命きらめいて☆馬、犬、猫など動物に関する理不尽な事件や心温まる出来事の記録

円山動物園マレーグマ虐待死亡事件/脱走シマウマ水死事件/動物虐殺事件/宮古馬放置死事件/上げ馬神事

バーチャル動物園の提案

2016年06月09日 13時32分54秒 | 事件
円山動物園のマレーグマ虐待死事件のあまりの悲惨さに言葉を失い、動物園の商業主義に翻弄され搾取されていく動物たちが不憫でならなくなった。陰でどんな悲惨なことが起こっているかは円山動物園での数々の事件を調べるうちにわかってきた。

今回のバロンのことで自分の中ではもう迷いはなくなり、動物園というものの存在価値は全く無くなってしまった。円山動物園はウッチーの虐待死事件の後、改善策として施設の修復に重きを置き、天王寺動物園はこれから動物の行き先にも心を配ることにすると言う。

それは根本の原因はおいといて、余剰動物をこれからも出園させ続けるということを前提としている。それでは動物たちの不幸を避けることはできないままだ。

動物たちの命を軽々しく扱うことに良心が痛まない人たちが、公立の動物園にさえ大勢存在することは衝撃的な事実で、反省もせず考え方を変えないままの状態が続く限り、動物たちの悲劇はこれからも決して無くなることはないと思う。だから、動物園は廃止するべきだ。

急にとは言わない。10年くらいかけて動物を入園させず縮小していき、必要ならば統廃合をする。職員も新規の採用を止め、希望退職を募ったりして、徐々に規模を小さくしていく。そしていつかは娯楽施設としての動物園は完全に無くす。

小さな子供たちのための娯楽施設が無くなるのは困るのではないかという意見もあるが、現実として娯楽施設としての動物園は統計的に見て斜陽産業なのである。他の多様な娯楽施設に押され、集客できなくなってきているのだ。動物園は前近代的な施設となってしまい、あまり魅力的ではないと考えられているのかもしれない。現に、入園料がかなり高額にもかかわらず、大型娯楽施設は盛況だ。中でもバーチャルリアリティーのある体験型のものに人気があるようだ。

今は実体験をしなくてもバーチャルで空を飛べたりする時代になった。そこで、今の動物園に代わるものとして、まるでアマゾンのジャングルにでもいるかのような、または、サバンナをジープで駆け回っているかのような体験が可能になった仮想現実的な動物園を作るのが可能だと思う。保護活動家や保護施設の飼育員体験のようなコースがあってもおもしろい。

ストーリーとしては世界各地へ行って、そこのジャングルや山に入って野生の動物たちをまぢかで観ることができるなんて、素晴らしいと思う。例えば、日本だと温泉に浸かるニホンザル、ヤマネコたち、ニホンカモシカなどが外国人からも人気になるかもしれない。その体験がたとえ現実ではなくても、効果としては現実であり原物であるように、匂いなども作成できるバーチャルリアリティーの技術は10年後には完成されているはずだ。どうしても本物を見たくなったら、現地の保護施設にでも行って見ればいい。

また、生きている動物を見たり触れ合ったりして、動物園で子供たちが命の尊さについて学ぶことが大切だというのなら、動物にも犠牲を強いる商業主義的な大型の動物園ではなくて、無料の小動物園が市に一つくらい公園の片隅にあれば十分だと思う。と言うよりは、家庭で容易に飼える小鳥やハムスターなどの小動物や犬や猫の愛玩動物の方が、十分命については学べるはずである。

昔、象が見たいという理由だけで、異国から連れてこられたアジアゾウ(タイゾウ)のハナコはな子は、一頭だけで飼われ続けた結果心を病み、事故を起こした。群れで暮らすアジアゾウにとってそれがどんなに辛い事かは、その時にやっと思い知らされたのではないだろうか。

60年以上もの間、孤独に苦しんだであろうはな子の生涯が幸せだったとは、象の生態を知る人ならば誰も言えないと思う。人に対する拷問の一つに監獄の中で一人、暇な時間だけを与え、何も仕事をさせないという方法があるそうだ。そんな生活を長年続けて行くと、人は発狂するという。はな子にとっても仲間と会話もできないのは拷問だったろう。

熱帯の地域に住むアジアゾウを4頭も、北海道という亜寒帯地方で、これから60年も飼育しようとしている円山動物園はそんな時代に逆行していると言えよう。政治家や権力者たちの無知から来る無謀な企画に、どれだけの税金が投入されることだろうか。市民の福祉に当てられるはずの尊いお金が動物の犠牲を強いる娯楽のために使われていく。少子化でますます集客できなくなるというのにだ。「象が来ると楽しいよ~。」としか情報が与えられないまま、賛成し署名した市民たちはあとで深く後悔することになるのではないかと危惧している。

次に動物園の希少動物の保護という役割はどうなるのかという問題についてだが、保護活動は捕獲してくるのではなく、生息地において、自然な形で行った方が動物にも無理がない。動物たちは生息する場所で生態通り育てる方がストレスもなく、繁殖もスムーズにいくだろうし、気性も穏やかに育つものではないのかと思う。どうしても保護が必要な場合は保護施設として、集客数など関係なく飼養していけばいいと思うがどうだろうか。

一般的に動物園では大型動物たちを近くで観たくても、檻や、堀や、ガラスでさえぎられ、観察も思うようにならない。動物を自然な形で、ごく近くに動物を見ることができるバーチャル動物園の方が動物に興味を持つ人が多いのではないだろうか。そのうち、声も匂いも限りなく現実と近いものができるだろう。

このような方法であれば、これ以上、自由を奪われたり、余剰動物として間引きされたりなど、犠牲となる動物たちを増やすことはなくなる。狭い所に閉じ込められたストレスフルな動物を見るより、安全でおもしろく、より身近に動物といるかのように楽しめる近代的なバーチャルリアリティーの動物園の方が、子供だけではなく若者も年配の方たちもかなり、楽しめるのではないかと思う。

飽きさせないためには、物語のパターンをいくつも作ってリピーターを増やすことも可能だ。もう一つ重要な博物館としての役割も今の動物園よりはより楽しく、より多くの情報量をもたらしてくれる施設となるに違いない。そんな動物園ならぜひ行ってみたいと思う。誰をも苦しませることなく、楽しく学び過ごせる場所が、これからの時代にふさわしい進化した動物園ではないだろうか。

   
                                 (Photo by 富士サファリパーク)
バロン、ごめんね。安らかに。


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