした
沢山の仕組みは価値観をぐわんと変えるだろう
世界は確実に存在してる 沢山の国が 生き方がある
それが同時に行われてる 地球はまわって
国々には時差があるけど みんな今 違う場所で生きている
それがとっても不思議だけれど それが事実 なんだなあ
私には想像すらできなかったけど 私もだいぶ変わって行った
思考が変わると 見える世界や これから起こる世界も
変わるのだろうか だとしたら 夏の変化もこれからも
私にとって きっと革命なのだろう。

チャンス

2011年08月27日 | 想いをカタチに



 人生においてチャンスというのは
あるとき突然やってきて それに
乗れるか乗れないか の 波なのかなあと
思っていたけど よく考えたら
もっと身近にチャンスというのは転がっていて
それを見る目があったかどうか
聞く耳を持ってたかどうかなのかもしれないな、と最近思った。


 「あんたは人の話を聞いてない」と
私は何度か言われたりして どういうことか
よくわからないこともあったけど(ちなみに
動物占いはゾウで耳は大きいけど話を
聞いてないと書いてあったのを覚えてる)
聞いてない というのは聞いているけど
実行していない ということだったのかなあ。


 今にして思えば私の友人でいつもいろんな
面白いことを教えてくれたF君がいて 確か
私にワールドカフェを教えてくれて(しかも
その本もくれた)フェイスブックを使えと言って
本を電子書籍化したらいいと言い 一番はじめに
本を読んでくれていい感想を教えてくれて
iPadを日本ではじめて私の目の前で見せてくれたのも
ぜーんぶF君だったなあ。そして彼は私と話す度に
面白いアイデアを色々と教えてくれたのに
私はといえばよくいろんな理由をつけて
実行に移さなかった。そして実行に移すまでに
1年かかったり まだしていないこともけっこうあって
「あの時すぐにやっていれば、、」と
今更ながらに思ったりする。


 彼は先見の明があったんだなあ フェイスブックも
彼はもうほとんどやってないけど 私がやりはじめたころは
まだまだ周りでは流行ってなかった。お陰でいまでは
だいぶ使い方がわかるようになっているけど
そういうのも 誰かの忠告を聞いて実行したからなんだなあ
ブログだって 友達が「ミキさんはブログにした方がいい」と
進めてくれて「そんなたいそうなことできないよ」と
言っていたけど「1分で作れるから!」と教えてくれた。
そうしてもう3年以上やってるわけで それも友達のお陰です。


 みんなアドバイスをくれるとき は その人の
ことを思って その人がこれをもっと活かしたらとか
これを使ったらきっと面白いことができるだろうとか
もっとイキイキ面白いことやってくれるんじゃないかとか
そんな想いで誰かのために話してくれる。
なのにそれをやらないってのは チャンスをみすみす
無駄にしている そういうこと なのかもしれない。
みんな親身になって相談に乗ってくれたのに。


 「ものごとの実現を遠ざけているもの それは
何よりもあなたの思考です」というようなことが書かれてた。


 たしかにそうだ 誰がどう と言ったからって
自分で「それは私には無理そうだ」とか「今は
そんなお金がないとか」(でもi pad 欲しい!)
「それはちょっと私にはハードルが高いんじゃない?」とか
そういう理由を何かとつけては つい拒んでしまうのは
他ならぬ自分なんだなあ。


 もし彼らが言ってたことを 次の日くらいに実行してたら?
いろんなことの動きはもっと違っただろう。
私の友人は夢を現実化していくためには手帳をうまく
使うんだ と言っていた。それで2週間くらいは
なんとか乗り切ったけど そのあとドーンと悩みに
打たれてしまって手帳どころじゃなくなってたら
1ヶ月くらいボーッとして過してしまった。
だけどまたこんなんじゃいかんと 手帳を使い始めたら
悩むよりも行動しよう とちょっと動きが早くなる。
カーネギーも言っていた。「とにかく行動に移すこと!!」
そう そうなんですよ ね 理由をつべこべ作っていないで。

 やっぱりipadとiphoneをどうにかして手に入れよう。
それからいろんなことの計画をもっとクリアに練ろう
そしてしっかり行動に移していこう。悩むのも
うじうじするのももう終わりにして とにかく
次のステップへ移りたい。


 できるか?できないか?Can I do it?じゃなくって
必要なのは How can I do it ?という姿勢らしい。
どうやったらできるだろうか?お金がない、ではなくて
どうやったらそれを手に入れることができるだろうか と
考えることが大切らしい。まずは 欲しいとか
やりたいのだと言ってみること?それからひたすら行動だ。

前向きな力

2011年08月24日 | 想いをカタチに


 今日は役所に行ってきて 今日もきっと
いいことがあるし大丈夫 と 思ってはいたものの
いろんなことを聞いてくほどに ちょっと
それはないだろうとか かなり辛くなってきて
目の前で私に話をしている人にすがったところで
どうしようもないのはわかってるけど
それじゃあまりに辛いです と つい言いたく
なってしまって でもそんなことも言えないし
もう無理に笑顔をつくって ありがとうございましたと言って
私はトイレで泣いてしまった。


 前向きになろうとしても ポジティブになろうとしても
大変なことは大変で それでも私は基本的には
泣くのはやめて 後悔するのもうじうじするのも
やっぱり時間の無駄だった し それはそれで
悪い影響を引き起こすことがわかったわけで
それはやめようと決めたけど なかなか簡単なわけじゃない。


 それでも頑張って前を向こうと電車に乗ると
母から電話がかかってて 「今から蓮太郎とカフェに
行こうと思うんだけどね 一緒に行く?」と行ってもらえる。
それで駅で彼らに会うと「今ねえ 虹が出ているのよ!」と
教えてくれる。「ほらね ママー」と息子は私の手をひいて
大きな大きな虹を指差し 3人でちょっと眺めてた。
「これからいいことあるといいね」私はそんなことを
言いながら あとになってちょっと思った このこと自体が
いいことなんだ。そうきっとこうして3人で虹を眺めて
前向きな気持になれたこと こうして一緒にいれたこと
それ自体 が 幸せということなんだ。


 今日はいろんな想いや憤りさえこみあげてきて
もーこうなったらフランスに行ってやる!と決意をしたり
したわけだけど でも物事には悪い面もあればいい面だってあるわけで
人間に 悪い人なんていなくって 悪い面もあるけどいい面もあるのと
同じで 物事の悪い面ばかりみていたら悪く思えるけれど
いい面だってあるはずなんだ フランス語にはProfiter(プロフィテ)という
言葉があって 活かすとか、堪能するという意味なんだけど
profiterすればいいじゃないか。どこにだって いい面がある
それを活かして吸収したらいいじゃないか。
そう思ったら なんだか悪くないかなとも思えてくるし
いい面が見えるとありがたいなと思いはじめる。


 そうやってやっているうちに 自分の中から力が出たのか
もうなんとかしてやる!という気になって 本気を出そう
力を出そう できる限りやってみようという想いが湧き出はじめた。
そう本気になったら 私には力があるはずなんだ。
本気でフランス語をやったから あれだけ飛躍的に伸びたじゃないか
人の想いは山をも動かすのだという。本気でやること
悩んだり 鬱うつしたりして時間を無駄にするんじゃなくて
本気で何かに向かって行くこと それなんだよね。


