alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

ものの見方

2011年08月07日 | 私の人生



 今日もいろんな人とお話をさせてもらって
どうしよう どうかなあとか不安になったり
泣いてしまったり でも歩きながら
ポジティブシンキングをがんばって
自分にポジティブな言葉を発し続けてみたり
ちょっと前向きな気持を信じてみたり するわけだけど


 いろんな人と話をしていて
だいたいの人に共通している点というのは
私は根がネガティブだ ということで
そうなんだよね そうなんですよ
そして彼らに言わせると たまに
「で?何が問題なの?」と思うらしい


 私はああ 苦しい、、、と思ってしまうけど

 今日お風呂あがりに気がついた。

 その苦しさを作っているのは自分なのかもしれないと。


 自分が苦しいと思っているから苦しいように思えるだけで
じゃあ本当に苦しいのかと問うてみると もしかして
視点をちょっと変えてみるだけで 違うようになるのかも。
「美樹の問題はそうたいそうな問題に思えへんけどな」と
今日会った友達は言っていた。たまに他の人にも
「で?何が不安なの??」と言われたりする


 こうやって 私は一人ではメタ認知なんてできないけれど
みなさんにご意見を伺ってると 新たな可能性がぽっと見えたり
自分の置かれている状況が そんなに悪いわけではないと
思えてきたり まさに沢山の人のお力を借りてメタ認知、、、
(本当にみなさん心からありがとう!!)


 「人生苦しい時が上り坂」と言ってくれていた人がいた。
苦しい時を越えてみたら 素敵な地平が開けてて
素晴らしい景色がみえてくるのかもしれない
開けることを信じて前に進むこと も きっと
大切なのだろう。それだけじゃなく 苦しい、怖い
不安だ、と思ってしまう自分の視点を 無理矢理じゃなく
でもちょっとどこかに向けられたなら 何かは変わってゆくのだろうか。


 昔誰かが言ってたな 同じ椅子を見るにしても
一人は上から 一人は横から 一人は工芸的な観点から
一人は数学的な観点から椅子を眺めることができるらしい。
私は一人でそんな能力はなかったけれど「吐き出すのも
能力のうち」と言ってくれた友達がいた。そうして
話をきいて お茶をしてくれる友達や先輩がいて
彼らのおかげで ようやく私も複眼的な視点を少し
手にしたような そう 上田先生が『プレイフルシンキング』で
言っていた。「あなたのものの見方だけがものの見方ではないということ」
ものの本には書かれていても ようやくそれが 実感として
なんだかちょっとわかった気がした。
だからこそ メタ認知とか 複眼的な視点が大事だということか


 もしかしたら 同じ1つの物であっても 裏から
それを眺めてみたら 全く別の見え方をしているかもしれない
問題に焦点をあててしまうと 世界がそればっかりになってしまうけど
博士課程に進まなくっても私の人生が終わりにはならなかったように
違う視点から 複眼的や 客観的に 眺めてみると
ものごとの他の側面がよく見えるようになるのだろう

 私はそれを ようやく学びつつあるのだろうか

 それも1つは カフェでの出会いのおかげかもしれない。


 ものごとには色んな見方があること

 それを自分の中に身につけて 違う捉え方を
やってみること 私はそんな 人間としての
成長のレッスンを 今課されているのかもしれない。

東京の凄さ

2011年08月05日 | 私の人生



 「東京ってねーお金持ちがいるよのねえ
お母さんが東京でびっくりしたのは
東大卒業した人って一杯いるのねってことだったわ
それからお嬢様も一杯いるのよね 結婚して
主婦になると似た様な生活してるんだけど、、、」
と 今日電車に乗ろうとした頃 母が私にこう言っていた。


 東京って不思議な街だ。

 どうしてこんなに家賃が高いのに
家賃の高い街に行ったら外車がゴロゴロしてるんだろう
家賃の高い街というのは 駐車代だって高いわけ で
彼らはどこをどうしたら そんなお金が払えるのだろう
そうして奥さんは専業主婦で 子供はお受験?
私にはいつも不思議で仕方なかった。


 私が最近ちょっと気分を上げて通ってる
広尾の街は 安い値段のカフェもあるけど
もちろんお金持ちやらなんだかすごそうな人も一杯で
そんなこと言ったって 私だってこの雰囲気にちょっと
慣れたもんねーと思いつつ 駅前の銀行に入ってみて驚いた。

 その銀行はHSBCという銀行で フランスの空港で
名前をよくみかけ、どうやらParis-Bistroの代表も
その銀行を使ってるらしく、そこから送金しょうと
してくれてるのだけど何度やってもうまくいかない。
ならここで日本の口座を持ってみたらどうなんだろう?
と思い立ち、何気ない感じで窓口のお姉さんにきいてみたら
「作ってもつくらなくても大して変わりはないですけど、、、」と
言われながら、最後に驚きの一言が。「こちらはプレミアという
口座のみでして、一ヶ月の銀行残高が1000万以上の
方のみ開設可能になります。」はあ、そうですか、、、


 そして即退散してしまった私。やっぱり広尾ってすごいなあ


 世の中には お金持ちっているんだなあ

 どうやったらお金持ちになれるんだろう?
せめてお金持ちと少しでも仲良くなりたい
(ものの本にはそうして彼らの姿勢を真似することからと書いてある
まずはホテルのカフェにでも行ってみること?)


 と 思っていたら 今日は凄い人に会ってしまった。


 母に連れて行ってもらった赤坂の料理屋さんの
旬の料理を味わう会で たまたま隣の席に座った人に
お話をいろいろと聞いていたら 「川島なおみちゃんがね」とか
「デヴィさんがね」とかいう言葉が出て来る。デヴィさんって、、、
あのデヴィ夫人?東京ではたまにこんな言葉を耳にするから
本当にすごい。たまたま入ったカフェで歌舞伎役者の名前を
さんづけで呼んでいる人がいると思ったら、彼と
打合せしてるのは私も知ってる有名女優さんだったとか。
誰かにとって テレビに出て来る雲の上の存在の人が
誰かにとっては「誰々ちゃん」であるという事実
それに私はいつも圧倒されてしまう。


 さて、私たちの隣にいたお二方は話を聞けば聞くほど
なんだかすごそうで、ご飯を食べ終わった頃に
本当に驚いたのは、物腰の柔らかい、あまり
主張の強くなさそうなおばさんが、なんと六本木ヒルズに
住んでてそこの家賃が月150万(聞き間違い??)
したとのことだった。それでめちゃくちゃ広いんだけど
料理はしたくなかったそうで、朝ご飯は旦那さんと
隣の有名ホテルで食べるんだって!そんな生活
してる人がいるんだなー。

