前記事「沖縄知事選結果分析①」では、保守の分裂と迷走に焦点を当てた。今回は、「オール沖縄」と玉城知事が抱える問題について述べる。
■ 県議補選で分裂選挙
故翁長前知事の次男、雄治氏が県議会議員を辞職し、10月23日投票の那覇市長選に出馬する。空席となった県議の補選が、知事選と同日に投票され、「オール沖縄」系の上原快佐前那覇市議が当選した。
▲写真 上原快佐氏:上原カイザ氏オフィシャルホームページより
同氏の手腕には定評があり、順当に当選すると見られたが、支持層が重なる糸数未希候補との票の奪い合いになり、冷や汗をかく。その背景には、「オール沖縄」の候補者決定プロセスの混乱があった。
「オール沖縄会議」共同代表、糸数慶子氏の長女、未希氏が、玉城デニー知事から補選への出馬の打診を受けるが、「オール沖縄」は上原氏の擁立を決定したのだ。玉城知事が事前に根回しせずに動いたため、事態の紛糾を招いたと言われる。
また、「オール沖縄」内の候補者選考に当たって、翁長雄治氏が上原氏を「後継指名」したとの情報が流れた。同陣営の「翁長ブランド」頼みの姿勢に、「翁長王朝かい?まるで北朝鮮だ!」との陰口も聞こえる。
雄治氏は35歳と若く、市議を3年、県議を2年で辞職し、議員の任期を全うしたことがない。将来性を評価する人もいる一方で、行政能力は未知数だ。たとえ当選しても、はるかに年上の市幹部たちを仕切れるのか、との疑問の声も上がる。
■ もともと保守系の故翁長知事が抱えた矛盾
故翁長雄志氏は、保守系の大物であったが、辺野古移設反対を掲げて保革の相乗り体制「オール沖縄」を作り、知事に就任した。しかし、その後、共産党との連携を嫌って陣営から離れる保守系が相次ぎ、彼の支持基盤は徐々に弱体化した。
翁長知事(当時)の急逝以降、同氏の盟友たちが陣営を去り、「オール沖縄」内で、革新系の重みが一挙に増した。
2018年の知事選では、故翁長氏への同情票と、玉城デニー氏の人気で大勝し、今回も保守分裂という幸運に恵まれ、玉城氏が再選されたが、支持基盤の退潮は止まらない。
その背景として、2点指摘したい。
■「辺野古問題」でエネルギーを消耗する沖縄県政
1点目は、「辺野古問題」を軸に結集した「オール沖縄」と玉城知事との関係である。
この「問題」は、裁判闘争を含めて10数年続くと見られる。「辺野古阻止」を叫べば、かなりの票が取れる。知事の確実な支持基盤である、辺野古反対派を無視はできない。
とは言え、同じ主張を繰り返しても、展望が切り開けるわけでもない。すでに、運動を支えてきた県民は高齢化し、諦めムードが広がる。一方、若い世代はこの問題に関心を示さない。
観光産業の立て直し、新しい産業の創出、離島問題、子どもの貧困、医療体制の整備など、県政の課題は多い。自前の財源が乏しい県は、国からの財政支援に頼らざるを得ないが、「辺野古問題」で県と国の関係が悪化し、沖縄関連予算は大幅に削られた。県庁の職員はもちろん、県民の間にも不安が募る。
■ パフォーマンス好きの玉城知事
玉城デニー知事の好感度は抜群である。一方で、同氏はパフォーマンスに傾きがちだ。
当確直後の玉城デニー氏(2022年9月11日):筆者撮影
1期目に実施し、2期目も再度計画されている「全国トーク・キャラバン」は、その典型例だ。筆者も参加したことがあるが、集まった人々のほとんどは、「デニー」ファンか、基地反対運動の活動家たちだ。この類のイベントがどんなに盛り上がろうと、本土の幅広い層に沖縄の問題を訴える、という本来の趣旨は達成できない。
また、知事は、当選直後のインタビューなどで、「国連に辺野古問題を訴える」と述べた。この「国連」は、「国連人権理事会」を指すと見られる。