 閉ざされているかのように思える道には
何か意味があるのだろうか それは道はそこではなくて
お前が前から言ってたところにまっすぐすすめということだろうか
そのために?は? 時間がないとか 焦らなくてもいいとか
人は言ってくれるけど 人が本気になったなら
1日は実はけっこう長い。本気になったら あんな重たい本だって
3ヶ月で書ききれてしまう。本気になったら?3ヶ月で
早稲田に受かる。想いと本気 その両方が 大切なんだ
想いというのは 描くちからで 本気というのは
夢を現実化させる力なのかもしれないな。


 くそーこのやろー!今に見てろ
やってやろう!と思った時に 私は力を発揮するらしい
今日読んだ本には人に何かをさせようと思ったら
「あなたにはそれはできませんよ」と言うのがいいと
書いてあった。確かにそうかも。そんなことない、
そんなんじゃない、今に見てろ!そう思った時 人はすごい力を
発揮するのかもしれないな。私はちゃんとお金を稼ごう
そしてパリで仕事がしたい。それからそう、いつの日か
日本の未来の役にたつような視点や思想を伝えたい。
こんな生き方もありなんだって それも可能じゃないですかって
特に女の生き方を。この国の生き方とは全然違った
だけど自由で私が惹かれてしまう生き方を
そしてフランスから学べる素敵な視点を
いつか日本に伝えたい。そういうことができるよう
私はそこに 向かって行こう。

シンクロニシティ

2011年08月19日 | 想いをカタチに
シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ
金井壽宏,野津智子
英治出版



 昨日から友人に貸してもらったジョセフ・ジャウオースキーの
『シンクロニシティ』を読んでいて ああまさに 今私が
読むべき本だなあと思わされ この先何かに
導かれて行くのかなあ という気になったりもする。


 シンクロニシティといえば 私にはまだ解けてない謎があり
昨年の6月にパリに行った2週間で あまりにも、そう
乗った飛行機で出会った人にはじまって 最後の最後まで
色んな出会いがあって 私の人生は変わってしまった。
あのとき沢山のシンクロニシティやヒントがあって
私には何が起こったのかわからなかった。
どうして私は? どうして私は 「チケットを変えること
それは人生を変えること」なんて口に出してしまったのだろう
それから人生が変わることになるだなんて 予想だにしてなかったのに。


 とはいうものの、いくら自分が望んだとはいえ、
人生を変えるのはとても怖い。この本の著者も書いているけど
「私は自分の運命を否定しつづけた。自信がないために。
つまはじきにされる恐怖のために。不安のために。思い切った
行動をする勇気がないために。私は、同輩たちと同じように
しなければという、胸の内で感じている重圧に負けそうに
なっていた。どこか心の奥底で、私は悟っていた。
運命と協調するのは大きな責任を伴うものだということを。
しかし不安に思うあまり、その責任を引き受けられずに
いたのだった。今ならわかるが、私に求められていたのは自分の
運命を作用させることだった。」(p114)



 どうしてあのとき 我が家に来たこともない友人が
2泊もしてって私にフランス行きについていろいろと
説得していったのだろう 私に説得をした彼の顔は
なんだか恐ろしい表情で そんなことがパリでも起こった。
「その予定はキャンセルしなさい。君はこっちにくるべきだ!」

 どうしてそんなことが起こっていったのだろう
人生において 友達から怒られることなんてめったにないけど
それらの経験は なんだか神様が友達の身体を借りて
私に訴えに来たかのようだった。どうしてそんなことが起こるのだろう


 シンクロニシティがはじまっていくと扉がひらく。
そう そして 実際に 重い扉がギィと開いた
そんな感覚を持ったんだ。



 でもそれを自分の怖れや不安がぐちゃぐちゃにしていってしまって
いつしかうまくまわってたことがうまくいかなくなってしまう。
それでもやっぱり大切なのは 心を開く ことらしい。


 私はパリで ヒントになるような話を偶然沢山聞いた。
どうしてあのとき レストランで食事をした知人の旦那さんは
私が理解できないというのに 最新の物理学の話を私に
力説しつづけ このコップは存在しているようでしていないとか
世界はとても揺らいでるとか 結局私が理解したのは
なにごとも 確かなものはないという rien est surということだけで
その言葉 を 私は車のなかで繰り返してた。

 もしそれが 世界の真実なのだとしても
まわりの人たちはsur(確実)なものばかり求めてた。
家を買って 35年ローンを払って 保険に入って
地震で大変なことになっても それでも人は 保証とか
変わらないもの 確実性を 求めてしまう
もしそれが 真実とは違っていても だって
rien est surだなんて 確かなものは 何もないだなんて
じゃあ何を信じたらいいんだろう?私はそれが怖かった。


 だけどきっと もっと心を開いたら
導かれるままに導かれたら 異なる世界が待っている。
パリに行って はじまってしまった私の道は
まだ終わってなんかいないと思う。小休止 は しているけれど
あれで終わりじゃないと思う。私はわけがわからなかった
どうしていったらいいのかも だけどそれがクリアになったら
またpartirするのだろうか また時がやってくるのだろうか

 1回目にパリに行ったあと 私はノートにこう書いた。
「自分自身であるってどういうことなんだろう?
無理しないこと!
自分の内なる声に従うこと?
自分が気持に素直になってそれに従う勇気をもったら
多分神様が助けてくれる
今回の旅はそうだった。
8万円くらい支払ったけど
でもそうしなかったらなかったことが一杯あった。
そういうことは 決めてみるまで予測なんてできないし
決めた直後には後悔したりもするけれど
自分の素直なきもちに 勇気を出して従ってみたら
きっと神様が助けてくれる。
そこにはシンクロニシティだったり奇跡だったり
いろんなものが起こるんだ。」


 私が変わり ものの見方を変えて
もう一度心を開いたら シンクロニシティは起こるだろうか
奇跡は起こってくれるだろうか 素晴らしい未来が
出現するのを もうそこだよって 待っててくれたらいいのだけれど。。。

言葉の力

2011年07月25日 | 想いをカタチに


 この夏おそらく人生の転機を迎えようとしている中で
言葉の力ってすごいなあとか 思考は現実化するんだなあとか
生まれてはじめて(やっといまごろ)口は災いの元なんだなとか
思わされ 思うこと 強く願うこと そしてそれを
口にすること 誰かに言うこと


 そういうことで すごく世界が動いてくんだって

 実感としてわかってしまった。

 それはいいことであったり
あんまりよくないことであったり
本当に自分に跳ね返って来るというか


 嗚呼 たしかに、、、

 そう たしかに それは私が言った言葉だ

 嗚呼 たしかに、、、

 たしかに私はそうしゃべっていたなあ

 どれくらいの意図があろうとなかろうと

 言葉にしたことはいつか形になるようで

 もしかすると 強くイメージして願ったことも

 神様にお願いしたことも ある時突然

 バーン どうだ!と目の前にそれが現れたりして

 その時心の準備ができていなくても
 試されていたりする それで お前はどうなんだ

 だってお前がこう言ってただろう

 どれくらい本気だったんだ? って


 一年ぐらい前からか なんだかいろんなことが起こって
あれはワクワクしたからだろうか どんどん色々加速して
私の肩には色んなものが乗っかっていて
どうしていいのかよくわからない


 それでも? それでもお前はやるのかい?って
神様に問われているのかなあ 今程言葉の力や想いの力を
実感している時はなくって だからこそ
いいことばを使うこととか いいイメージを描くこと が
どれほど大事なことなのか わかりつつあるのだけれど