 彼女の趣味はクルーズだそうで、船に乗って
アドリア海とかカリブ海とか行っちゃうらしい
その船というのも何階建てかでデパートみたな
船らしい。「でも海の上ってつまらなくないんですか?」
ときいてみたところ、「それがイベントだらけなのよ!」とのこと


 なんとまあ 世の中には そんな生活をしている人がいるんだなあ


 ここはカフェでの出会いじゃないけど

 一見普通の雰囲気の たまたま隣あわせたおばさんが
実はそんなすごい人 で 私とお話してくれる
私はもちろん ホテルの1階のブティックで
洋服を買ったりだとか 豪華客船だとか
ヒルズに住んだりだとか そんな世界に生きてないけど
でもここですれ違って 少しの時を共にして
そんな世界がありえるということ それを
垣間みさせてもらった なんだかそれは大きなことだ。


 世の中には そんな人もいるんだなー


 最後にお二方の名刺をもらってみると
2人とも社長さんだということで 女の人でも
ここまでお金をもって気ままに暮らしている人は
やっぱり自分で何かをやってる人なんだなあ
かなりしっかりしてそうな雰囲気だもんな
私は都心に住みたい!という夢をもってるわけでもないけど
それでもお金持ちにはなってみたい。


 東京には いろんな人が住んでいる
東京にいるからって すれ違えないような世界にいる人
そんな人たちにたまに出会える それも1つの収穫だろう

ビジョンの力

2011年08月01日 | 私の人生



 今日は日本に帰って来てから初めて
何かが上向きになった気がした!!本当に
助けてくださったみなさん ありがとう!


 今日は朝丸の内のお洒落なカフェで、
西国分寺でカフェをされてるKさんとお話を
させていただき、色んな話をした後で
「ところで私またパリに行こうかどうか
迷ってるんです、、、」と言わせてもらって
アドバイスをしてもらおうとしていたら
どんな話の流れだったか もう興奮状態に
なってしまってしっかり把握しきれてないのだけれど
ある時Kさんはにやっと笑ってこう行った。

「飯田さん、パリのカフェのツアーやりましょう!」

 
 そう そんな話は前にも確か出てたのだけど
いや その頃はただのガイドだったかな
そしてKさんはかつてこう言ってくれていた。
「僕がお客の第一号になりますよ!」そんな日を
夢見ていたのだけれど 今日はそれが「ツアー」になった
そうしてどんどん話が盛り上がり、なんとこんな話になった。

 「わかりました。じゃあその時はお店を閉めて
スタッフ全員連れて行きます!奥さんと子供も連れて
これで計8人ですね!」なんとすごい話になった。
うっわーこれ 面白そう、、とKさんも切りだした時
にやっとしてたし 私もなんだか笑えてしまった
こりゃ楽しそうですね いつにしましょう
10月か11月くらいがいいんじゃないかな?
どんなとこに行きますか?あ、じゃあインフォーマル
パブリックプレイスも。お子さんもいることですし


 と なんだかやたらに盛り上がり

 いやーワクワクするって楽しい
これが実現できたら楽しい そうだって
肌で感じてなんぼなんだもん 写真を見るのと
実際に肌で感じてあてられてしまのうのとでは
雲泥の差があるわけで 私は出発を促したいんですと
そう言っていた。 こうしてワクワクさせてもらって

 そのあと環境活動時代の先輩にも話を聞いてもらっていたら
「いやー美樹ちゃん パリ行きなよ 行ってきな
それで?何する?アイデアを出してみよう」というわけで
私のアイデアと彼の頭からポンポン出てくるアイデアを
重ね合わせて行くと またもパリのカフェガイドという話になって
えーっと1日いくらくらいで 3日で5人来たとすると
わーお けっこうな金額になりますね!
これなら生きていけるかも? でも息子は夜
どうしたらいいんでしょう?「そんなの預けたらいいんだよ
ちゃんとお金もらってやるんだから」そうか
もらえるあてがあるなら ベビーシッター代も出せるのか!
いろんなことが目からウロコでびっくりしたけどまた嬉しい。

 
 なんだか希望が見えた気がする
こんなにワクワクしたのは久しぶり で
彼らは2人とも自分で事業を起こして生きてる人で
そんな人たちが私にもなんとかなりそうな生き方を
提案してくれて しかも応援してくれて
それが本当に嬉しくなった。


 そうすると引き寄せの法則らしく
今日は嬉しいことが続いたりして
なんだか生まれ変わったみたい?
本当にありがとうごさいます!


 本当に ワクワクの力ってすごい
一度ビジョンを描いてしまうと 
何度後ろ向きになろうが ビジョンはいつも
残ってて 一度ワクワクしたことは
なんだかもう 止まりはしない


 そうあの日 私はカフェで
パリのガイドの話をしてた
もっと個人旅行を楽しめたならいいのにね?
ただエッフェル塔に行くんじゃなくって
ただ一人でカフェに行くんじゃなくって
フランス人と友達になって ちょっと違う世界を
見せてもらえば それだけで違うのに
それだけでこんなにも嬉しいのにねと
あの日私はカフェで語った そう あのcafé charbonで
そこで私は予想以上にワクワクしちゃって
あそこで描いてしまったビジョンは
はっきりと残ってしまった
確かにその後 日本のガイドの資格も取った
だけどパリのガイド カフェのガイド?
それからインフォーマルパブリックプレイスも?
そりゃあ紹介できたら楽しいだろう
だって街歩きは大好きだもん
誰かに紹介するのも大好きだから
そんでもってパリに私の知ってる人たちがきて
日本語話せて 彼らのお役にたてて
日本の役にも立てたなら そりゃあ楽しいだろうなあ


 今日は久々に「たまらん」と思えて幸せだった。
もう辛くて仕方なかったけど 前むかなくちゃ
苦しすぎることがよくわかったから 前をむいて
ワクワクしてたら そのうち苦しいのも通り越すかも
そう思ってみることにした そうしたらワクワクできて
今日はなんだか力があったし本当に幸せだった。
本当にみなさんどうもありがとう

 私には友達や先輩や応援してくれる人がいて
それが本当に嬉しいです。一度描いてしまったビジョン
その力は本当に強いから そこに向かっていくのかな
ワクワクの力はすごい そして何かが加速してきた
なんだかそんな気になれた今日でした。



試練

2011年07月15日 | 私の人生

 最近は苦しい状態がずっと続いているのだけれど
今日ああもうどうしよう!と思って友達に電話をしたら
その子も午後空いているということなので一緒に
お茶をさせてもらって 色々と話を聞いてもらうと
なんだか筋道がたってきて そうかーこういうことがあって
こうなって こうなって 自分の中ではなんじゃこりゃ!と
思っていたけど よく考えたら まさに「思考が現実化する」と
言うように こんなんじゃないとか こうなったらとか
思っていたのが 今目の前に思ったより早く降って来て
「さあどうするんだお前は」と突きつけられているような感じなんだなあ。

