叶う夢 と 叶わない夢 その差はどこにあるんだろう?
どうしてうまくいくことと いかないことがあるんだろう?
何年も夢見ているのに叶わないこと
半年くらい夢見ただけで叶ってしまうことがあり
その差はどこにあるのかと ずっと不思議に思ってた。
もしかすると、夢の実現というのは自分の気持や本気度合いの
リフレクションなのかもしれない。
本気で叶えたい、と思っているはずなのに
半分くらい不安があったり 誰かに「~したいの?」と聞かれても
即答で「もちろん!」と答えずに 叶わない理由や逃げ道をつけてみたり。
本当に大きな願い程 叶わなかったときの恐ろしさといったらない。
だからこそ 私は逃げ道を作ってきたのだろう。
だけどきっと そんな気持は現実に反映されている。
フランスの2週間でそんなことに気がついた。
夢見てたことは山ほどあった。きっと他人の目からしたら
私はどちらかというと夢を叶えている方で
うらやましい、と思っている人もいるかもしれない。
だけど私自身からすると もう7年も思っているのに
叶わなかったり やっと一歩を踏み出せたようなものも沢山あって、
泣きながら夢見て願い、祈ったものに 今回ほんの少しでも近づけた
それは本当にありがたい。
例えば今年、なんとしてでも私はフランスに行こうと思った。
去年のワイン産地巡りの取材が素晴らしすぎたから。
あの経験ができるためならなんでもしようとフランス語も努力したし
ワインの勉強も頑張った。文字通り今年の夏は勉強漬けになり
ワインを嫌いになりそうな程だった。
けれどもその執着やら絶対に実現させたいとの迷いなき願いの成果があって
今年もわりとスムーズにその「夢」というか「意地でも実現させるべきもの」は
叶ってくれた。そこにあまり迷いはなかった。
ここまでやってきたんだから。ここまで勉強したんだから。
ここまで頑張ってきたんだから、お願いだから行かせて下さい、
今年は無理、なんてどうかなりませんように・・・
不安はもちろんあったけど、不安より先に私は前に進んでた。
だからまわりの人もまあ仕方ないか、と思ってくれたのだろう。
特に誰からの反対もなく、一人で渡仏させてもらって
また素晴らしい経験をさせてもらえた。
これくらい 迷いがなければ、夢 というのは夢 というより
実現すべき現実くらいになるのだろう。
何かが現実に降ってくるには 準備が7割できていればいいんだよ と
私の人生が大幅に変わる直前にある人が言っていた。
それはまさにそうだと思う。夢 を漠然と抱いているとき
その夢はまだ実現しない。抱かないより抱いた方がもちろんいいけど
夢をもっとクリアに思い描いていって そこに自分がいるってことが
「わーお!!」という驚きよりも 本当に自然なこと で
愚痴の1つも言いたくなるくらいな状況の方が
きっと引き寄せられるのだろう。お金持ちはお金があるのが
まさに当然だと思っている。息子を私立に行かせることが
当たり前だと思っている。そういう人には年間100万円の
学費だってすっと払えてしまう程 に 何故かお金が入ってくる。
今回私はフランスで また少し 自分の夢に近づけて
なんだかちょっとわかった気がする。
夢の実現を妨げてるのは 他の誰 でもなくて
おそらくそれは自分自身の不安や恐れ なのだろう。
「もしそれが叶わなかったら?」
「もしうまくいかなかったとしたら?」
そんなこと は 考えない。たとえ考えたとしても 気持の10%以下にする。
うまくいくのがあまりに自然で ごく当然なことという風に
自分の心や実際の準備が7割まできていたら
きっと偶然が起こってくれる。偶然は 思いもかけない方向からやってくる。
だから神様がいると信じて なんとか前に進むこと・・・
私は沢山泣いてきた。不安だらけでどうしたらいいのかわからなかった。
気持がぐちゃぐちゃになったことも何度もあるけど
今回のフランスは なんだかとても自然だった。
はじめて?きっと おそらくはじめて パリにいるのが
とても自然で なんだか住めそうな気分になった。
そんな気持になったなら そして心の準備を始めていたら
また偶然が起こるだろうか。私はフランスが心底好きだ。
フランスで飲むワインといったら本当に美味しいし
パリはやっぱり面白い。私はパリに帰りたい。
もう我慢して苦虫をかみつぶした顔で生きるのではなく
あの街でアハハと笑って生きていたい。
どうしてうまくいくことと いかないことがあるんだろう?