 何かがどんどん加速してくと

思っていたより 人は早く それを手にできるようになるのだろうか

きっと昔より 早いスピードで 何かに出会ったりできるようになるのだろう

今の私には まだわからないことが沢山だけど

 それでもちょっとわかるのは 私が早稲田に合格したのは
「私は早稲田に受かる」とみんなに公言していたからなんだ
公言しはじめて4ヶ月くらいで私は早稲田に受かってしまった
もちろん努力だって沢山したけど あまりに不思議なことだった
今ならわかる あれはやっぱり言葉の力だったわけ で
だったら言葉の力は使った方がいいんだなあ

 なるべく幸せになるように なるべくいい未来になるように
なるべく自信をもてるように 私も変わっていけるだろうか
どうであれ 発してしまった言葉から 世界が動いてしまうのならば
なるべくいい言葉にしよう 自分にもいい言葉をなるべく発しよう
私は変わっていけるだろうか 変わっていこう
変わっていける 言葉の力 いい方に もっと使えるようになろう

ポジティブな気持

2011年07月13日 | 想いをカタチに


 相変わらず人生どうしようと思っている私は
本屋に行ってはポジティブシンキングの本を読んでみたり
電車に乗ってはカーネギーの「道は開ける」を読んでみたり。

 友達にも色々と相談にのってもらって(ありがとう!!)
うーんこうしたいかなーとか うーんこんなこと
できたらいいなとか そうだお茶会やりたいねえとか
色んな話をお酒飲みながらしたりしてると
私もアハハと笑えたりして あれ 私
日本でこうして笑えてたっけ?笑えるのかしら
そう思えて嬉しくなった。


 カーネギーの「道は開ける」はもう本当にいいことばっかり
書いてあり まさに今私が読むためにあったのねという感じで
「楽しそうな振る舞いをするとだんだん楽しくなってくるから
口笛でも吹いてみると良い」と書いてあり ほんとかよーと
思いながらもバスを降りて口笛をひさしぶりに吹いてみる と
わーお なんだか嬉しい気分!これはすごい。


 いやー今日は念願の居酒屋にいけて楽しく語れて幸せだったなーと
思いながら家に帰ると なんだか気持もよくなっていて
すごいなあ 人間の感情って こんなにも変化可能なものなんだと
私はとっても驚いた。私はずっと感情に振り回され続けていたけれど
そして身近な人に迷惑をかけていたけれど(ごめんなさい)
感情って コントロールできるものなんだ。。。

 私はいろんな自分自身の痛い経験を通してよーくわかった
自分の感情に振り回されると自分が本当に苦しめられる
それをカーネギーは「生き地獄」と呼んでいた。そうなんだなあ
そんなものに振り回されているほど人生は暇じゃないんだそうな
今の私には身にしみてぐっとくる話が山ほどのっていて
ああそうだ 全くそうだ じゃあこうしてみよう と思わされる。


 そんな風にちょっとポジティブになっていったら
なんだかわくわく的なエネルギーがやってきて
そうだ パリの日本人に会ったとき 私は何者でもなくて、、、と
一人で落ち込んだりしていたけれど パリの日本人は
すごい人がいっぱいいるけど そんな人とお近づきになれて
嬉しいと思えばいいではないか 日本では広すぎて
なかなか出会えない様な すごい仕事をしている人たちが
パリには沢山集まっていて そんな生身の人に出会えるチャンスがあって
憧れられたらいつか私もそうなれるかもしれないって
そう思えたらいいじゃないか 「ああ私は、、」と
思うんじゃなくって「すごいなー お話できて嬉しいなあ」と
思えたのなら きっと面白くなるのだろう。


 パリのカフェにまつわる仕事をさせてもらえてること
代表に信頼してもらえていること 一緒にいろいろ
まわらせてもらえたことも それだけですごいことではないか
翻訳だって早くなったし いろんなことが できるようになったんだ。


 あーうれしいなあ すごいなあ こんなところに
こさせてもらえて光栄だなあ そう思えたら全然気分も態度も
違うのだろう もし口笛を吹くだけで こんなポジティブに
なれるのだったら 明日も口笛を吹いてみよう。

道は開ける

2011年07月11日 | 想いをカタチに
道は開ける 新装版
デール カーネギー,Dale Carnegie,香山 晶
創元社


 今日はカフェに行ったり近所の本屋で
ポジティブシンキングだったり折れない心についての
本を読みあさったりして いやー これ
痛いほどよくわかるなあこのネガティブスパイラルに
恐ろしい不安やらネガティブな感情のもつ強い力
もういい加減人生を変えなければ!!と
決心し そう この夏 私は人生を変えようと
けっこう決心しているのです うん そのつもり。。。


 そんな中 今日以前からすごく惹かれていたタイトルの
『道は開ける』という本が実家の本棚にあったので
ちょっと読んでみようかなーとやることそっちのけで
読み始めたら まさにこれ!!!という感じ
私がうれしかったのは 悩みの解消方法が載っていたこと


 この3ヶ月 沢山悩み 涙を流し
ネガティブになったりポジティブになったり
自分の感情に振り回されて 何がなんだか
わからなかった。悩み?悩みだらけですよ
だれかどうしていいか教えてくださいと思っていたら
この本には悩みの解消方法が載っていた。

 そこにはこう書いてある。
「幾度も経験を重ねた結果、私は決断に達することがいかに
大切であるかを知った。はっきりとした目標を決める
ことができず、いつまでたっても考えがまとまらずに
堂々巡りを繰り返す。それが人の神経をずたずたにし、
生き地獄へと追いやるのだ。明確な決断に達すれば、
即座に苦悩の5割が消え失せ、その決断を実行に移すと同時に、
残りの4割が蒸発する。つまり、次の4つの段階を踏めば、
悩みの9割を追い払うことができる。


1 悩んでいる事項を詳しく書き記す
2 それについて自分にできることを書き記す
3 どうするかを決断する
4 その決断をただちに実行する」

(カーネギー『道は開ける』p60)

それからもう1つすごいなと思ったこと

1 起こりうる最悪の事態とは何か と自問すること
2 やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること
3 それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること

(同上p35)

 これはやってみるのが恐ろしいけど
やってみるとすごく事態が好転して、戦時中に
殺されるかと思った人が生き延びたりもしたらしい
それならば 怖いけど私もやってみようと
早速ノートにちょっと書いてみたら
あれ? 不安だ不安だ こわい 私にはできないと
思ってたけど 別に死ぬわけじゃないんだな、、、


 もののけ姫の台詞の中におときさんが「生きてりゃ
なんとかなる!」というのがあってかなり心に残ったのだけど
この本によれば会社が倒産しても何年働けば返せるとか
考えたら事態が好転した人が沢山いたらしい。
それで私も不思議なことに 最近ずっと鬱々してたのに
なんだか気持がはれた気がした!