 
 選択するのは自分自身で 私は元気な時は
勇気を出せそうな気もしたり 家にいると 
後ろ向きモードになってしまったり でも
友達と話していると 少なくともここまでやってきた
進めてきたものごとは ふいにして終わらせたくない
そんな気持はでてきたり。


 私にとって今の状況は苦しいけれど
明らかに 何かを学び取って大きくどこかに
成長して行く段階のような雰囲気で ああ
これは辛かったけどちょっと成長したかなあとか
自分の恐ろしい波にどう振り回されないようにするかとか
どうしたら眠れない夜を寝られるようにするかとか
どうしたらいちいちショックを受けないでいられるかとか
一人で気分転換するには何をしたらいいかとか
私は自分という存在と いやがおうでも向き合っている


 自分の恐ろしい感情の波に振り回されずにうまくやり
かつ やってきたことをなんとか形にしていけるよう
夢みてたことを一歩一歩実現の形に持っていけるよう
少しずつ 乗り越えて行く時期なのだろう


 これらの試練が終わったら 道は開けて来るだろうか
神様はまた ほーらこれだよとプレゼントをくれるだろうか
強く望めばいつか叶う いつかそんな日が来る
最近はそう思うけど そう パリにいて 神保町に
行きたいだとか また代官山に行きたいだとか思ったように
強く望んだらいつか叶う日がやってくる
もちろん私はまたパリに行きたい もう少しそこで仕事がしたい
それはだいぶ先なのだろうか また何かがやってくるのか
私にはわからないけど



 辛い時 どうしていいかわからない時
友達がいてくれる 相談に乗ってくれて 一緒に
お酒を飲んだりできる たまに何か思いつき
じゃあそれ一緒にやろうといったりできる
それってとてもありがたい。東京には友達がいる
それってとてもありがたい。みなさんどうもありがとう。

やれるだけ?

2011年07月14日 | 私の人生

 東京にきて一人の時間をたっぷりもらって
さーてやることやらなきゃなーと思っているのに

 あれ なんだか蓮太郎とパリにいた時の方が
沢山仕事をしていたような、、、 いかんいかん
やることはやって 進まなきゃ と思うのに
なんだかちょっと苦しくなったり 気分を変えようと
思ってみたり こうしてパソコンに向かってみたり。


 カーネギーによれば悩んだときや苦しいときは
「目の前のことをがんばること」なんだそうな
そうだよね やらなきゃいけないことが一杯あったら
それに追われていたらどんなに大変な状況であっても
「人は悩んでいる暇なんてない」んだそうだ。


 だから東京にいるうちに できる限りのことをやらないと。

 まだ私には 目標が明確にできていない

 もう一度パリに行きたいのか

 それとも日本で?どれくらい?


 昨日は久しぶりに編集の方とお話をさせてもらって
なんだか懐かしい人の名前や これからのカフェの形についてとか
面白い話がいろいろできて 私がパリに行って来たこと
それはもっとこの先も行きたいと思って色々としていたのだけど
なんだか日本でやるべきこともちゃんとあるような気もしたりする


 日本にもフランスにも行かせてもらって思うのだけど
こんなにも世界が近くなったとはいえ
やっぱり手にする情報と 肌で感じる情報や感覚というのは
だいぶ違って 日本に帰ってみたらはじめてどれほど
この国が激変しつつあるのかよくわかった。
こんなにもできるものなのか ここまで節電できるものなのか
渋谷の夜が暗くなるだなんで 想像したことすらなかったけれど
夜7時になったら暗いんだ。そういうことに驚いた


 日本は今大変革を迎えてて それは新聞を読むだけではわからなかった
私にも 何かするべきことはあるのかなあ?わからないけど
日本が脱原発で、どれほどエネルギーを使わないでも
幸せに生きられるかを世界に示すことができたら
世界の未来も変わるのかなあ 世界が日本を見つめてる
そんな気はけっこうするけど この夏一体どうなるのだろう


 「インフォーマルパブリックライフなんですよ」と私は語った。
パリにいって そこに答えがあると思った。
それの充実した暮らし 全てを自分で所有して家に閉じこもるのでは
ない暮らし 外にでる楽しみがある暮らし
その中核にカフェがあり そこに行くと何かが変わる
そこにはなんらかしらの出会いがあって 気分も変わり
世界が広がり お金はかからず ちょっといい気持で生きられる


 私も外に出るべきだろうか


 日本はなー なんせ日本語が使えるからな
ちょっとの勇気があったなら どんな会話だってできるんだよな
言ってることは全部わかるし それってすごいことだよなあ
どうして私 フランスにこんなに憧れてしまったのかしら
それはやっぱり私にとってピンと来る何かが色々あったから で
この先どうしていきたいんだろう


 どっちにしても やることをやってはじめて
道が見えて来るのなら 東京でそれなりにすることをしないと
どこにも進めない。どこかに素敵なカフェはあるかな
安くって ほっとできて ちょっと誰かとおもしろい会話ができて
かつ長居もできるような、、、 そんなカフェ 東京で誰か
知ってたら教えてください。せっかく日本語が使えるのだから
私も誰かと話がしたい。

 おすすめカフェがあったらぜひ書いてくださいね!

願い

2011年07月06日 | 私の人生


 東京に帰って来ると嬉しくなるのは
東京にはけっこう色んな生き方だったり
新しい本が存在してて しかも全部日本語だから
めっちゃハイスピードで本が読める!
(子育てとフランス語のおかげで本を読む
スピードがめちゃくちゃ早くなった気がします)


 さて、今回は一度立ち読みしていた引き寄せの法則に
関する本をもう一度読みたくて もう一度立ち読みしたけど
これじゃ足りんと思って買うことにした。

 
 その本によれば願ったこと、思考したことは
ちゃんと叶う力があるんだそうな。そうだよねえ
そういう本 何冊か昔読んだよね それで?実際?
やってみると叶うのだろうか
やってみないことにはわからないけど。


 ありえないような 突拍子もない願いであっても
沢山の願いであっても 叶えることはできるのだろうか
その本によればそうらしいから それならば と
私は夢を描きたくなってしまう。そう きっと
絶対に無理なわけじゃない。絶対無理だと自分が
その時点では思っていても 可能になっていくことがある。


 世の中には 宇宙飛行士になった人とか
空からスカイダイビングしちゃう人とか
起業して成功した人とか スタバの社長とかが存在してて
彼らはどうしてそんなことができたのだろう?
彼らはものすごく勇気と自信に満ちていた人だったのだろうか
それとも彼らは エジソンがいうように「成功するまで
諦めなかった」それだけのことなのだろうか


 今日2004年に「レボリューションキャンプ」というのを
開催したころに書いていた自分の長所や自己イメージみたいなのを
みていたら あのころ鬱っぽかった気がしていたけど
なんだか随分イケイケどんどんみたいな感じで
私って けっこう勇気とか押しの力とかがあったんだ と
ちょっと驚きをかくせなかった。じゃあなんでこんなに
なっちゃった?どこでこんなに臆病者で保守的な人に
なったのだろう?専業主婦になったから?
先日旦那に言われたけれど かつてのイイダミキという人は
「根拠のない自信があるような感じだった」んだそうな
そんなのどこかに行ってしまった なんで どうして?わからないけど



 そういえば いろんなイベントを立ち上げたよな
そういえば しょっちゅう議論をしていたよなあ
そう 男の人たちの中に混じって 私がこんなに
変化したのは 妊娠をして 
自分が女だと気づいてしまってからなのだろうか?


