目黒博 Official Blog

日本の政治と社会、日本のリベラル、沖縄の「基地問題」、東アジアの外交・安全保障、教育などについて述べていきます。

異端を排除する菅首相の陰湿

2020-10-11 22:08:29 | 日本の政治・社会
日本学術会議から推薦された会員候補6名を、菅首相が任命を拒否し、
学会ばかりでなく、政界やメディア界などにも衝撃が走った。

加藤信勝官房長官は、首相は学術会議の監督権を持つので、
推薦された候補全員を任命する義務はないと語ったが、これは驚くべき発言である。
学会の中核に位置する学術会議を政府が監督するという発想は、
まるで一党支配体制の中国共産党の統治思想のようだ。

日本学術会議法の規定によって、学術会議は政府から独立した機関とされている。
首相による任命は形式的なものに過ぎないことは、
かつて国会での政府側答弁でも明言されていることだ。

その人事に、政府が介入することが許されれば、
政府を批判する学者は学術会議から排除され、御用学者ばかりが揃いかねない。

10月6日(火)に公開された内閣府の文書や報道によれば、2018年には首相官邸、
内閣府内の日本学術会議事務局、内閣法制局などの間で法的な見解の調整が行われ、
首相が、学術会議からの推薦候補者を任命する義務はないとされたという。

しかも、すでに2016年の段階で、会員補充人事に首相官邸が介入した結果、
欠員が出ていることが判っている。
2018年にも欠員こそ生じなかったが、同様の介入があったという。

菅氏が官房長官時代から政府関連人事を取り仕切ってきたことを念頭に置くと、
彼が、政府が学術会議の実質的な任命権を握ろうと画策したのではないかと推察される。

学術会議をめぐる安倍・菅両政権の一連の動きに、菅氏の政治姿勢そのものが表れている。

菅氏の政治家としての突出した特徴は、不透明性と説明責任の欠如である。

例えば、10月5日(月)の記者会見で、菅首相は、日本学術会議の会員は国家公務員であり、
(会員にふさわしいかどうか)「総合的、俯瞰的な観点から判断した」と述べている。
しかし、「総合的、俯瞰的な観点」とは具体的に何を意味するのか、説明は一切なかった。

また、官房長官として記者会見に臨む際に、菅氏は「適切である」「問題があるとは思わない」
「批判には当たらない」などと、木で鼻を括るような発言を繰り返したものだ。

しかし、「適切」と判断した根拠を示したことはほとんどない。
根拠を挙げないまま「適切だ」と言い切ることは、「自分が適切と思うから適切なのだ」と
言っているのと同じなのだが、どうやら、そんなことは意に介しないようだ。

かつて、NHKのインタビュー番組「クローズアップ現代」で、
国谷裕子キャスターが食い下がって質問したことに激怒し、NHKに圧力をかけ、
国谷氏を降板させたことはメディア業界では有名である。

民主主義の基礎は熟議であろう。
それは情報公開と説明責任があってこそ実現できるものだ。
菅首相はそれを拒否し、民主主義の根底を否定しているのである。

菅氏の性格を示すエピソードも多い。

彼は、官房長官でありながら沖縄基地負担削減担当を兼ねていた。
そして、大臣就任当初こそ、辺野古工事について「丁寧に説明する」としていたが、
いつの間にか「粛々と進める」と語り出した。

彼が「沖縄だけが苦労したわけではない」と平然と述べた際には、私は耳を疑った。

3か月続いた地上戦の果てに、県民全体の4分の1が追い詰められ、死んでいった。
その無残な沖縄戦を想像するだけでも、このような言葉を発することはできまい。
彼に、そのような感性が欠落しているとしか思えない。

官房長官として、官僚の人事を掌握する体制を築き、
政権の方針や自分の意見に賛成しない官僚を左遷することは日常茶飯事だった。
総理就任後のテレビのインタビューでも、政府の方針に反対する官僚は「異動してもらう」と
断言したほどである。