 そう ネガティブな私にだって ポジティブイケイケ
モードな時はあるわけで 受験のときは「かかってこい!」
と思って答案用紙に向かって行けた。そしたら模試でE判定だった
早稲田の試験に5つくらい合格することができてしまった
そうきっと 「かかってこい!」と思えたら
不思議な力が湧いて来るのだろう。


 ずーっと私は不安になってた
何もかもが怖かった できない 無理だ 強くない
そんなことの繰り返しだった だけど自分で決断すること
その大切さを最近よく身にしみてわかって
じゃあどうしようかとまた悩んでた
カフェに行って悩めるだけ 悩みはクリアだったのかも
しれないけれど。不安や悩みをもっとクリアで
対処可能なものにしたら 人は乗り越えて行けるのかも。


 私はもっと自分に自信をもっていたい
大丈夫 できる 大丈夫って
何かあっても?助けてくれる人がいるかもしれない
そう思って生きていたい 旅に出る前は何もかもが
不安でならない でも出てみたら意外と人間は
優しかったり だから意外となんとかなることもあるわけで
もう不安とかに振り回されて生きているのは嫌だなあ


 自分の中の色んな感情 いろんな想い
もっとそれらに振り回されずに 毎日笑って生きていたい。


 追記ーーーーーーーーー

「不安」「ネガティブスパイラル」で検索にひっかかってくれた方へ

 意外にもそういう検索ワードでひっかかる人が多いという事実に
驚いていますが それはつまりそうなってるのは私だけでも、あなただけでも
ないということなんですよね。私はこの記事を書いたときは
不安 ネガティブのまっただ中でもうどうしていいか
わかりませんでしたが、だいぶ感情のコントロールが
できるようになってきました。ネガティブに物事をとらえたり
悪い言葉を発しているとどんどん現実がそうなってしまうみたいですよ。
実際私はポジティブにものごとをみようとして、「大丈夫、
きょうもいいことがある!」「素晴らしい日になる」と
思っているとそうなりますが、ついうっかりネガティブがでてきて
それに身をまかせているととんでもない1日になったりします。

 それくらいネガティブとポジティブでは差があることが
実感としてよくわかりました。ネガティブを続けない、
スパイラルに陥らないためには「気持を切り替える」ことが
一番大切みたいです。怒りやネガティブな感情はそれを
持続させると次の日くらいまで悪影響を及ぼします。
それが大きくならないうちに違う 素敵なイメージを
浮かべてとにかく気持をそこに集中させないことが大事みたいです。

 ポジティブなことよりもネガティブな気持は容易に強い
感情をともなってそこに意識が集中してしまいやすいと思います。
そうなるとどんどん悪化する現状がでてくるようなので
みなさんも自分一人じゃない と思ってちょっとでも
スパイラルから抜け出せるように気持を別のところに
向けて気分よくなってみてください。一緒にがんばれるといいですね。

 ちなみに私は最悪な状態だった一ヶ月間『ザシークレット』
という本を持ち歩き、それを読んでいろいろ頭の中を変えた日は
だいぶいいことがありましたが、まあもう平気かと思って
読むのをやめ、気がついたときにはいつものネガティブに
戻っていたということがありました。明らかに差があったので
(そしてこの先ももっと差があることを祈ってますが)
本当に自分ではどうしたらいいのかと思っている人にはおすすめしたいです。
人生が開けてきたら私の場合はカーネギーよりもこちらの本の
おかげだろうなと思っています。

Made in Dream

2011年07月09日 | 想いをカタチに


今日は息子とうちの父と一緒に大宮の
鉄道博物館に行って来て たくさんの
夢のある蒸気機関車やディーゼル車やら
昔のめちゃくちゃかっこいい客車を覗いてみたり
いやー鉄道ってロマンがあるなあ
なんだかやっぱり 好きだなあ
旅したいなあなんて また想いをはせていた
(かつて高校生の時にわけもわからず行ってみた
横川 軽井沢間のディーゼル機関車の歴史と意味も
わかってためになりました)


 さて そんな中 もうカフェにでも
行きたいなーと思い始めてたら
プラレールみたいなミニュチュアの電車が
動くシアターが開催されてて 息子と行かない
わけにはいかない。それで話をきいてたら
Made in Dreamとおねえさんがアナウンスで話してた。

 Made in Dream?なんだか素敵な響きじゃないか
これは「はやぶさ」か何かの話らしいけど
鉄道の歴史というのは夢をみて不可能を可能に変えて
困難を乗り越えて実現化させてきた歴史なんだと言っていた。


 そうなんだ、、、!!


 夢って 困難があって当たり前のものだったのか。
不可能だと思ったから 難かしいから諦めるというものではなくて
それを困難に困難を重ねて乗り越えて行くものだったのか、、、!

 それが現実の 鉄道だったり 色んなものの発展してきた
歴史なんだな 誰かが夢みて こんなものがあったらいいと
いつかこんな風になったらいいと思ってた
だけどそんなの遠い夢の話だった そんなの無理だと思われていた
けれどもそこには 諦めなかった人たちがいた
そうして困難に何度もぶちあたったけど
そのたびにそれを克服してきて
それで今があるんだなあ、、、


 それは遠い世界の話じゃなくって
私たちが使ってるパソコンだったり 電車だったり
橋やトンネルだったり(今日はやたら長い首都高のトンネルを
初体験しました。あんなのつくってたんですね!)
携帯やビルだったりスカイプだったり?
とっても身近にあるものたちは
かつては遠い夢だった でもそれを
実現してくれた人たちがいた。


 それってすごいことだよなー


 夢なんて ってちょっと思ったりもしてはいたけど
人間の夢の力とか意思の力って かなりすごいものなんだ、、、


 この世界に生まれおち 当たり前だと思っていたもの
それらは100年前には何も当たり前じゃなかったわけで
誰かが夢見て 誰かが変えてきたんだな


 ワクワクしたり 面白そう!と思ったり
やってみたいと思えることや 遠い夢に思えること
いつだって 夢には距離があるわけで
それを乗り越えて行くのは大変だ
でもだからといって 困難だからといって
ダメだというわけじゃないんだなあ
困難だから諦めていたら スタバは日本になかっただろう
スタバの社長が「こりゃやっぱり無理だ」と
自分の行動を起こさなかったら
こんなに日本がスタバで溢れる日なんてなかっただろう
彼は激しい困難にもめげずにやってみたから
今みんながスタバに集えるようになったんだなあ
まさか日本にも広がるだなんて 
そのころには想像もしてなかっただろうけど。


 私は困難だったら諦めるもんだと思ってた
でもそうじゃないんだと今日偶然知って
それだけでも来れてよかった。困難だけども
やってみて いつの日かそれができたら
そのおかげで笑える人がいるかもしれない
新幹線も飛行機も 電車もバスもスタバも
あってくれてありがとう。

あれから1年

2011年06月07日 | 想いをカタチに

 もうこの頃で 昨年にフランスに旅行してから
1年が経ったよう で いったいこの1年は
何だったのか 何かが激変したような
でも自分自身というのはたいして変わってないような


 何ごとか が急速に動き始めてしまったの は
きっとわくわくしたからで あの時カフェで会話していた
いつかパリのカフェのガイドがしたいとか
オルタナティブな暮らしのガイドがしたいとか
そんなこと に わくわくしていたからなのだろう。


 子供を産んで わくわくすることをすっかり忘れてしまった
私が 昨年の2月に行った「未来をつくるワークショップ」で
「何でも叶うなら何がしたいか?」と問われたときに
一人だけとんちんかんに「パリのカフェで議論がしたい」と答えてた
そんなの夢のまた夢で雲の上の世界だったし
いつの日か ワインのシャトーの見学を という想いも
そんなの夢のまた夢だった。


 パリのカフェで議論?ねえ

 私に勇気があったなら もっとやっていけるのだろうか
私には言葉が足りないといつも思ってしまうけど
「言葉の問題じゃないんじゃないの」と友人に言われてしまった
足りないのは勇気とか 積極的に働きかけようとする姿勢なんだろか