だが、この国連機関の理事国には、王政に批判的なジャーナリストを殺害したサウジアラビア、香港の一国二制度を破壊し、新疆自治区ではで百万人とも言われるウィグル人を強制収容所に押し込め、躊躇なく人権を抑圧する中国が含まれる。知事は、その実態を踏まえているかどうか。あるいは、国連で演説したことをアピールしたいだけなのか。
■ 人脈・情報の不足と小沢一郎氏の責任
玉城デニー氏が抱えるもう一つの問題は、人脈と情報が限られることだ。
議員とは異なり、知事は県行政のトップだ。当選するまでは政治家だが、知事に就任したと同時に行政マンに変身しなければならない。支持層だけでなく、県民全体を代表し、県のさまざまな課題を俯瞰する視野と、人材を見分ける眼力を持たねばならない。
行政のトップとしての力を発揮するには、豊富な人脈が必要だ。しかし、同氏は、衆議院議員を務めた9年間、東京で官僚やジャーナリスト、学者、外交官などとのネットワークを築かなかった。そのため、情報や政策アイディアの不足に悩まされている。
デニー氏の人脈・情報不足は、彼が崇拝する「恩師」、小沢一郎氏の責任でもある。
小沢氏は、若い時代に、記者や学者、外交官などと頻繁に会い、人脈の構築と情報収集に余念がなかった。だが彼は、側近たちには同じ動きを許さない。彼らが成長し、彼の政策や判断に異論を唱えることを嫌うからだ。多くの政治家、有識者、記者たちが彼から離れたのは、小沢氏が自分とは違う意見を述べる人間を陰で攻撃し続けたためだ。
玉城知事は、独裁者小沢氏の犠牲者と言えるかもしれない。
しかし、玉城デニー氏は、今や140万人の県民を背負う知事である。今後、独自の人脈を作り、自前の情報収集の体制を作り上げる必要があるだろう。だが、今のところ、その方向には動いてはいないようだ。さてさて、これからもデニー劇場で、玉城氏の独演会が続くのだろうか。
(つづく)
注記)この記事は、2022年9月25日、インターネットメディア”Japan In-depth”に掲載されたものです
■ 県議補選で分裂選挙
故翁長前知事の次男、雄治氏が県議会議員を辞職し、10月23日投票の那覇市長選に出馬する。空席となった県議の補選が、知事選と同日に投票され、「オール沖縄」系の上原快佐前那覇市議が当選した。
▲写真 上原快佐氏:上原カイザ氏オフィシャルホームページより
同氏の手腕には定評があり、順当に当選すると見られたが、支持層が重なる糸数未希候補との票の奪い合いになり、冷や汗をかく。その背景には、「オール沖縄」の候補者決定プロセスの混乱があった。
「オール沖縄会議」共同代表、糸数慶子氏の長女、未希氏が、玉城デニー知事から補選への出馬の打診を受けるが、「オール沖縄」は上原氏の擁立を決定したのだ。玉城知事が事前に根回しせずに動いたため、事態の紛糾を招いたと言われる。
また、「オール沖縄」内の候補者選考に当たって、翁長雄治氏が上原氏を「後継指名」したとの情報が流れた。同陣営の「翁長ブランド」頼みの姿勢に、「翁長王朝かい?まるで北朝鮮だ!」との陰口も聞こえる。
雄治氏は35歳と若く、市議を3年、県議を2年で辞職し、議員の任期を全うしたことがない。将来性を評価する人もいる一方で、行政能力は未知数だ。たとえ当選しても、はるかに年上の市幹部たちを仕切れるのか、との疑問の声も上がる。
■ もともと保守系の故翁長知事が抱えた矛盾
故翁長雄志氏は、保守系の大物であったが、辺野古移設反対を掲げて保革の相乗り体制「オール沖縄」を作り、知事に就任した。しかし、その後、共産党との連携を嫌って陣営から離れる保守系が相次ぎ、彼の支持基盤は徐々に弱体化した。
翁長知事(当時)の急逝以降、同氏の盟友たちが陣営を去り、「オール沖縄」内で、革新系の重みが一挙に増した。
