皇室ジヤーナル

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後七日御修法

2025-01-18 16:13:50 | 日記

1月14日、京都市南区の東寺(教王護国寺)で鎮護国家や玉体安穏を祈願する「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」の結願上堂が行われ、天皇陛下の勅使も参向し、献香が執り行われた。

後七日御修法は、真言宗最高の密教儀式で、天皇陛下がお召しになられる御衣を加持する。



東寺・頂院= 筆者撮影


今年は、高野山金剛峯寺座主の長谷部真道猊下が大阿闍梨を勤め、胎蔵界曼荼羅の前で厳修された。



法要が営まれる頂院へ続く道= 筆者撮影


午前10時、真言宗の各派総大本山の高僧ら15人の高僧が本坊を出発。それぞれ大きな朱傘を差し掛けられながら、境内を静かに歩いて法要を営む頂院に入った。



潅頂院に入る真言宗の各派総大本山の高僧= 筆者撮影


午前11時過ぎ、勅使の石原秀樹京都事務所長と随員が正装姿で到着。一旦、勅使供応の場として使われる小子房に入られた後、11時20頃、法要が営まれている頂院に向かわれた。



法要が営まれている潅頂院へと向かう勅使= 筆者撮影


11時45分頃、御加持を終えた御衣は、弘法大師を祀る御影堂に奉安され、奉還される



御加持をした御衣を頂院から御影堂へ奉送= 筆者撮影



御影堂にて唐櫃より取り出された御衣= 筆者撮影


後七日御修法は、弘法大師空海の進言により、承和元年(834年)に宮中(内裏)真言院で営まれたのが始まりで、明治以降は1月8日〜14日に東寺(教王護国寺)頂院で行われている。



潅頂院南側(三昧耶戒場)= 筆者撮影


御修法の様子は非公開だが、結願後は後拝みとして、午後12時30分頃より、修法の香煙が立ち込める頂院が公開され、天皇陛下の念持仏として清涼殿の次の間にお祀りされた二間観世音菩薩の守護札が参拝者に授与される。



御修法で使用された仏具の一部= 筆者撮影


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皇室のご予定(1月13日~19日)

2025-01-13 18:00:00 | 日記

宮内庁は1月13日~19日の皇室のご予定を発表した。


天皇皇后両陛下は、16日~17日、阪神・淡路大震災30年追悼式典にご出席のため、兵庫県を行幸啓される。


【御日程】


1月16 日(木)

  午前 神戸空港       御着

  午後 ホテルオークラ神戸  復興状況・県勢概要御聴取

     兵庫津ミュージアム  御視察

     ホテルオークラ神戸  御宿泊

1月17 日(金)

  午前 ホテルオークラ神戸  御発

     県公館        御視察

     阪神・淡路大震災30年追悼式典  御臨席

  午後 人と防災未来センター 御視察

     神戸空港       御発



「阪神・淡路大震災30年追悼式典」が行われる兵庫県公館(筆者撮影)


彬子女王殿下は、13日、秩父宮ラグビー場で第61回全国大学ラグビーフットボール選手権大会決勝戦を観戦され、表彰式にご出席される。

高円宮妃殿下は、同日、国立競技場で第103回全国高等学校サッカー選手権大会決勝戦を観戦される。


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「降下訓練始め」陸上自衛隊第1空挺団

2025-01-12 22:00:00 | 日記

1月12日、陸上自衛隊のパラシュート部隊である第1空挺団の「降下訓練始め」が千葉県の習志野演習場で行われた。訓練は新年の恒例行事で、1年間の降下訓練の安全を祈願するために行われている。



降下訓練始めで次々と降下する空挺隊員=習志野演習場(筆者撮影)


訓練は、他国に離島を不法占拠された事態を想定して行われ、航空機からパラシュートで降下した第1空挺団員らが、ヘリコプターや戦車などの援護射撃を受けながら奪還作戦に当たった。



地上訓練展示=習志野演習場(筆者撮影)


降下訓練始めには、アメリカ軍のほか、同志国として、カナダ、ドイツ、イタリア、オランダ、シンガポール、オーストラリア、ポーランド、イギリス、フランス、フィリピンの各軍も参加し、過去最多となった。



国旗を手に来援する同盟国・同志国軍の空挺部隊員=習志野演習場(筆者撮影)