 この1年で 全くもって知らなかったワインのことやら
フランスの料理のことも だいぶ勉強させてもらったし
フランス語だって かつてはラジオを聞くのも嫌だったのに
今ではだいぶ上達しているはずなんだけど
変わったの は 頭の中身だけなのかなあ


 結局私は勇気がなくて 結局のところ弱気なままで
強気な風によそおってみても 本来の私は弱っちく
しょっちゅう涙をながしたりして でも泣いてこそ
強くなるような 私はそんな人の様な そんな気もするんだけど

 ポジティブになって わくわくしていて
楽しそうにしていたら いろんなことが叶うのだろうか
そういうことをつい遮ってしまうのは 理性とか
固い思考なんだろか そう 私は だいぶ保守的になってしまって
それがきっと エネルギーが あるかもしれない
イイダミキという人を 自分でブレーキをかけてしまって
「ほらだからね 結局何もできないじゃない」と
そうしてしまうのかもしれない。


 この1年で いろんな風に進んで行って
ものごとは変化したけど 保守的な私はいつも歯止めをかける
それはちょっと無理だろうとか 保険はいったいどうするのかとか
そんなこと言ったって やっぱりそんなに簡単じゃないだとか
そう できない理由を数え上げればきりがない。
だけど少しずつ ステップを描いて行ったなら?
何かはかなっていくのだろうか 全部遠い未来が
いっぺんにふってくることはなくっても

 私はフランス語のpetit a petitという言葉が好きだ
響きがとってもかわいくて「プチタプティ」と言うのだけれど
少しずつ という意味で うちの事務所の人だとか
たまに会話をしているときに「全てはじめからできないけれど
petit a petitやっていけばいいのよ」と言ってもらえると
ほっとする。


 そう思うなら 少しずつでも進んで行けるのならば
この先どこかに行けるのかなあ 諦めるのは一番楽だ
諦めるのは一番早い でも それが本当に楽なのかって
それも私にはよくわからない どっちにしたって泣くのなら
泣いたあとポジティブになれる方がいいのだろう。


 あまりにもいろんなことがありすぎたこの1年
これからどこに向かって行くのか 私にはよくわからない。

蓮太郎と二人

2011年03月30日 | 想いをカタチに



 まさかこんなことになるとは、、、

 2ヶ月前には夢にも思っていなかった

 まさかこんなことになるとはという状況は
きっと日本にいる誰もが思っていることなのだろう。


 私の場合は 何ヶ月も前から思い描いてた未来と
1ヶ月前くらいから考えていた未来と それから
日本の状況が どかーんと2週間で合わさって
気持はまさにとるもの手につかずという状況で
ニュースを見ては何かしなきゃと思ったり
得体の知れない不安にかられてとにかく誰かと
話したくって それだけのためにカフェに行ったり
とにかく誰かと寄り添っていたい気分になったり
友達にひたすら電話をかけたり
自分の状況のいろいろで 毎日のように泣いたりもした
何が何だかわからなかった だけど私は段ボールを
ひたすらもらって たくさんの荷物を箱にしまいはじめた
西日本で何かしたくても 私には猶予はなかった
だって もう 2週間前に契約を切ってしまうことに
なっていたから 行き先なんて 他にあったのか
なかったのか 東京にいきたかったけど
誰もが口を揃えて「来るな」と言った。


 そうして私はパリに来た


 何日でそうなったのか

 何が決定打だったのか は

 自分でもよくわからない

 だけどただ 眠りたかった

 もしもう死んでしまうのならば
ここでもいいと思える所で私は死にたい
そう思ってた たくさんの不安をかかえて
勢いにまかせて荷物をつめて
みえない未来と友人たちが勧めてくれる
「タイミング」というものの存在を信じて


 今度は息子と パリに来た。



 本当に?と思うけど

 本当に今日われわれはメトロに乗っていたようで

 本当に?と思うけど

 日本で毎日泣いていたのが嘘みたいに
 
 私の目は活き活きしていて

 しかも不思議でならないことに

 息子の目も輝いている あんた こんな顔するんだね、、、






 この先われらはどうなるのだろう

 これからどうしていくのだろう

 何も先は見えないけれど

 パリはやっぱり気持がよくて

 私も息子も「フランスって楽しいね」と
 笑ってそんなことが言えてる



 こんなこと に 急になってしまったけれど

 だけどこれも 全ての状況がそれなりに
揃ってなければなかったことで
例えば蓮太郎がベビーカーなしじゃどこにもいけないだとか
(思えば1月にフランスから帰ってきてから我等は歩くことを
徹底しはじめたわけでそれまではベビーカーと三輪車だった)
蓮太郎の日本語力と私たちのコミュニケーション能力だとか
私のつたないフランス語力も パリをどれくらい知っているかも
(今回はガイドも持っていなければ地図すら日本に置いて来ていた)
息子がどれくらい私の言うことを聞いてくれるかも
今迄だったら無理だった


 「タイミングっていうのはね 思ったより早くやってくるらしいよ
それをつかめるかどうか神様が試してるんだって」と
6月に航空券を変えようかどうか迷っていたとき旦那が言った
それから私の人生は 大いに変更されてしまって
そりゃあフランスに住もうと本気で思っていたけど
まさか今?いつかが今になってしまうとは
さすがに夢想だにしなかった


 けれども我等は飛行機にのり
関空では出国できませんとチェックインカウンターで突然言われ
しかも息子は下痢でおむつは6枚しかなかったけれど
それでもそれらの旅のみそぎが済むと
意外にも物事はそれなりに進んでくれて
何よりも彼が嬉しそうに 本当に
日本の日々ではちょっとしか見られなかったようないい顔で
あっはっは!!と笑ってくれてる それが私は本当に嬉しい


 この先がどうなるかなんてわからないけど
ゆっくりとフランス語力も上達させて
何か私もこれからの日本の役にたてるよう 少しでも何か 伝えたい。

目の前が真っ白になる

2011年03月10日 | 想いをカタチに

 面白い という言葉 は
目の前が真っ白になるって意味なんですよと
かつて上田先生のやったParty for the futureで
出会った人が言っていた。


 驚いて目の前が真っ白になる
そんな経験 日本ではなかなかしたことなかったけれど
人はそんな経験を一度してしまう と
それまでもってた価値観が音をたてて
崩れはじめて 違った発想を手に入れられるようになるのだろう


 あれは去年の4月だったか まだ1年も前じゃないけど
私たち は カフェ研究会というのを開催していて
それは東京の芝につくられた「芝の家」で開催された。
そうその時は 同志社の上田先生が
アメリカのMITに行ってしまって
そこからスカイプでそこでの様子を中継するという
そんなのがメインの日だったのだ。


 そこで私は驚いた。

 上田先生も驚いていた。先生はこう言っていた。

 「いやあね、行く前はね もうアメリカになんて
見るものは何もないと思ってたんですよ 日本にだって
なんでもあるしね ところがね 行ってみたら
もう楽しくって楽しくってね!!!」

 画面の向こう側から伝わる上田先生の興奮ぶり。
沢山のカフェの映像 新しいMITの建物の中で
一体何が起こっているか。 レゴが置かれ
食べ物をつまめるパーティの中で 日本人からは
想像もしえないようなすごい作品をつくる人達

 
 私は目の前が本当に真っ白になってしまった。


 先生は もしかして少しくらいは
画面の向こう側にいる 日本で日本的雰囲気で
久しぶりに集まっている なんとなく楽しげにみえる
私たちをみて「いいなあ」と思ったかもしれない
だけど私は喉から手が出る様な気持で
「私もこんな世界に行きたい!!!」と強く思った。

