前の記事からの続きです:
結局、7回日本に呼び、新幹線に乗せたり方々へ連れて行った。
私も現地に行く機会をつくり数度、渡航しました。
話があちこち飛びますが、寡婦を探す、再婚を前提に女性を探すとき
ネットのxx倶楽部から色いろ、探して面会を申し込む
大体、会って話をすることができたが、
一回で終わることもあれば数か月続くことも
国内ではメールの交換よりは、会って話をして相手の感触を確かめる
意気投合をすれば数か月続いたこともあったが
実らなかった。
米国の人たちとは宗教を同じくするために
キリスト教関係のサイトでメール交換をした
日本のように、すぐ会えるということはできないので
夏休み、感謝祭、クリスマス前後に現地へゆき、面会していた。
妻と出会ったのは、寡婦を探すというより
ネットワークビジネスに名前を借りるというスタンスがメインでした
相手の年齢が、趣味が、宗教が、教育が、家族構成が云々は度外視
でしたが、日本へ呼び、方々へ連れて行く際に
色々話がはずんだりしたが、気まずい空気は不思議と生まれず
7回とも日本の観光地、特に東京の公園などを気に入ってくれた。
話している間に、自分の今まで歩んできた人生や
スマトラ島の故郷の家族、ジャワ島とのつながりについてわかってきた。
別に驚きはしませんが私との年齢差が27あり、
私が逆の立場ならば、おことわりです。
今まで仕事で現地に行ったのは数度ありますが
現地の人の暮らし、居住してみてわかる生活様式、食文化に
違和感を覚えたことがないからラッキーです。
コミニュケーションはインドネシア語、英語をまぜて
時々インドネシア語(以下、BAHASAと書きます)で話が通じない時、
知ってる英単語を使う、私が知らない事が多いい。
大昔、英検二級を受けるときに、単語、熟語を学んだが
妻によく言われる、これ英語だよ、知らないの?
その時は、ほかの単語か、BAHASAで説明、意思疎通をはかる。
ヒヤリングも私よりできるので、海外に出たときは任せている。
最近は自分でも日本語を覚えたいという気持ちが
芽生えたらしく、ネットから毎日勉強をしています。
7回目に呼んだ際、東京で生活する気持ちの有無を尋ねた。
ではお互い再婚しましょうと、在留届申請、区役所、在日イ国大使館へ
公式書類を提出、住民票を入手、今に至るのであります。
それまで私は自炊をしていましたが
再婚後は一切口を挟まず、作られたものを食べるだけのライフスタイルに
私は毎日満足しています。
日本に来たら、日本式のやり方でご飯の支度をしてほしいなど
私は一切口出しません、妻のやり方で炊飯器で米飯をたき、器によそう
それも妻のやり方で、問題はありませんからそのままです。
私は一番、気にしているのは赤道直下から少し外れているが
雨季と乾季しかない自然環境から四季のある日本へ
室内の温度に、寒くないようにしていることで
そうは言いつつ、台所に瞬間ガス湯沸かし器を設置していないので
数年間、台所用の手袋をつけて食器をあらわせていましたが
今年からシンクの下に電気温水器をつけ、お湯を使い洗えるように。
今は、東京の生活が性に合ってきたので自分の家とおもって生活
年齢差があるだけ、とても活動的、毎日、ウオーキングの日課になって
自分の目標を決めてあるいています。
日本に来たときは私の体重より多かった、背丈に比べ
冗談に10KG痩せたら、現地で乗る車を買ってあげると
なんと、それを翌年の区の無料検診で看護師さんから
去年と10KG違いますねって驚かれたことがある
それ以来、毎日起床すると体重計に
乗って管理をするようになっています。
このつづきはまた、今度へ