何年も夢見ているのに叶わないこと
半年くらい夢見ただけで叶ってしまうことがあり
その差はどこにあるのかと ずっと不思議に思ってた。
もしかすると、夢の実現というのは自分の気持や本気度合いの
リフレクションなのかもしれない。
本気で叶えたい、と思っているはずなのに
半分くらい不安があったり 誰かに「~したいの?」と聞かれても
即答で「もちろん!」と答えずに 叶わない理由や逃げ道をつけてみたり。
本当に大きな願い程 叶わなかったときの恐ろしさといったらない。
だからこそ 私は逃げ道を作ってきたのだろう。
だけどきっと そんな気持は現実に反映されている。
フランスの2週間でそんなことに気がついた。
夢見てたことは山ほどあった。きっと他人の目からしたら
私はどちらかというと夢を叶えている方で
うらやましい、と思っている人もいるかもしれない。
だけど私自身からすると もう7年も思っているのに
叶わなかったり やっと一歩を踏み出せたようなものも沢山あって、
泣きながら夢見て願い、祈ったものに 今回ほんの少しでも近づけた
それは本当にありがたい。
例えば今年、なんとしてでも私はフランスに行こうと思った。
去年のワイン産地巡りの取材が素晴らしすぎたから。
あの経験ができるためならなんでもしようとフランス語も努力したし
ワインの勉強も頑張った。文字通り今年の夏は勉強漬けになり
ワインを嫌いになりそうな程だった。
けれどもその執着やら絶対に実現させたいとの迷いなき願いの成果があって
今年もわりとスムーズにその「夢」というか「意地でも実現させるべきもの」は
叶ってくれた。そこにあまり迷いはなかった。
ここまでやってきたんだから。ここまで勉強したんだから。
ここまで頑張ってきたんだから、お願いだから行かせて下さい、
今年は無理、なんてどうかなりませんように・・・
不安はもちろんあったけど、不安より先に私は前に進んでた。
だからまわりの人もまあ仕方ないか、と思ってくれたのだろう。
特に誰からの反対もなく、一人で渡仏させてもらって
また素晴らしい経験をさせてもらえた。
これくらい 迷いがなければ、夢 というのは夢 というより
実現すべき現実くらいになるのだろう。
何かが現実に降ってくるには 準備が7割できていればいいんだよ と
私の人生が大幅に変わる直前にある人が言っていた。
それはまさにそうだと思う。夢 を漠然と抱いているとき
その夢はまだ実現しない。抱かないより抱いた方がもちろんいいけど
夢をもっとクリアに思い描いていって そこに自分がいるってことが
「わーお!!」という驚きよりも 本当に自然なこと で
愚痴の1つも言いたくなるくらいな状況の方が
きっと引き寄せられるのだろう。お金持ちはお金があるのが
まさに当然だと思っている。息子を私立に行かせることが
当たり前だと思っている。そういう人には年間100万円の
学費だってすっと払えてしまう程 に 何故かお金が入ってくる。
今回私はフランスで また少し 自分の夢に近づけて
なんだかちょっとわかった気がする。
夢の実現を妨げてるのは 他の誰 でもなくて
おそらくそれは自分自身の不安や恐れ なのだろう。
「もしそれが叶わなかったら?」
「もしうまくいかなかったとしたら?」
そんなこと は 考えない。たとえ考えたとしても 気持の10%以下にする。
うまくいくのがあまりに自然で ごく当然なことという風に
自分の心や実際の準備が7割まできていたら
きっと偶然が起こってくれる。偶然は 思いもかけない方向からやってくる。
だから神様がいると信じて なんとか前に進むこと・・・
私は沢山泣いてきた。不安だらけでどうしたらいいのかわからなかった。
気持がぐちゃぐちゃになったことも何度もあるけど
今回のフランスは なんだかとても自然だった。
はじめて?きっと おそらくはじめて パリにいるのが
とても自然で なんだか住めそうな気分になった。
そんな気持になったなら そして心の準備を始めていたら
また偶然が起こるだろうか。私はフランスが心底好きだ。
フランスで飲むワインといったら本当に美味しいし
パリはやっぱり面白い。私はパリに帰りたい。
もう我慢して苦虫をかみつぶした顔で生きるのではなく
あの街でアハハと笑って生きていたい。