 私はどこかでズタズタになってしまったのだろう
少しずつ いろんなところで 鼻をへし折られて来たのだろうか
そうしていつしか「保守的になったね」と 友人たちに笑われてしまう
そんな自分になったのだろうか 


 私はパリで 少しは強くなったのかなあ
母国語で暮してみると いかに外国語の生活が
それだけでしんどかったのかよくわかるけど
私はあそこで沢山のことに自分で気づいた
もっとポジティブに 自信をもって生きないことには
どうにもならない それがわかった
もう一度 私は強くなれるだろうか
ものおじしない 打たれてもへこたれない?
そんな自分になれるのだろうか
もう人生も中間地点に来ているのなら
できることなら 諦めて生きるのではなく
夢を描いて それを叶えて生きてみたい。

案ずるより産むが易し?

2011年06月30日 | 私の人生


 この1週間帰って来てからこの先どうしたらいいものか と
毎日悩んでいるけれど 弱気な私は「私にはだめだ
私になんてできっこない」とつい思いがちなのだけれど
この3ヶ月 何かを振り返る余裕すらなく ひたすら
異国で生きてみた結果 けっこう息子はしつけのできた子に
なっていて なんだかちょっとビフォーアフターみたいだと思った。


 そう本当に 振り返る余裕すらなく ああもう夜だ
歯磨きしなきゃと気づいたら1日経っていたりして
優しいママだったのかはどうかわからないけど
(それでも息子はママ優しいねと言ってくれていた)
なんとかかんとかやっていた。私には一人で子育てするなんて
到底無理だと思ってた。だけど勢いで飛び出していって
できるだけ長く居てみて 知らないうちに
私もだいぶ 強い人になってたのだろう。


 私はそれが冒険であるということにすら気がついて
いなかったけど ただなんだかがむしゃらだったわけだけど
今になって かつての日本での状況を思い出しながら
息子と日々を過していると なーんだ 意外と大したことじゃ
ないのかも、とも思えたりした。


 私には無理 私はそんなに強くないからと
私はずっと思いつづけてた。でも今日息子ときれいな
夕焼けを橋の上から2人で眺めて、ちょっと18切符で
旅行でもしようかという気分になった。いけるんじゃない?
名古屋から京都くらいだったら いい子にできるなら
いってみようか?それで滋賀の鯖江を遠って
中山道のお灸屋さんにも行ってみたいなあ
そうなんだか旅芸人みたいに 色んなところを
転々とする そんなのも悪くないのかも。


 かつて 2月に 私ははたして息子と2人で
フランスかどこかに行けるだろうかと試したくって
2泊3日で 瀬戸内海に行ってみた。それは大冒険だったけど
やってみると意外に息子はいい相棒で まわりの人たちも
あたたかかった。そしてその時出会った神社で私は祈った。
「息子とフランスに行かせてください。」まさか
そんなに早く 願いが叶うとか思いもしなかったのだけど
その1ヶ月ちょっと後には 私たちは飛行機に飛び乗っていた。


 じゃああれが 冒険だったというのなら もう3ヶ月も
異国にいって 10時間の飛行機にだって耐えられたのなら
18切符くらいいけるんじゃない?同伴者がいなくったって
コインロッカーと受け入れてくれる誰かがいたら
私たちは移動できるかもしれない。


 私たち は どんな人生を送るのだろう
今は人生の瀬戸際だから まだまだ私にはわからない
だけどもしかしたら人生は 私が怖れていたほどには
恐ろしくないのかもしれない。私たちは 会話をしながら
3年一緒に生きていて 道端で毎日喧嘩もしたけれど
結局それなりに仲良しで いろんなことを経験してきた
これからも数奇な人生を 送ることになるのだろうか
まだ私にはわからないけど 人生がそこまで恐ろしくないものならば
少しずつ 挑戦すること それも悪くはないのかも。

大冒険

2011年06月23日 | 私の人生


 なんだか変な感じだけれど
昨日は蓮太郎の3歳の誕生日 で
もう出国してから約3ヶ月が経とうとしていて
帰らなければいけなくて それならば
誕生日に飛行機に乗るのもありか と
22日に飛び立った。


 乗り継ぎのあったミュンヘンでは
1時間以上あった乗り継ぎ時間が
パリ発の飛行機の遅れによってほとんど消えて
ああもうダメか(またしても?)と思ってたけど
飛行機を降りると「Tokyo」という札をもった
係の人が発っていて 息子含めて5人の日本人は
思ったよりも距離のある空港内をバーっとかけて
私たち2人が機内に入ると同時に
「搭乗手続きが完了しました」のアナウンスが
きこえてくる。そうして感慨にふける暇もなくもう出発で


 3ヶ月前だとか もっと昔に息子と飛行機に
乗ろうとしたときは どうやって乗せればいいのか
インターネットで検索したとき いろんな
おそろしいアドバイスをみてなんだかやたらこわくなり
(普段の規則正しい生活とかしつけがいかに大切かとか)
こりゃあ無理だからやめておこう と思っていたのを
思い出す。ところが息子 この3ヶ月で急成長し
「いい子でじっとしている」ことをしっかり覚えてくれた。
そしてなんと息子は10時間強 ほとんど機内でいい子に
できたのだった!そこにはかつて読んだアドバイスで
みられたような「この日ばかりは子供の奴隷になったと
思ってつきあってあげましょう」とか「飛行機に
乗る前にさんざん遊ばせて寝かせましょう」とか
そんなのは一切なしで この間までのパリでの
「じっとするべきとこでは静かにじっとしていなさい」という
教育(?)の成果がいかんなく発揮されてくれたみたいで
機内の探検も2回くらいで済んでしまった。