 こんな世界が 人々が持って生まれたものを
ぐんぐんのばして刺激しあって クリエィティブになっていく
そんな世界が存在している そんな生き方もありだということ
それに私は開いた口がふさがらなかった。


 それから2ヶ月くらいしてから 私はパリに着いたのだろうか

 そこにはまた 違う世界が存在していて

 こんな風にリラックスして都会の中で生きられるなら
どんなに素敵なことだろう と また
喉から手が出るほどこの街に住みたくなった
アメリカを知ってる人は アメリカの方がよっぽどすごいと
言うけれど 私はやっと 「私も入れて!!」と
心の底から叫んでしまえる そんな場所 を みつけたような
そんな気がそこでしたんだな。


 今日なんか 上田先生の気持がちょっとわかった気がした。
日本で先生はワークショップの第一人者と言われてて
沢山の場所に関わって 沢山のところで提案してきた
そしておそらく多くの人はこう言うのだろう
「さすが上田先生!すごいですねえ、、、」

 だけど先生はアメリカに行った時
もっともっとすごいものに圧倒されて
(あきらかに圧倒されてる雰囲気だった)
その中で でも自分だって何かやれると
レゴのパーティを開催しながら それでも
驚きいろんなものを吸収していた
そう 先生は日本でずっと誰かの前で提案してきて
ひっぱってきた それは一人で?わからないけど
だけど先生も誰かと一緒に 仲間になって
もっと前に まだ見ぬ未来に進みたかったんじゃないのかな


 私はずっと そんな誰かを探し続けていたのだけれど
どうしてなかなか出会えなかった 「カフェ研究会」の
先生達は とっても面白かったけど
あれからは音沙汰もなくなって 私はまたしても一人になった
だけど一人じゃ進めない 一人では発見できない世界がある。

 フランス語にはdécouvrir(デクヴリール)という言葉があって
発見するとか見出すとかっていう意味なのだけど
彼らはこれを好んで使う。もっと目を見開いて
違う世界 を 知らない世界を発見すること
それってとっても大切だけど 一人きりではなかなかできない
découvrirできる仲間が見つかった時
人ははかりしれない速度で進んで行けるのだろう


 私はもっと進みたい 
 私はもっと発見したい
 違う世界もあることを
 違う生き方もあることを

 そんなの本当にあるのかななんて
日本にいるといつもネガティブになってしまうけど
きっとまだ 見てない世界が 見るべき世界があるのだろう
「知らなけりゃよかったのに」と思うことなんて
世界中には山ほどあるけど 閉ざされた世界の方が
幸せだったと思うことだってきっと沢山あるだろうけど
私もいつか先生みたいに 驚いて 中に入って
そんなことも ありなんだ って 日本の人に伝えたい。




 

創造空間

2011年02月18日 | 想いをカタチに


 今日は京都のSocial kitchenというカフェの2階で
創造空間という素敵な名前のワークショップに行ってみた。
ずっとこのカフェは気になっていて 
オープンしたばかりのときに 蓮太郎とえんやこらっと
行ったのだけど その後の雰囲気はどうなのかなあ
京都の中心地みたいになってるのかしら
やっぱり京都はおもしろいのかな
離れていったらだめかしら と
そんな気持に探りをいれたいなーと
思っていたら 今日のワークショップを見つけ
やってみたかったコラージュをするというので行ってみた。


 結果からいうと とても素敵なワークショップで
何をするって ほとんど放っておかれるんだけど
それがすっごく気持よかった。
説明ははじめのほんの2分くらいで
あとは勝手に紙やらなにやらを選んでいっって
勝手に座って ひたすらもくもく
自分の世界にみんなが入ってコラージュをつくってく。
それが気持いいのなんのって!

 以前にも一度スクラップブッキングのワークショップに
行ったことがあるのだけれど それもかなり楽しくて
ああこんな時間ってなんて素敵!蓮太郎のアルバム作らなきゃ!

 と 触発されて やたらに高い台紙やらキットを
母に買ってもらったものの それから一度も触っていない。
「こんなの一人でもできるじゃん 自分の世界に入るんだから」
と思ってしまうけど なかなかそうもいかなくて
特に普段 私の場合はやたらと研究モードに入ってしまって
本当は漫画読みたいなあだとか 小説も読んでみたいなあとか
スクラップブッキングもとか思うけど 
「まずはこっちが優先だ!」と もう何年もそれらのことは
あとまわし(多分この先もやってこない??)

 そういうわけで 「一人で作業をするのだけれど
そこに誰かが一緒にいる」ってすごくいい!
だって材料は沢山あるし ちょっと目をあげて
隣の人のやり方をみて ははーなるほど
ああするといいんだな!と触発されてまたそれを
やってみたりとか そして最後にみんなでちょっと見せたり
解説をすると ほーそういうことなのか!こんな風にも
できるんだ というのが共有できてすごく楽しい。

 
 今日のテーマは「未来予想図」とのことで
10年後を想像して作ってみてくださいとのことだった。
でも別にそうじゃなくてもいいんだそうな
そのゆるい感じがとってもよくて
いただいた案内によれば ここはとても「カフェ的」空間。

 「創造空間コンセプト」
ここでは基本的に人の邪魔をしない限り
何をしても自由です

人の作品やものを批判したり分析したりしないこと

人とコラボもOKです

無理に何かを語ったりする必要はないです
でも もし何かを言いたくなったら なんなりと
皆さんとシェアしてください

気持が乗らなかったりするときは 遠慮なく
一休みしたり この部屋を出ることもOKです

とにかく一番大事なこと 
自分が楽しい 嬉しい状態であること


 これですよこれ!!まさにいいカフェの
条件みたいじゃないですか!
そして「別々のことをしていて
お互い話しかけもしないけれども一緒に居る」
それがすごい大事なんだよね。一人ではできないんだもん。
一人でできそうに見えるんだけど。私は結局息子が11ヶ月の
時にスクラップブッキングをして それから彼は2歳半に
なったけれど それまで一度もしていません。


 それでうーんなかなかいいのができた?とか
自問自答していると みんなやっぱり人の作品に
興味があって いいところをお互いにほめ合ったりしていて
それがなんとも嬉しくなるし面白い。

 私は自分の気持に素直になって
やっぱりパリに住みたいだとか
いつか瀬戸内海に住むのもありかなとか
そうそう再生空間だとか インターナショナルな宿みたいなのを
つくりたいとか 息子も大事にしていたいとか
フランス的生き方を学びたいとか
もっとアーティスティックに生きてみたい!とか
ここに来る前のとても後ろ向きな気持はどこへやら で
やっぱりちょっと嬉しくなって
いろんな色を使ってみたり
マスキングテープを使ってみたり
そんなことをするのが楽しくなった。


 今本を書こうともがきながら 
やっぱり「共感の力」って大切だよ!と
痛感したりしてるのだけど 今日も思った。
「ちょっとこの先海外に住みたくて、、、」と
もらしてみたら「いいですねえ ぜひ遊びに行かせてください!」とか
そんなことを言ってもらえると なんだかこちらも嬉しくて
「はあバカなこと言ってるんじゃないよ!何考えてんの」と
言われるのではなく 見知らぬ人に 気楽な気持で
素直に応援してくれる そんな態度がとても嬉しい。