習志野は、明治天皇ゆかりの聖蹟でもあり、習志野の名称も、陸軍大演習の際に明治天皇が命名したとされる。

習志野市の公式ホームページによると、明治6年(1873年)4月、明治天皇を迎えて行われた陸軍大演習の際、全体指揮をとった篠原陸軍少将の活躍を称え、明治天皇より「篠原を見習うように」とのお言葉があり、以来、当地を「習志野原」と呼ぶようになったとされる。



習志野駐屯地(筆者撮影)


また、演習場に隣接する習志野駐屯地内には、空挺団の展示施設である「空挺館」がある。元々は、明治44年(1911年)に東京目黒にあった陸軍騎兵学校の迎賓施設として建てられ、明治天皇の「御馬見所」として使われた。大正5年(1916年)に騎兵学校が習志野に移転した際に、御馬見所も移築され、天皇や皇族方の迎賓館として使われた。

戦後は米陸軍第1騎兵師団の司令室として使われ、現在は第1空挺団の隊員教育、伝統の継承などのため、「空挺館」として、空挺(落下傘部隊)に関わる貴重な資料などを展示している。



「空挺館」。2階のバルコニーは、菊の御紋を配した「御馬見所」となっている=習志野駐屯地(筆者撮影)


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故崇仁親王妃百合子喪儀五十日祭の儀

2025-01-05 14:26:00 | 日記

1月3日、三笠宮妃殿下が昨年11月に薨去されてから50日目となり、霊代を安置する権舎と墓所で五十日祭(四十九日法要に相当)が行われた。



豊島岡墓地(筆者撮影)


午後2時から三笠宮邸の権舎で「権舎五十日祭の儀」、午後4時半からは皇族墓地である豊島岡墓地(東京都文京区)で「墓所五十日祭の儀」が営まれた。喪主の彬子女王殿下や秋篠宮同妃両殿下をはじめとする皇族方が参列された。

愛子内親王殿下も参列されたが、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下は、皇室の慣例により参列せず、勅使が遣わされた。

最初に天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下の勅使が拝礼し、喪主の彬子女王殿下が玉串を捧げて拝礼された。その後、秋篠宮同妃両殿下をはじめとする皇族方が拝礼された。


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皇居で新年一般参賀

2025-01-04 22:00:00 | 日記

1月2日、新年一般参賀が皇居・宮殿の東庭で行われた。午前10時10分からの1回目のお出ましには、天皇皇后両陛下をはじめ、上皇上皇后両陛下、愛子内親王殿下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下、佳子内親王殿下、常陸宮妃殿下が参列された。



新年一般参賀に臨まれる天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下、上皇上皇后両陛下と皇族方=1回目、午前10時10分頃(筆者撮影)


天皇陛下は、

新年おめでとうございます。

皆さんとこうして新年を一緒に祝うことをうれしく思います。

その一方で、昨年の元日に発生した能登半島地震や、各地で起こった大雨の災害などにより、いまだにご苦労の多い生活をされている多くの方々の身を案じています。

いろいろと大変なこともあるかと思いますが、本年が皆さんにとって、安らかで良い年となるよう願っております。

年の始めに当たり、我が国と世界の人々の幸せを祈ります。

とお言葉を述べられた。


昨年右脚を骨折された上皇后陛下は、杖を使わずにお立ちになり、常陸宮妃殿下と時折り談笑をされながら会釈されていた。

なお、常陸宮殿下は、89歳とご高齢なことから、負担を考慮して出席されなかった。

また、三笠宮家と高円宮家の皇族方は、昨年11月に三笠宮妃殿下が薨去されたことを受け、参列を控えられた。


昨年は能登半島地震の被害の状況に鑑みて中止となり、人数制限なしの実施は、令和2年以来5年ぶり。一般参賀は、午前10時すぎから午後2時すぎにかけて5回行われ、およそ6万人が皇居を訪れた。



二重橋前=午前7時頃(筆者撮影)


皇居前広場=午前9時25分頃(筆者撮影)



正門鉄橋(二重橋)= 午前9時40分頃(筆者撮影)



宮殿「長和殿」= 午前9時45分頃(筆者撮影)



「長和殿」ベランダ= 午前9時50分頃(筆者撮影)


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