2018年の知事選では、故翁長氏への同情票と、玉城デニー氏の人気で大勝し、今回も保守分裂という幸運に恵まれ、玉城氏が再選されたが、支持基盤の退潮は止まらない。
その背景として、2点指摘したい。
■「辺野古問題」でエネルギーを消耗する沖縄県政
1点目は、「辺野古問題」を軸に結集した「オール沖縄」と玉城知事との関係である。
この「問題」は、裁判闘争を含めて10数年続くと見られる。「辺野古阻止」を叫べば、かなりの票が取れる。知事の確実な支持基盤である、辺野古反対派を無視はできない。
とは言え、同じ主張を繰り返しても、展望が切り開けるわけでもない。すでに、運動を支えてきた県民は高齢化し、諦めムードが広がる。一方、若い世代はこの問題に関心を示さない。
観光産業の立て直し、新しい産業の創出、離島問題、子どもの貧困、医療体制の整備など、県政の課題は多い。自前の財源が乏しい県は、国からの財政支援に頼らざるを得ないが、「辺野古問題」で県と国の関係が悪化し、沖縄関連予算は大幅に削られた。県庁の職員はもちろん、県民の間にも不安が募る。
■ パフォーマンス好きの玉城知事
玉城デニー知事の好感度は抜群である。一方で、同氏はパフォーマンスに傾きがちだ。
当確直後の玉城デニー氏(2022年9月11日):筆者撮影
1期目に実施し、2期目も再度計画されている「全国トーク・キャラバン」は、その典型例だ。筆者も参加したことがあるが、集まった人々のほとんどは、「デニー」ファンか、基地反対運動の活動家たちだ。この類のイベントがどんなに盛り上がろうと、本土の幅広い層に沖縄の問題を訴える、という本来の趣旨は達成できない。
また、知事は、当選直後のインタビューなどで、「国連に辺野古問題を訴える」と述べた。この「国連」は、「国連人権理事会」を指すと見られる。
だが、この国連機関の理事国には、王政に批判的なジャーナリストを殺害したサウジアラビア、香港の一国二制度を破壊し、新疆自治区ではで百万人とも言われるウィグル人を強制収容所に押し込め、躊躇なく人権を抑圧する中国が含まれる。知事は、その実態を踏まえているかどうか。あるいは、国連で演説したことをアピールしたいだけなのか。
■ 人脈・情報の不足と小沢一郎氏の責任
玉城デニー氏が抱えるもう一つの問題は、人脈と情報が限られることだ。
議員とは異なり、知事は県行政のトップだ。当選するまでは政治家だが、知事に就任したと同時に行政マンに変身しなければならない。支持層だけでなく、県民全体を代表し、県のさまざまな課題を俯瞰する視野と、人材を見分ける眼力を持たねばならない。
行政のトップとしての力を発揮するには、豊富な人脈が必要だ。しかし、同氏は、衆議院議員を務めた9年間、東京で官僚やジャーナリスト、学者、外交官などとのネットワークを築かなかった。そのため、情報や政策アイディアの不足に悩まされている。
デニー氏の人脈・情報不足は、彼が崇拝する「恩師」、小沢一郎氏の責任でもある。
小沢氏は、若い時代に、記者や学者、外交官などと頻繁に会い、人脈の構築と情報収集に余念がなかった。だが彼は、側近たちには同じ動きを許さない。彼らが成長し、彼の政策や判断に異論を唱えることを嫌うからだ。多くの政治家、有識者、記者たちが彼から離れたのは、小沢氏が自分とは違う意見を述べる人間を陰で攻撃し続けたためだ。
玉城知事は、独裁者小沢氏の犠牲者と言えるかもしれない。
しかし、玉城デニー氏は、今や140万人の県民を背負う知事である。今後、独自の人脈を作り、自前の情報収集の体制を作り上げる必要があるだろう。だが、今のところ、その方向には動いてはいないようだ。さてさて、これからもデニー劇場で、玉城氏の独演会が続くのだろうか。
(つづく)
注記)この記事は、2022年9月25日、インターネットメディア”Japan In-depth”に掲載されたものです