 よくがんばったねえ あんた、、、

 そりゃ もうTGVも乗れるよね メトロだって
新幹線だってへっちゃらだね。今までは新幹線も
東京で電車に乗るのもこわかったけど
彼はパリで いろんなことを学んでいって
日本流ではだめらしいこと だけどパリでも
自分らしくもやってたいこと そんな色々をとりまぜて
パリでも日本でもいろんな人に愛想をふりまき
かつ人にあまり迷惑をかけずに楽しむ方法をあみだしたらしい。
そういうわけで 最後の方はメトロでも人気者だった。


 蓮太郎はよくがんばった 彼もよく泣いたけど
いっぱいフランス語も覚えたし 公園でも一人で
あまり躊躇せずに遊べるようになってきたし
事務所では音をたてずにいい子にすることも覚えてくれた
本当によくやったねえ

 私はどれくらい成長したのかわからないけど
なんだか今日 ちょっと当たり前のように2人で
空港を歩いてて そうだかつて 勇気ある日本人の一人に
なってみたいと空港を歩きながら思っていたけど
一人で息子を連れてここに来て いろんな人たちと出会い
いろんなショックをうけたり それでもちょっと勇気を出したり
フランスで注射を受けてみたり 誰かと仲良くなってみたり
そんな日々を繰り返しながら 彼は3周りくらい、私も
2周りくらい大きくなったような気がする。


 どれくらい大変だったのか 果たしてすごく疲れていたのか
それとも元気だったのか 意外とやってけそうなのか
やっぱりそれは無理なのか まだ私にはわからないけど
これからちょっと様子をみながら この先の未来
どうしたいのか どうしたらいいものなのか 考えてみよう

ちょっとずつ

2011年06月17日 | 私の人生

 この2日ほど前は またしてもかなりネガティブモードで
一杯になってしまって なんだかもう何をどうしたらいいかも
わからずに 家のドアを開けた瞬間に涙がバーっとこぼれてしまった。


 そんな中 友達と約束があったので なんとか出かけて行ったけど
その友人は私にとってお姉ちゃんみたいな人で
彼女と会ったら元気になれるかなあなんて
はかない期待を抱きながら 駅のそばで待っていた。


 フランスでは珍しく時間通りに到着してくれた彼女は
私を見るなりこういった「どうしたのミキ!!?」
そう 私は希望を失い 先も見えず もうわけが
わからないというような顔をしていた。


 だけど彼女は私を励まし、励ますだけじゃなくって
「あんたねえ ものの見方があまりにネガティブなのよ!!」と
ちょっと怒ってて たしかにそうだ パリにいるのに
なんでフランスに来たんだっけか 何を思って
日本にいたのか いろんなことをちょっとずつ
クリアにさせてくれ 「1日5個寝る前に
今日はこれこれが幸せだったというのを言ってみなさい」と
行ってくれる。そうだねえ じゃあ
「今日はあなたにあえて幸せでした」
「今日は翻訳がかなり進んで幸せでした」
「今日は息子を預かってもらえて幸せでした」
「今日はカフェに三軒も行けて幸せでした」
「今パリにいることができて幸せです」
「蓮太郎が元気で幸せです」


 と メトロの帰り際に彼女に言った。
そうやって口に出してみる と なんだか確かにそうだと思え
そんなことを教えてくれて 私のために時間を割いてくれる
お姉ちゃんみたいな人がいる それだけでも
すごい大きなことだなあと思った。


 それからまた家に帰ってなんでこんなに
簡単にはげしくネガティブモードに陥っちゃうのかとか
考えたりして だいぶ気持はおちついて

 そういえば 今日こうして彼女にこれだけ気持を話せたということ
それだけですごい 私はかなり上達したんだ
今までフランス語できないと思ってたけど
なんかけっこうできるようになったかも!と
その夜にちょっと思えた。
すると次の日 いろんなところに行ったりしても
意外と普通の会話が楽しめて あれ
この人私の話すことにしかめっ面してないなとか
ほとんど通じてるのかしらとか なんだかだいぶうれしくなった。


 翻訳も昔に比べたら相当な早さになって
そう かつて日仏学院で憧れていた
そんな自分に少しずつ近づきつつあるのかなあ

 なんでフランスだったのか
自分の中には理由があった
なんでカメラマンをしていたのか 
それだって いつかパリのカフェの写真をとりたかったから
少しずつ 私はどこかに近づいていて
ネガティブな物の見方をしなければ
いいことなんていっぱいあって 
そう ありがたいことだらけ。
今日はビストロの仕事に関連してチーズの試食会を
代表のお家でしてもらえるそうな。
チーズもワインもフランスの地方のことも
フランスの基本的な料理についても
1年前は何一つ知らなかったけど
おかげさまでだいぶ知識も増えてきた。
だいぶサイトもしっかりしたので
よかったらまた見てみてください。

Paris-Bistro.com

悪夢の後で

2011年05月02日 | 私の人生


 普段は夢なんて覚えることはないのだけれど
昨日の夜に見た夢は かなり恐ろしい夢であり
どんな夢だったかというと バスに乗ってたら
大量にぐらぐらと歯が抜けてって
気がついたら口の中がじゃりじゃりになり
歯で溢れそうになって必死で押さえる
そんな恐ろしい夢だった。


 そのあとにハッと起きたからなのか

 あまりに恐ろしくその夢のことを相談したら
フランス語で見たサイトによれば「アンピュイサンス」と
書いてあり  それはまったくその通り で
自信のなさとか 気力のなさとか
自分に対する信頼感のなさみたいなのが
どうやら夢で露呈したらしい
(もっと恐ろしいことも書いてあったけど
あまりに大量に歯が抜けたのは多分自分の問題だろう)


 そう なんでだか 私は先日本当にもう死んでしまいたいという
気持になって ちょっとまってよ これじゃ
パリ症候群と同じじゃんか もうそんな風にはなりたくなかったし
けっこうリラックスして生きていると思ってたのに、、、

 フランス語のサイトによれば 自分が
他人からどう思われているかを気にし過ぎとも書いてあり
確かになあ 私ここに来たってただの母でしかなかったし
先日会った人に「それで今は本を書きに来ているんですか?」
と言われて本当にショックを受けた。


 パリでは沢山の活動をして活躍している
日本人の人たちがいる そんな人たちに会う度に
私はなんだかショックを受けて 話したい 会話したいと思っても
まともな会話が続けれられない(子供を追いかけたり
手を引っ張られたりしていくので)それが私には
けっこうしんどい。もうひとふんばり と思うけど
なかなかどうして なのかなあ


 それでも私が私の立場でできること って
あるのだろうか 昨日フランス人の友達に
日本とフランスで母として体験した子育てを
ブログに書き続けて行くのはとても大切だろうと
言われて嬉しかったけど そう 今の私にできること は
たくさんの葛藤や感じたことを 
ひたすら言葉にしていくことで
今は何にもならなくっても どこかで誰かが
少しでも共感をしてくれてたら そのうち
何かになるのだろうか