 日本を旅してみたい人や
海外旅行をしてみたい人
京都をもっとまわりたい人
いろんな人がいる中で
私はやっぱり 私が求める
アーティスティックで知的で活き活きとした
パリにもう一度住みたいなあと
心をちょっと開く度 に 思ってしまう
もっとあそこでのばしたい いろんなものを 伸ばしたい
コラージュも絵も写真もフランス語も 思想も料理も
インフォーマルパブリックライフや人生の楽しみ方も
もっと もっと と思ってしまう
いつも私はこわくって
いつも私は臆病だけど
やっぱり自分を解放したら
たどりつく結論は同じらしい。

 2011年は変化の年になるのだろうか
10年後 私はどこにいるのだろう
10年後に今書いたものを読み直したとき
わーい全部叶っていたねと
そう笑えたらいいんだけどな。

サードプレイスについての議論

2010年11月28日 | 想いをカタチに
 今日は朝の9時から どうしても
お話をしたかった方にお時間を割いてもらって
東京の丸の内のカフェで熱く議論をはじめてた。

 その方は西国分寺でおもしろいカフェを
されてる方で カフェをやってるだけじゃなく
コレクティブハウスとか その他もろもろ
いろんな活動をされていて しかも
めちゃくちゃ頭が良いので面白くって仕方なかった。


 そこでお話していたことは
「サードプレイス的なカフェと創造発生的なカフェは
両立可能か」という話がメインで それに付随して
日本の「茶道的な」喫茶店の話とか
日本でどれほど自由に振る舞うことが可能なのかとか
果たして日本でも気持のいい議論や話し合いのある
人間関係をつくることは可能なのかとか
サードプレイス的なカフェがこれから
果たすべき役割だとか
それからグローバルな経済に対して
ローカルなエコノミーを成り立たせるにはとか
そんな話を延々熱く議論していて
本当に面白かった。

 もうメモしたいのと話したいのと
一言でも聞き逃すもんか!という気持で一杯で
自分の中で カフェ というテーマを何故か
選んだことと かつてレボリューションキャンプという
イベントを開催したりしたことなんかも
つながってきて 本当にいい体験だった。


 いやあ 議論って面白い!!

 こういう思いを味わったのは なんだか
随分久しぶり で 図を書いてみたり
思考をどこかにとばしてみたり
以前他の人と議論した内容を
そこで参照してみたり。


 私はこんなことをしてるとき
本当に嬉しいのかもしれない。
私にとっては 議論すること
思考をどこかに飛ばすこと
そうして目の前にある現象を
ただその現象から少し離れて
ちょっと俯瞰して見ようとすること
そういうことができたとき
ああ 私 が してきたことも
見て来たことも 辛かったことも
何か意味があるのかも と
そう思えるから嬉しくなる。


 議論することと研究すること
そしてそれを書いていくこと
やっぱり それが 好きなのかもなあ

 ママサークルの 他の人とは
そんな趣味があうこともなさそうだけど
私にとっては そういうことが
生きてる実感がするようで
生きてる意味があるようで
かつてカフェをやってた時も
毎日議論ができていたから
きっと楽しかったのだろう。


 一緒になって 何かの意味を考えること
つまりそれは 一体どういう意味なのだろう
何を意味しているのだろう
どう読み解いたらいいのだろう?
どうしたら変えることができるのだろう?
何をしたら少しは効果があるのだろう?
目の前の出来事に 目の前のその感情に
誰かが言葉を与えることで 
それだけで世界が変わることがある。
言葉にならない そのモヤモヤを
言葉にすること 定義すること
そしてそうだ、と言ってみて
誰かの背中を後押しすること
そう あなたが感じていたことは
あなたが感じてただけじゃない
それが少し 普遍化されてみたときに
人は驚き ほっとすることがあるのだろう

 私はそういうことがしたい。
この先どこに向かって行くのが
いいのだろうか まだはっきりなんて
みえてないけど 私にも言いあらわすべき何かがあるなら
私は議論し それを見つけて
それを言葉にしていきたい。

堀内誠一から学ぶ

2010年10月21日 | 想いをカタチに
堀内誠一 旅と絵本とデザインと (コロナ・ブックス)
コロナブックス編集部
平凡社


 「あなた 堀内誠一知らないの?
え?パリに住んでいるのに?
それくらい知らなきゃだめでしょー
本当に?ほんとに知らないの?」と

 かつてパリに住んでいた時
日本語の図書館の館長さんに言われてしまった。
それで、誰なんですか?何なんですか
その人は、、、と思っていたら
私の大好きなオリーブだったり
アンアンだったりのアートディレクションを
した人で アンアンは堀内誠一が
つくったと言ってもいいのだろう。
そう そんなすごい人だった。


 そんな彼 と パリが何の関係が?
といいますと 彼はパリにも7年住んでて
パリの話の本を書いたりもしていたそうな。

パリからの旅―パリとフランスの町々 (ギイド・アンアン)
堀内 誠一
マガジンハウス





 そんな話を随分前に聞いたまま
他の場所では 日本版『ELLE』の創刊号に
彼のパリ暮らしの話が載ってたくらいで
あとはあんまり知らないでいた。
けれども京都で展覧会のチラシを目にして
これは絶対いかなくちゃ!!と
先日わざわざ兵庫県まで電車に載って
堀内誠一 旅と絵本とデザインと」という
展覧会に行ってきた。


 これがよかったのなんのって!
あーわざわざ来た甲斐あった!!と
感無量 で ああ彼も 私と同じく
パリを歩いて パリのいいとこ
悪いとこ を 感じながらも
やっぱりパリに居続けたんだ と
原画をみながら本当にうれしくなってしまう。

 彼がつくったアンアンやオリーブ
それらは「パリ症候群」の元凶とされ
パリではあまりよしとはされてないけれど
だけど結局私はそこからかなり影響を受けていて
いいじゃないか 別に嘘を書いてたわけではないし
そりゃフランス語の難しさはどこにも
書いてなかったけれど 言語なんてとっぱらって
友人感覚で文化を伝える そんなことを
したかったのなら それはそれでいいじゃないか
と思ってしまう(でもそこに実際言葉のできない
人が行ってしまうからすごい打撃を受けるんだけど)


 さてそんな展覧会で 私がインスピレーションを
受けたのは 彼が書いてたアエログラムという手紙。
彼はフランスで絵入りの手紙を山ほど書いていたという。
へー いろんな絵 が あるんだなあ
カフェの絵もあればベネチアの絵も
ああいいなあ やっぱりいいよね
わたしもこんな絵描きたいなあ


 そうぼんやりと思っていたら
蓮太郎がお絵描きをしたさそうな日があって
「蓮太郎、、お絵描きする?」といったら
「する!」とのことなので お絵描きセットを
出し始め じゃあ私がお絵描きしよう!と
彼をほっぽりだして絵を描き始める。
するともう集中モードに入ってしまい
「ダメ!邪魔しないで!え?ジャムおじさん?
はいはい、、、」と適当に描きながら
私はガイドを見ながらベネチアの絵を描いていく
おー 意外と私も描けるじゃん!





