目黒博 Official Blog

日本の政治と社会、日本のリベラル、沖縄の「基地問題」、東アジアの外交・安全保障、教育などについて述べていきます。

参院選から見えた沖縄政治の迷走

2022-07-31 19:43:00 | 沖縄の政治、「沖縄基地問題」
7月10日に実施された参議院議員選挙の沖縄選挙区で、3,000票弱という僅差で「オール沖縄」系伊波洋一候補が勝利した。保守系の古謝玄太候補が優勢との大方の予想を覆す結果であったが、同時に、両陣営が抱える問題が露わになった選挙でもあった。

まず、保守派の敗北の原因と、同陣営が抱える構造的な問題を見てみよう。

<候補者選考のもたつき>

今回の選挙では、保守系の候補者選考は難航し、結論が出たのは3月6日であった。ここまで遅れたのは、自民党県連が前宜野湾市長の佐喜真淳氏にこだわったからである。知事選を目ざす同氏が参院選出馬を最後まで拒否し、急遽、総務省出身の古謝玄太氏に白羽の矢を立てることになった。

古謝候補は、高校卒業後、20年間沖縄から離れていたうえに、投票日までわずか4か月という、無名の新人には極めて厳しい短期戦を強いられることになった。

候補者選考の迷走は、自民党県連のまとまりの無さと、長期的にリーダーを育ててこなかった組織の体質が露呈したとも言える。

<「辺野古問題」という地雷原>

同氏は、選挙公約の中で、普天間基地の辺野古移設「容認」を打ち出す。60%前後の県民が、今なお辺野古移設に反発している状況を考えると、冒険だったのではないか。

実は、この方針は政府と自民党本部が強く主張し、同氏は党公認候補としてその意向に従ったのだ。今年行われた県内の市長選挙で保守系が4連勝したことを受けて、保守陣営内で盛り上がった強気ムードが「容認」を後押しした面もあった。

各種調査によれば、今回の選挙の最大の争点は、基地問題ではなく、経済や生活だった。辺野古「容認」が当落の決定的な要因ではなかったと見られるが、影響が全くなかった訳でもない。僅差での落選という結果を考えれば、小さなマイナスも無視できない。

辺野古問題は沖縄の保守系にとっては長らく鬼門であった。辺野古を抱える名護市の渡具知市長が、本年1月の市長選で、保守系でありながら「容認」を公言せず、「国と県の推移を見守る」としたことは、この問題の扱いにくさを示している。

なぜ、辺野古問題は厄介なのか。ここで詳しく述べることはできないが、ポイントだけ挙げておこう。

<辺野古施設建設の非合理性と政治性>

辺野古施設とは、住宅密集地のど真ん中に存在する普天間飛行場の代替施設として建設されるものである。数十機のオスプレイとヘリのために、「深い」大浦湾を埋め立て、10数年の年月と1兆円前後を費やして建設する計画になっている。海底の軟弱地盤も発見され、難工事が予想されている。

多くの矛盾を抱えるプロジェクトだが、日本政府がこれにこだわるのは、数多くの案が出ては消え、「唯一」残った選択肢だからだ。

さらに、この施設計画は、巨額の埋め立て利権と、大物政治家がからんだ「政治案件」でもあり、変更しにくい事情もある。

一方、沖縄県民は、巨額の沖縄振興予算と引き換えに、沖縄県知事から埋め立て承認を得るという、強引な国の姿勢を見せつけられた。今や、多くの反対意見を押し切って工事が進み、諦めムードが広がるが、反発は地下茎のように根強く残る。

辺野古問題にはこのような経緯があるため、「容認」の明言は、政府の立場に「寄り添った」と見られかねない。その点を古謝候補がどこまで認識したかどうか。

<若きエリートへの期待と違和感>

古謝氏は、沖縄では有名な進学校、昭和薬大付属高校から東大に進学後、総務省に入省という絵に描いたようなエリートである。その輝かしい経歴は、期待を集めるのに役立ったが、一部の県民に距離を感じさせたようだ。「『東大卒』を前面に出さないでほしい」という陣営内からの声もあった。

古謝氏はスピーチ力があり、態度も堂々としていた。さらに、総務省から長崎県に5年間出向し、同県で4つの役職を務めた経歴を持つ。本人も地方行政の実績には自信を見せた。だが、沖縄独特の問題を「どこまで分かっているのかねえ」との疑問も聞こえてきた。

日本の行政においては、良かれ悪しかれ、「20年働いて一人前」が常識である。その基準を念頭に、まだ若いのに自信過剰と見る人もいた。

<意外な落とし穴>

最大の誤算は、諸派の3候補が合計39,000票余りも獲得したことだ。保守票の一部が諸派に流れたことが、古謝候補には致命傷になった。伏兵に足をすくわれたのだ。

加えて、茂木幹事長や菅氏から岸田首相、林外相に至る大物政治家が続々と同候補応援のために来県したことは、むしろマイナスになったとの指摘がある。彼らへの対応に時間と労力を費やし、末端の選挙運動がおろそかになったというのである。党本部が沖縄を「重点選挙区」とし、大物を投入したことが裏目に出たとすれば、皮肉と言うほかはない。

保守陣営は、9月の知事選に向けて、体制立て直しを図ろうとした矢先に、旧維新の下地幹郎氏の出馬表明が飛び出した。玉城知事の人気が高いことを考えれば、保守系の佐喜真候補は苦戦を免れないだろう。さて、保守陣営はどこまでまとまれるかどうか。