安倍一強時代に、官僚たちが委縮し、安倍首相や菅官房長官に忖度する傾向が強まった。
「物言えば唇寒し」と、菅氏による報復人事を恐れる官僚たちは多かった。

行政の歪な政治化は、菅氏のような権力を振り回すリーダーの下で起きやすい。

そのような菅氏の政治スタイルを、ほめそやす政治記者やコメンテーターの責任は大きい。
彼らこそが、安倍政権を支える大番頭と讃えて、
地味ながら大物政治家という、菅氏のイメージを作り上げてきたからだ。

秋田のイチゴ農家の息子が、夜学で大学を卒業し、苦労を重ねて首相にまで登りつめた。
政権発足時の高い支持率が示すように、その立身出世物語に感動する人は多い。

だが、彼のハートには温かい血は流れていないようだ。
むしろ、冷酷さと陰湿さが目立つ。

さて、今後、メディアと国民は菅首相をどう評価するのであろうか。
日本社会と国民の成熟度が問われている。

香港の悲劇:習近平指導部の暴走と日本リベラルの体たらく

2020-07-08 05:49:21 | 日本の政治・社会
香港国家安全維持法が6月30日の中国全人代常務委員会で決定され、翌7月1日に執行された。香港の一国二制度は根本から覆された。平和的なデモを禁止し、公立図書館からは民主派が書いた書籍を撤去し、令状なしで強制捜査を可能にするなど、習近平指導部による強権発動は露骨である。しかも、一国二制度の破壊は、世界が新型コロナで混乱している真っ只中に、国際社会からの批判をせせら笑うかのように断行された。

人権問題などで海外からの非難を中国政府が撥ねつける際に、必ず使う常套句が「内政干渉するな」である。かつて、日本や欧米列強の武力侵攻を許した歴史が、中国人のトラウマになったことは理解できる。だが、中国指導部は過去の屈辱を逆手に取って、自らの強圧的な体制を正当化し、海外からの非難を封じ込めようとする。しかし、中国は責任ある大国として国籍に限らず基本的人権を守る義務を負う。さらに、香港の一国二制度は単に中国の国内問題ではなく、香港返還時の国際公約でもあったはずだ。

この事態に対し、日本の各政党は懸念や憂慮の意を表明したが、その中国指導部批判は弱々しいものである。中国を強く批判すれば日中関係が悪化しかねないとの危惧があるからだ。だが、人権抑圧を黙認して得られる良好な日中関係とは一体何なのか。

「今日の香港、明日の台湾、明後日の日本」と言われる。国際社会が中国政府の香港政策を指弾している今、日本が及び腰の態度で臨めば、やがて中国からの強烈な圧力を日本自身が直接受けることになる。尖閣周辺でその動きは既に始まっている。

奇妙なことに、リベラル系、特に護憲派と呼ばれる文化人や言論人たちは、香港問題で見事なほど皆沈黙している。沖縄基地問題などに関しては積極的に発言する人たちも、中国の表現の自由の問題には口をつぐむ。憲法9条の理想主義を崇める人々は、なぜ香港問題に無関心でいられるのか。

自民党の国会議員たちが、習近平主席の国賓としての訪日を中止せよと、党本部と安倍政権を突き上げている。彼らの一部は、反中国の排他的なナショナリストである。もし、リベラル勢力が香港問題で中国に厳しく抗議しなければ、日本の中国批判はタカ派の色彩を帯びるであろう。しかし、中国指導部への抗議はあくまで「人権」をめぐるものであり、民族主義とは一線を画すべきものだ。だからこそ、リベラル勢力が声を上げることが重要なのである。

世界はおろか、お隣の香港で起きている悲劇にすら目をつぶるのであれば、日本のリベラルは、世界がどうなろうと日本が平和であれば良しとする「一国平和主義」、「平和ボケ」と呼ばれても仕方あるまい。今こそ日本に、抑圧体制に対して果敢に抗議し行動する、まともなリベラリズムが求められているのではないか。