 そうやってくと 楽しくなって
でもなんだか絵だけじゃものたりない、、、
うーん コラージュ?マスキングテープ?
いや 違う、、、そうだ 手紙を書いてみるのは
どうだろう!まるで堀内誠一みたいじゃないか!
やってみるとなかなかよくって
これがどんどんクセになる。



 私にとって 絵というのは
メディテーションの一種らしくて
ストレスがすごいときとか 精神がかなり不安定に
なってるときに 集中して絵を描いてみると
だいぶ穏やかになるらしい。
だったら1枚の手紙を書くのに
たとえ30分かかっても
それで私の気が晴れるなら
一石二鳥ではないか?
そう考えると楽しくなっちゃう。



 前回パリに行った時 個人の展覧会をみて
感動してたら「あなたもアーティストなんですか?」と
尋ねられて驚いた。「いや 違います、、!」と
即座に答えてしまったけれど そう問われたのが
嬉しくなった。芸術家なんてとっても遠いと
思っていたけど 2月に武蔵野美術大学の
新見先生のお話を聞いた際に得たことは
「芸術教育を受けてなくても 見るものを
存分にみたらあとは自分で創ればいいんです!
技術は関係ありません!」と先生が断言したことだった。


 本当?じゃあ 私も描いていいの?
観る分には、、、人並み以上に観たと思うけど
(パリでは勉強しないで美術館ばかり通ってたので)
先生がいいっていうなら私もじゃあ描いてみよう!と
その日から 絵をどんどん描きたくなって
私も描くようになってった。

 芸術家とか アーティストって 何をもって
そういうのかってわからないけど
写真家は 名乗った日からそうなるらしい。
「え?君はアーティストだと思っていたよ
だってカメラマンだったんだろう?」と
パリで会ったフランス人に言われたけれど
そういえばカメラマンもアーティストなのか
それなら私も一応アーティストとも呼べるかも!?


 そんなの遠いと思ってた。

 マンレイみたいな人生なんて
めちゃくちゃうらやましいけれど
私たちには遠すぎる と あの日真夏の六本木で
私は思った。だけど意外とありうるのかも?
子育てをしてる私にとって パリのカフェで
議論をするのが あまりに夢想に思えたように
はっきりと夢をみちゃえば そして
わくわくしてみたのなら
自動的 に 1年くらいたってみたなら
それらは叶うのかもしれない。



 絵を描いて 写真をとって
文章書いて 研究をして
発表したり ガイドもしたり
たまに旅して うはー
そんな人生があったなら
しかもそれがパリだったなら
そうしてなんとか生きていけるなら
そんなに嬉しいことはない。
せっかく生まれて来たのだから
私もただ憧れるだけじゃなく
ちょっとアーティスティックな人生に
一歩踏み出してみようかな。

想いをカタチに

2010年10月01日 | 想いをカタチに


 もうこちらに来てから銀座通いもだいぶ慣れ
相変わらず東銀座のタリーズに行っては
様子をうかがい うーん今日もまた
お洒落な人やら格の高い人が来ているなあと
ちょっと圧倒されるけど さすがに何度か
通っていると おや?あの人昨日も来てたじゃんとか
あの人はもしや前に隣に座ってた人?
というのもわかり なんだか三条スタバみたいで面白い。


 私は父のお見舞いのかたわら そんなにたっぷり
時間もないけど カフェに通っては2冊目の本を
創りたいので それをどうしようとか考えてみたり
実際の作業をしたり 翻訳したり 電車にのっては
ノートに書いたアイデアを再び読んで
それにまたメモを加えてみたり
ふとした瞬間思いついたことをメモしたり。
そして夜更かしの息子が寝た後 母はもっと
夜更かしで 1時くらいまでまた「仕事」を
してみたりする。


 「私ねえ 銀座のカフェで仕事しててね」

 とかなんとか言ってみる と
なんだかその響きがよくって だけどそれは嘘じゃないから
ただのタリーズなんだけれども それだけで
なんだか私は嬉しい。そういうのって大切だ。
子供を産んだ直後に「丸の内」とか そういう
地名を聞いただけ でうらやましくって仕方なかった
私からしたら夢みたいなことだから。


 最近はポジティブシンキングをしようとしたり
友達にやたら元気に語ってみたりもするけれど
そのあとでどーんとネガティブ思考にとらわれ
ああ やっぱり、、、と鬱々とすることもある。
だけど何かは 動きつつある気がしてて
何か を きちんと動かすためには 
いったい何が必要だろう と考えてみると
クリアにイメージしてみることと
ワクワクがやっぱり大事だろうなと実感できる。


 ものの本には「ワクワクできたらもうできたも同然!」と
書いてあり ほんとかなーと思っていたけど
「できそうになかったのにできちゃった」ことを
思い返してみてみると あれってワクワクできたから?と
思えたりする。


 例えば大学受験のときは 高校3年の12月になり
やっと本気になれたけど(なんども言いますがそれまで
模試はE判定なのに早稲田に受かると公言してた)
その時も古文の世界にどっぷりひたって
「ああ風流ってなんて素晴らしい、、、」と
平安時代に生きていたい!と思っていたから
なんだか楽しくなっていて そういうことの
効果もあって 合格したのもあるのかなあ

 それに当時の私といったら
入試の時には「かかってこい!」という気持ちで受けてて
7人に1人しか受からないならその1人になってやる!と
強いイメージをもって受けていた。かかってこい!と
思えたのなら きっと人は強いんだろう。
そんな気持ちで試験を受けると 試験自体も
楽しくなって ちょっとわくわく面白く
余裕をもって臨めたときは だいたい試験は
うまくいってる そんな経験もだいぶした。


 そうだから 面白い と 思えるか。


 2冊目の本に関しては 勝手にパリで妄想をして
それならもう取りかかっちゃえ!やろうと思ったのが
やりどきだ と勝手に思い 色々とカタチにしようとしてて
うーんどうかなと思ってたけど 昨日無印良品に
立ち寄ったとき 面白そうな文房具を見て
インスピレーションが湧いてきて
そうだ こんなものをつかって こうやって表現をして、、、!
と考えていたら なんだか楽しくなってきた。


 そう 想いがあって ワクワクできて
それがだいぶクリアになって しかも共感してくれる人がいたのなら
あとはもっと具体的にして 現実化するだけなのだ。。。


 本当は 何もそんなに 難かしくなんてないのかも。


 本当は 自分が躊躇しているだけとか
方法がわからないとか 共感してくれる人に出会えなかっただけでしかなく
もしかして 共感して 面白いかも!といってくれる人にただ出会えたら
それだけで 何かはグーンとスピードアップするかもしれない
たとえそれが ばかみたいなアイデアだって
面白い そう思えたのならいいわけで。

 
 「いやー馬鹿みたいだよね あはははー」と
思いながらも 何かを現実に近づけていく 
そういう作業は面白い。本当に そうなるのかな?
ワクワクができて 人に語れて?誰かが共感しれくれたなら?
例えば2冊目の本を出すのも?
例えばパリにまた住むというのも?
例えば地中海に別荘を持つというのも?
子育てについての本を書くのも?いつか叶う かもしれない。


 不思議なことに ブログに書いたいろんな思いは
私個人のノートにちょっと書いたことより
叶う頻度が高い気がする。多分それは ちょっと
公に 自分の気持ちを出すからだろう。
ギャザリングの時やっていたけど 熱い想いが
湧いてきて しかも企画がちょっとたてられたなら
口をすべらし みんなの前で「やります!」と
言ってしまうことがいい。だって あとにひけなくなるから
「本当?じゃあいつするの?」と言われてしまうから。
私にはもっと 実現したい たくさんの想いがあるから
ワクワクとイメージの力を借りて
それからこのブログも借りて
ひとつひとつの 想いをカタチにしていこう。


 まずは2冊目の本を出版したい!
それからもう一度パリに行って、、、
書くのが仕事にできたらいいな。


 よかったらみなさんも想いを書いてみてくださいね
実現するスピードが早くなるかも?!

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