 こんな状況でなんとかもがいているけれど
それでもフランスで私がちょっと身につけたのは
「大人のために子供の習慣をコントロールする」ということで
日本では 子育ては追われてなんぼ ヘトヘトになってなんぼなのかと
思ってたけど こちらでは 規則正しく子供を時間通りに
寝かしつけたり 一人で有無を言わさずベッドに行かせたり
そういうことができるようになってくると
たとえ一人で子供を見ていても かつてのように
「もうほんとうにひどい!いい加減にしてよ!」という
ような気持になることが減ってくる。


 どっかでそんなことがまた起こったら
日本にいるとき私は同じようにこう聞いていた
「いったいどうしたらいいんでしょう?」
私は何度も出会った人やまわりの人に尋ねて来たけど
日本の人たちはこう言っていた「子供はそういうものなのよ」
たとえばスーパーでものすごくだだをこねて
寝転がったり泣きわめいたり だけど「子供だからね」で
日本ではそこでけっこう甘い言葉で
子供を釣ったりすることがある。
私なんかは実際お菓子で釣ってしまったり、、、


 けれどこっちだと「どうしたらいいんだろう?」
と尋ねてみると それは「母の愚痴」的な言葉ではなく
質問として受け取られ 解決策が提示されたり
解決策を考えるようにしむけられることがある。

 そうか私は「仕方ない」って諦めていた
「この子はこういう子なんだ」って たとえば
「抱っこだっこ!!」と言っていたって
公共空間でいい子にできなくっても
日本だと「うちの子はできなくって、、、
えらいねえ なんとかちゃんは、、」で終わってしまう


 息子は昨日カフェで昼寝をして目覚めてから
よくわからないけどかんしゃくを起こし
外で15分くらい大声で泣きわめいていた
私は止めることすら出来ずどうしようもなかったけれど
だから泣き止むまで泣かせるしかないし
この子はそういうことがある子なんだと思っていたけど
そういうことをされてしまうと あとで誰もが
とても嫌な気分になるというのもよくわかり


 それならそうさせないようにしてみる方法は
ないのだろうか?おそらくそれもあるのだろう
我が子は夜中に何度か目をさましていたけれど
ある時からシャワーのあとにマッサージをはじめたら
夜中ぐっすり眠れるようになってしまった
問題があるのなら 解決策もあるかもしれない
もっと快適に生きられるように
なにか違う方法があるのかもしれないんだな
フランスはなんだかそういう発想の仕方がすごい
それはとっても当たり前のことなんだけど
「だったらもっとみんな気持いい方がいいじゃない?」と
そんな発想がある気がする。
子供がいるのは手がかかるけど
子供の言葉はあたたかい。
子供といるのは大変だけど 小さな身体はあたたかい

 子供も大人も もっと一緒に快適に
幸せに笑っていられる そんな生き方
どちらかが何かを諦め切ってしまうのではなく
一緒にいることを楽しめる そんな生き方があったらいいなあ
子供と一緒にわけもわからず飛んで来てしまった
私に今課されているのは そんな何かを見出してみることなのだろうか

人生

2011年03月24日 | 私の人生

 書きたい 書きたくない 書きたい
書きたい 書くべきじゃない でも本当は書きたい

 そんな気持を地震のあとからずっと
持ち続けていたけれど このブログ は
私自身の記録であって やっぱり私は書いていたい
どうしてかって たぶん書かないと生きられないから
なのだろう


 人生って何なのだろう
夢は諦めるためにあるのだろうか
私のまわりの大人達 は
諦めなさい 諦めが肝心なのよ と
私が子供を産んでから ずっと諭してきたけれど

 それで私もそんな色にちょっと染まって
時折若い人たちのいる場所で 夢って
諦めるためにあるのかな よく諦めろって
言われるんだけどと言ったりすると
「ええ 何言ってるんですか!」と
今度は逆のことを言われて戸惑ってしまう。


 昨日はネガティブモードが全開になり
とても一人でご飯をたべる気になれなくて
四条河原町から御所南まで えんやこらっと歩いて行って
mocomococafeというカフェをやってる友人に
「ねえ夢って諦めるためにあるのかな?」と
きいてみると「何言ってるんですか!昨日夢を
どう叶えるかって書いてたじゃないですか」と
言われてしまう。「でもそれはクロちゃんが言ってたんだよ
私は文章に起こしただけだよ」「でもみきさんだって
言ってましたよ 私たちは他の人からみたら
それなりに夢を叶えた人のうちに入るのかもしれないって。。」


 そう それで 私が最近わかったことは
夢を叶えたかったら協力者をみつけることで
一番大切なことというのは共感なんだ、、、、


 だけど私はすごく苦しい

 どうして?どうして?と人は言うだろう

 私だって答えられない どうしていいのかわからない

 だけど1つ言えるのは 私だって苦しんできた
そんな中でもがいて努力して何度も泣いた
この一ヶ月 どれだけ私は泣いただろう
悩んで悩んで 泣いて泣いて その先に訪れた決断は
未来を開いてくれるのだろうか


 私にはよくわからない こうすべきという価値観も
どうしてそうすべきなものなのか

 わたしにはよくわからない 人が幸せなはずという価値観が
必ずしも全員にとって幸せなはずじゃないということを
簡単にはわかってもらえないことも

 私にはよくわからない この先どうしたらいいのかも

 だけどもし 私にも少しの光が 少しの未来があるのなら
私はきっとまた書くのだろう 疎まれていても
存在を歓迎してもらえなくても それでも書いたその言葉 は
誰かの中に残ることだってあるかもしれない
それでも創ったその場所やその空間は
誰かの記憶に残ってくれるかもしれない
それが誰かの 新しい一歩を踏み出すことになるかもしれない
だから私は何かを創って行くのだろう たとえ
存在が疎まれていても だけと本当は歓迎されたい
だから私はどこかへ行こうとするのだろう

 まだ未来はあるのだろうか
私にも 残された人生はあるのだろうか
もう人生は終わったと思っていた6月から
少しずつ違う方向性が見えて来て 私は随分待ったのだろう
諦め切って死ぬ前に 使命があるなら私はやりたい

心の声

2011年03月06日 | 私の人生

 ここに戻って来ると私の内なる声はたいてい
いっつも 苦しい 苦しい、、、と訴えていて
だけどなんだかぬるま湯だから そこを出るのも
こわくって それにやるべきことが山ほどあるから
そんなこと言う暇があったら進むしかない!と
そこに向かってみるのだけれど

 
 どこかに気持を吐き出したい。


 とはいえブログはなんだか公のものになっていて
予想さえもしてないような誰かがみているわけだから
(それはおそらくあなたのことかもしれません?)
それでも私が書いてしまうのは ただ書かないでは
生きられない人だから というのもあるけど