香港問題:天安門追悼集会の禁止と日本人の情けない反応

2020-06-07 14:21:10 | 日本の政治・社会
31年前の6月4日、天安門事件が起きた。香港では毎年追悼集会が行われてきたが、今年は香港警察が集会を禁止した。それに対し、日本のリベラル系文化人、言論人は沈黙したままである。経済界の一部も素知らぬ顔で中国との経済関係を強めようとしている。

5月30日のブログで、私は日本のリベラル勢力が香港問題で声を上げないことに不満を述べた。沖縄の基地問題では、日米両政府を「沖縄県民の人権軽視」と非難してきた文化人や言論人たちが、こと香港問題になると沈黙してしまうからだ。日本のリベラルの視界には、中国や香港の人権問題は映らないのか?

経済界の動きも危うい。6月3日の日経新聞電子版は、モーター製造大手の日本電産が、電気自動車向けモーターの生産工場を中国に新設する、と報じた。競合するドイツ企業が次々と中国に投資し始めており、同社も中国での開発強化を決定したという。香港や中国国内の人権抑圧に対する、この企業の鈍感さには驚かされる。

このような新規投資は、経済面でも問題がある。新型コロナで明らかになったことの一つは、経済の行き過ぎた中国依存であった。例えば、マスクは中国製が多く、中国からの輸出が止まった途端に、日本や世界でのマスク不足が起きた。これは氷山の一角に過ぎない。医療器具、衛生用品、さらには重要な工業製品などを特定の国からの輸入に頼れば、日本の生命線をその国に委ねることを意味する。以前から懸念されてきたことだが、新型コロナでその構造的な問題が露わになったのだ。

日本電産に続いて、他の日本企業も続々と中国での事業展開を進めるかもしれない。中国の巨大な市場と安価で豊富な労働力に魅力を感じる企業は多い。ビジネスマンの間には、中国や香港の人権問題は内政問題だと割り切る傾向もある。だが、中国に新たに投資する企業は、同国中心のサプライ・チェーンの強化に手を貸し、ますます自信を深める中国共産党政府の高圧的な体制に与することになる。

安倍政権のトランプ政権への卑屈な追従ぶりは、世界各国から冷笑を浴びてきた。だが、一方で、日本企業の中国への投資もまた居丈高な権力者へのすり寄りであり、短期的な利益に目がくらんだ朝貢外交に見える。リベラル勢力の香港問題への沈黙と経済界の中国重視は、日本人の倫理観の底の浅さばかりでなく、長期的戦略の欠如をも露骨に示している。

日本のリベラルは香港問題で声を上げよ

2020-05-30 22:14:16 | 日本の政治・社会
中国の全国人民代表大会(日本の国会に相当)は、香港に国家安全法の導入を決定した。コロナで世界中が振り回されているうちに行う暴挙は、火事場泥棒そのものだ。

日本では自民党だけでなく、立憲民主党などの野党も批判している。だが、政府は懸念を示すだけで、厳しい批判は避けた。中国との経済関係を重視する経済界への配慮なのか?それとも、習近平主席の訪日に備えるためか?

問題は、日本のリベラル勢力からの正面切った批判が聞こえてこないことだ。吉永小百合氏や坂本龍一氏、落合恵子氏、山口二郎氏や高橋源一郎氏、津田大介氏や小熊英二氏たちはなぜ沈黙するのか?沖縄の基地問題では発言しても、どうした訳か、香港問題や中国の人権問題はスルーする。

今日本のリベラル勢力に問われていることは、自由や人権、民意を普遍的に捉え、声を上げる気があるのかどうかである。中国に遠慮するなら、その理由を挙げるべきだ。もし、それすら避けるのなら、都合の悪い事態には目をつぶる、内向き志向の自称「リベラル」にすぎないと言われよう。

リベラルは柔弱であってはならず、毅然とすべしと思う。そうでなければ、社会改革などできはしない。