ここまで、保守系候補であった古謝候補の敗因を探ってきた。以下、「オール沖縄」の伊波洋一候補が苦戦に追い込まれた背景を考える。

<働かなかった伊波議員>

何よりも、伊波候補の評判が悪すぎた。県民の中に積極的に入っていかず、現役議員としての6年間、仕事をほとんどしなかった。「オール沖縄」支持者の間にさえ不満が多かった。

小選挙区から選出される衆議院議員と違って、参議院議員は県全体を代表する議員である。しかも、6年間選挙がなく、身分が保証されている。県内をくまなく回って県民の声を直接聞き、各地域が抱える課題を把握し、政策を提言すべきだったが、この間、沖縄本島北部や離島で伊波氏の姿を見た人はほとんどいない。

同氏ばかりではなく、沖縄選出の革新系参議院議員は名誉職的な地位にあぐらをかき、ほとんど働かなかった。伊波氏もその悪しき伝統を踏襲し、県民の苦境をよそに「遊んでいた」のである。県民の同候補への期待が低かったのは当然である。

<「オール沖縄」の退潮>

また、2018年の翁長前知事の逝去後、同候補を支える「オール沖縄」から、糸の切れた凧のように経済人などの脱落者が相次いだ。埋め立て工事が進み、辺野古問題に対する諦めムードが広がったこともまた、陣営には逆風になった。

コロナ感染が広がり、順調に見えた観光業が大打撃を受けたが、「オール沖縄」の中核を占める革新系は、基地問題ばかり語る傾向があり、経済やコロナ対策への関心は薄かった。政策面で、この陣営に期待した県民は少ない。

<それでも「オール沖縄」が勝った理由>

候補者の魅力がなく、陣営に勢いがないにもかかわらず、なぜ、伊波候補は当選できたのか。

まず、すでに述べたように、保守系候補が無名の新人であったこと、そして戦略ミスを犯したことが挙げられる。

さらに、ウクライナ戦争のインパクトと、盛んに語られた「台湾有事」への懸念も大きな要因である。特にウクライナ戦争の悲惨な映像は、一部の県民に沖縄戦の記憶を呼び起こした。漠然とした戦争への不安が伊波氏を押し上げたと言える。

加えて、政党支持率における保革の差が小さかったことが重要である。比例区の沖縄における政党別得票率を見ると、立憲、共産、社民がそれぞれ10%前後、令和が7%弱だったのに対し、自民27%、公明15%弱であった。沖縄の革新系の支持者はまだまだ多い。

その背景には、自民党と政権幹部たちの沖縄理解の欠如がある。その結果として、政府に対する不満が県民に広がり、革新系の支持層を厚くしてきたと言える。

菅氏の言動を見ると分かりやすい。彼は、この10年、沖縄への経済支援策を次々と実行したが、他方で、官房長官時代に「沖縄だけが苦労した訳ではない」とも語っている。要するに、沖縄の経済振興には熱心だが、県民の感情には無関心なのだ。このギャップに県民は敏感である。

さて、今回の選挙で「オール沖縄」は踏みとどまった。玉城デニー知事の個人的な人気も考えれば、9月の知事選に向けて明るい展望が開けたと言える。

<玉城知事と「オール沖縄」は変身できるか>

だが、たとえ玉城知事が再選されたとしても、経済、生活、子育てに具体的な政策を打ち出せなければ県政は漂流し、その支持基盤である「オール沖縄」の衰退は止められない。

中国の脅威が増している以上、米軍基地が一挙に縮小することは考えにくい。当面、米軍基地問題はホットであり続けるだろうが、若い世代は、米軍基地に反感を抱いてはいない。基地問題の解決よりも、むしろ、産業の活性化と安定した生活を求めている。

戦争体験者の高齢化が進み、沖縄における平和主義の影響は徐々に弱まっている。ある「オール沖縄」関係者は、「今年の参院選と知事選が革新系の勝てる最後の大型選挙だ。これから沖縄の政治は変わる」と漏らした。

革新系が生き延びようとするのであれば、反基地・平和運動一本槍から脱皮しなければならない。そのためには、まずは県民の声をしっかり聴き、沖縄社会が抱える課題を把握する必要があるだろう。生活と社会を直視してこなかった彼らに、果たして、それができるかどうか。

<革新系が避けてきた安全保障問題>

今、中国は強硬な外交と軍拡を進め、人権無視の体制を作り上げている。そのような状況の中で、「アジアの架け橋」を目ざすというような標語を繰り返しても現実味はない。東アジア情報を収集して、この地域における沖縄の可能な道を模索することが求められている。

仲井眞知事時代に、県庁内に「地域安全政策課」が設置され、内外の専門家とのネットワークを築いていた。同課配属の職員たちは、東アジアの安全保障について、熱心に情報収集していたものである。だが、「オール沖縄」系知事の誕生後、そのセクションは廃止され、現在の県庁には安全保障問題の担当者はいない。

世論調査を見ると、自衛隊の沖縄への配備に肯定的な県民が多いことが分かる。それだけ、中国への警戒感と安全保障への関心が高まってきたと言える。県民の現実感覚に応える「オール沖縄」でなければ、時代の流れから取り残されてしまう。

今後、上に述べたような課題に取り組む姿勢が、「オール沖縄」陣営に芽生えるかどうか注目していきたい。

注記)この記事は、2022年7月22日にインテ―ネットメディア「Japan In-depth」に掲載されたものです。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。