 京都において これだけブログを書いて来たのは

 もしかして 近くにわかってくれる人というのが
いなかったから なのかもしれない。


 パリや東京で書くときは おそらく私は
こんなことがあった!とか こういう経験をしたとかで
「伝えたい」という想いで書いているのだけれど
京都でパソコンに向かってひたすら手を動かしているときは
このどうにもならない想いをどこかに吐き出したくて
それがこのパソコンだっただけ で
もし誰か がいたのなら そうはならなかったのかもしれない。


 そう考えると 今置かれているこの状況も
まあ仕方のないことなのかなあ
私はどこへ行くのだろうか
私はどこへ向かうのだろうか
人は夢 を 口にしたなら
そこへ一緒に向かってくれる 誰かを
見つけられたなら それを実現できるのだろうか

 
 今日はモコモコカフェというところで
カフェコーヒーというイベントがあり
そこで楽しくカフェについて、BAR探偵の店長の
吉崎さんと モコモコカフェの店長のくろちゃんと
みんなの前でお話をさせてもらってきたのだけれど
お話を聞いてくれてた中の3人が 自己紹介で
「このカフェが出来る前からかかわっていて、、、」
と言っていた。


 そういえば 今はカフェがあるけど
私も子供を生む前は 彼女らとともに
ちょっと行動を共にしていて
今のカフェの2階はまだ誰かの部屋であったり
1階は土間みたいになってたりとか
その前にパオでカフェをやってたりとか
いろんなことがあったなあ


 もう私も「cafe文化研究家」的な肩書きに慣れ
みんなの前で本の宣伝をするのもだいぶ慣れたりしたのだけれど
彼女達とカフェで語ってた頃 私はまだ原稿を書いてるときで
書き終わって蓮太郎が3ヶ月の時 出版記念パーティとかで
ここに居た人が来てくれたりもしたよなあ
あのころはまだカフェはなかった

 
 そうやって 思い返せば
夢は叶うものなのだろうか。
今日ここにいた吉崎さんは いつか鴨川で会った時
「京都に移るか静岡に残るか」でかなり熱く語り合い
「僕は京都でもやっていける自信があります」と
語っていたな そして今京都でカフェの店長をやっている。


 そうすると 想いをもって 動きだし
協力者 を 見つけていったら
たとえ大金は稼げなくても 夢は叶うものなのだろうか


 私にはよくわからないけれど 今日そこにいて
みんなの前で話をしていた3人は 他の人から見たら
ちょっとは「夢を叶えた人」ということになるのだろうか
そうなのだったら 夢ってどうしたら叶うんだろう


 
 私にはもう何もないから
何もないと思っていたから
失うものさえないと思ってたから
だから私は動きはじめた
そして私は語り始めた
だって何一つもってないから
それでも何かを叶えたかったら
言葉にすること?それ以外には何もなかった。


 私には何もなかった
降ってきたのは希望だけ で
もう死んだ顔して生き続けるのは嫌になったから
希望を持ってみたかった。


 希望があるなら 死ななくてもいいのなら
もしも笑って生きられるなら そんな人生があるのなら
もう一度 そこに向かっていきたい
そう 心の底から思った私は
行動を起こすことにした。



 そうして私は?どこかに向かって行くのだろうか
この2ヶ月で 本はだいぶそれなりの形がみえはじめ
Paris-bistro.comはまたたく間に立派な形になった
夢を実現させるためには?語るだけでなく
協力者、応援してくれる仲間が必要なのだろう。
そんな時 手に負えないくらい大きなものを背負ってしまって
それが回転しはじめたとき、助けて!!と心の中で
叫びながらも なんだか楽しくて笑ってる
それがかつて 人が呼んでた「イイダミキ」という者なのだろう

 だから私は 進むしかない
もう 進み始めてしまったのだから
悲しくなったり 苦しくなったり 弱気になってる暇はない
そう それはよおく わかってる
だけどどこかに吐き出していたい
私は決して強くはないから
道はきちんとひかれてないから
あるのはただ希望だけだから
それでも道がつくれたのなら
何年か後に 今日の日みたいに
「そういえばあのころこんな風に言ってたなあ」って
ちゃんと実現してるんだって 思える日が 来たのなら
これを書いた意味もあるかな?

 時間はとても限られてるから
少しでも前にすすまなきゃ。

未来に向かって

2011年02月06日 | 私の人生

 今日は朝から外に一歩も出なかったからか
お昼ごろにはだいぶ鬱っぽい気分になって


 この先の人生どうしよう・・・


 と一人で途方に暮れいていた。

 もう人生を変えよう、と一度は決意したものの
私はいつも弱っちいから あとで後悔してみたりとか
ちょっと涙を流してみたり またぬるま湯が
恋しくなったり バカな自分をなじってみたり。


 
 そんな時 は 一人で悶々とするよりも

 きっと誰かと話をした方がよいわけで

 そう そんな時 カフェに行ったら良いんじゃないかと
今本に書こうとしてるじゃないか でも今日は
もう外に出たくなかったから 下の階の友達を呼んで
一緒にご飯を食べたりしてた。


 そうこうするうち旦那が帰って 「ハイ これ」と
渡されたのは 通訳案内士の試験結果で
うわー!!もう?恐ろしいけど 一度拝んでから
封をあけよう どうか受かってますように!
とおそるおろる封を開けると合格していた!!


 やったー!!!


 とちょっと飛び上がりたい気持で
 
 これフランスだったら即シャンパン!と
思ったけれど ここは日本だ しょうがない。
でも本当にうれしくて 今日の暗かったどうしようもない
鬱モードを なんとか抜け出せたような気がした。


 それからだいぶアイデアも出てきはじめて
そうだ本の考えとリンクをさせて
「誰かと気軽に会話のできるカフェ」を
全国マップにまとめたサイトをつくってみたら
どうだろうとか それなら昨日みかけたETICの
ソーシャルベンチャー支援と関連づけられる?とか
そうだだってオルデンバーグは「フランスのビストロほど
サードプレイスとして認めやすい場所は他にない」と
言ってるんだから それならParis-Bistro.comと
リンクをさせて、そんな日本のサードプレイスなカフェを
まとめてみたっていいではないか?
その方が需要だってあるんじゃないか?
と考えてみた。


 私は今日思ったのだけど

 「しんどいから誰かと会話したい、、、」と
思ったときに 誰でもよくって そうだって
日本の友達という人たちは いつもなんだか忙しいから
「今日ちょっと暇?」というわけにはいかないようで
(何故か専業主婦でも忙しい!)
そんな時 どこにいったらそんな場所があるんだろう?
しかも自分にとって快適で なんだか不愉快にならないような
そんな場所 がすっと検索できたらいきたいのになあ
と私は思った。


 それ けっこういいんじゃないか?

 そんなアイデアは前から何度か出てはいたけど
みんな忙しくて出来ないのなら 私が集めてみたっていいのかも
だってカフェ文化研究家なわけだから。。。


 それでかつ そんな「出会いと会話のできるカフェ」に
フランス人とか外国人も呼んで来るわけ。
そこのガイドをしたっていいし
何故ならそんな出会いは平凡で単調な日常に
ハッとさせられる驚きだったり違う考え方をもたらすからで
カフェこそはそんな場であってほしい
浜名湖ユースのカフェはユースとカフェがあったから
そんな場として機能していた
旅人が地元の人と交わって
地元の人もいつもと違った視点で街をみられてちょっと嬉しい
そんな場所 が
もっと全国に増えたなら

 それで時折そんなガイドができたなら

 そりゃ外国人はうれしいよなあ


 世界には日本語を何年も学び
「日本は私の夢だった!!」と一生懸命
お金をためて日本に旅行する人がいる
だけど彼らにあんまり普通の人との出会いはなくって
金閣 銀閣 三十三間堂に行くだけで
それで 日本 なのかなあ?
もっと普通の場所で 普通に意見を交してみたら?
それほど嬉しいことはない。


 うーん このアイデア なかなかいいかも

 これ日仏両国でできたなら

 かなり面白くなる気がするなあ


 今朝はとっても暗かったけど
みんなに少し勇気をもらって
前も向いて行くしかないわけで
せっかく受かったガイドの試験
未来に向かえるツールがあるなら
まだ道のりは遠いけど 少しずつ歩みを進めたい。

希望

2011年01月26日 | 私の人生

 こんなことしてる場合じゃないって
わかってるけど そんなことしてる暇があったら
もっと前に進めばいいのに って
頭ではわかっているけど
私だってどこかに気持を吐き出したくて
それがこの場であるのかわからないけど
だけどこれは 結局は自分のために書いてるわけだから
自分の気持くらい書いたっていいではないか?


 ああ辛いな と思う度

 少しの希望を胸に抱いて

 そこで生きてる自分を描いて

 なんとか生きているけれど


 希望や夢がある人生と
そんなもの何もない人生と 

 どちらの方がいいのかなんて
なかなか難かしいけれど

 私にとっては 希望があって
でもそこに至るのがちょっと苦しい
そちらの方が 真綿で首を絞められながら
生きているよりはましなのだろう。


 どうして私はものを書くのか

 どうして私は考えるのか

 ママ達の集まりに行き 

 相も変わらずなんとなく
端っこの方にいて所在無さげな自分を感じ
それでも以前の自分よりは 希望もなにも
もってなかった そんなころの自分よりは
今は客観的に この場を眺めることすらできるから
きっと前よりましなのだろう。


 私だって 蓮太郎と遊ぶとき は
あははと笑っているけれど
児童館にきて それなりに幸せそうに
笑っているお母さんたちをみてると
なんだかとってもうらやましかった。

 ああそうか それなりに
満足できたら幸せなんだ
愛する人と それなりに自分を活かせる仕事があって
毎日毎日子育てオンリーなわけでもなければ
子供だってかわいいものだし
へーそうか 結婚したからといって幸せに
なれるわけじゃないって 私は思っていたけれど
大多数の人はけっこう幸せなのかもしれない
どうして私がこうなったのかはわからないけど
それなりに みんなは満足そうに見え
なんだかとってもうらやましかった


 私ってこんなとこにいて
なんだかとっぴな考えを一人持っていて
そりゃあ 幼稚園ママたちと一緒にいたって
話が合う訳もないよなあ 立場は一緒なんだけど
子供を寝かしつけたその後に
誰かは家事をし 誰かは必死でバイトを探す
そんなママたちがいる中で
私は必死で研究だったり フランスに関することをして
なーんか私って おかしいんだわと
今更だけど 気づいてしまった
そりゃ 居心地も良くないだろう。。。



 今までは 合わせなきゃ と思っていたけど
もうそんな生き方はやめにしようと私は思い
そうしたら もちろんここでは孤独を味わうしかないけれど
どっちにしたって ずっと孤独を感じてきたわけだから
たいした変化はないのかも。


 私はもっと 自分らしく生きていたい
蓮太郎と二人でいると そういう集まりにいるときよりも
もっと自然でバカになれるのは 誰かに合わせて
それらしく振る舞う必要がないからだろう
自分らしく生きること って ここではとても難かしいけど
私にも未来と希望があるのなら 私はそこに向かいたい
だから仕事をしなければ、、、

困難な道

2011年01月20日 | 私の人生


 今年のはじめに色んなことを考えて
よし やっぱりがんばってみよう
どんなに困難が待ち受けてても と
思ったものの 日本に帰って早速困難に直面すると
ついつい気持も折れそうになり いや、だけど
ここまでやってきたんだから!と
なんとか自分を奮い立たせたり。


 それでもやっぱり 母であり
しかも子供は保育園にも通っていないという立場で
何事かをしようとするのはあまりにしんどい状況で
だって子供が寝たあとに ハア と息つく暇もなく
やれ翻訳だとか 研究だとか あれやこれやを
やってると なんだかちょっと道を間違えたような
でも間違ってなんかいないような
だけどちょっと愚痴をもらしたくなるような
でも前の生活になんて二度と戻りたくないような
なんともいえない ちょっとため息が漏れてしまう。


 フランスで あの時感じた
なんとも近いようで深いような溝というのは
飛び越えようとしたときに 飛び越えられるものなのだろうか
えいやっと 踏み込んでみたら 意外と飛べる
そんな気だってしたのだけれど
踏み込むまでには ちゃんと飛ぶには
長い助走がもっと 必要とされてるのかもしれない。


 それでも私は色々あって
一年前の自分からしたら驚くくらいに変化をしてて
一年前のこの頃は 未来がみーんな灰色だった。
希望なんてもってなかった。フランスだって夢のまた
夢だったけど 意外なことにフランス語もかなり
上達できたし メールも毎日チェックできるように
なってるし 世界がそんなにもう遠いとは
思わないようになってるし だからすごく進んだ訳で
ただちょっと 前に進んでゆくというのが
道を切り開いていくというのが ちょっと勇気がいるだけで


 もしも色んなことが実ったら
これまでやってきたたくさんのことが
少しずつ日の目を見たら 三十代は
もっと笑っていられるのかな
そんな可能性を感じられたから
私はそれらの事に対して 手を出して
歩を進めてきたわけで どうなってくのか
うまくいくのか そんな保証はないけれど
どうせ何も持っていないなら
私には信じるしかなくて
夢見る 信じる 実現していく
そんな生き方がもし可能なら
なんとか私はやってみたい。

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861