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日本の政治と社会、日本のリベラル、沖縄の「基地問題」、東アジアの外交・安全保障、教育などについて述べていきます。

沖縄知事選結果分析② 低迷の「オール沖縄」・空転する県政

2022-10-09 19:47:56 | 沖縄の政治、「沖縄基地問題」
前記事「沖縄知事選結果分析①」では、保守の分裂と迷走に焦点を当てた。今回は、「オール沖縄」と玉城知事が抱える問題について述べる。

■ 県議補選で分裂選挙

故翁長前知事の次男、雄治氏が県議会議員を辞職し、10月23日投票の那覇市長選に出馬する。空席となった県議の補選が、知事選と同日に投票され、「オール沖縄」系の上原快佐前那覇市議が当選した。


▲写真 上原快佐氏:上原カイザ氏オフィシャルホームページより

同氏の手腕には定評があり、順当に当選すると見られたが、支持層が重なる糸数未希候補との票の奪い合いになり、冷や汗をかく。その背景には、「オール沖縄」の候補者決定プロセスの混乱があった。

「オール沖縄会議」共同代表、糸数慶子氏の長女、未希氏が、玉城デニー知事から補選への出馬の打診を受けるが、「オール沖縄」は上原氏の擁立を決定したのだ。玉城知事が事前に根回しせずに動いたため、事態の紛糾を招いたと言われる。

また、「オール沖縄」内の候補者選考に当たって、翁長雄治氏が上原氏を「後継指名」したとの情報が流れた。同陣営の「翁長ブランド」頼みの姿勢に、「翁長王朝かい?まるで北朝鮮だ!」との陰口も聞こえる。

雄治氏は35歳と若く、市議を3年、県議を2年で辞職し、議員の任期を全うしたことがない。将来性を評価する人もいる一方で、行政能力は未知数だ。たとえ当選しても、はるかに年上の市幹部たちを仕切れるのか、との疑問の声も上がる。

■ もともと保守系の故翁長知事が抱えた矛盾

故翁長雄志氏は、保守系の大物であったが、辺野古移設反対を掲げて保革の相乗り体制「オール沖縄」を作り、知事に就任した。しかし、その後、共産党との連携を嫌って陣営から離れる保守系が相次ぎ、彼の支持基盤は徐々に弱体化した。

翁長知事(当時)の急逝以降、同氏の盟友たちが陣営を去り、「オール沖縄」内で、革新系の重みが一挙に増した。

2018年の知事選では、故翁長氏への同情票と、玉城デニー氏の人気で大勝し、今回も保守分裂という幸運に恵まれ、玉城氏が再選されたが、支持基盤の退潮は止まらない。

その背景として、2点指摘したい。

■「辺野古問題」でエネルギーを消耗する沖縄県政

1点目は、「辺野古問題」を軸に結集した「オール沖縄」と玉城知事との関係である。

この「問題」は、裁判闘争を含めて10数年続くと見られる。「辺野古阻止」を叫べば、かなりの票が取れる。知事の確実な支持基盤である、辺野古反対派を無視はできない。

とは言え、同じ主張を繰り返しても、展望が切り開けるわけでもない。すでに、運動を支えてきた県民は高齢化し、諦めムードが広がる。一方、若い世代はこの問題に関心を示さない。

観光産業の立て直し、新しい産業の創出、離島問題、子どもの貧困、医療体制の整備など、県政の課題は多い。自前の財源が乏しい県は、国からの財政支援に頼らざるを得ないが、「辺野古問題」で県と国の関係が悪化し、沖縄関連予算は大幅に削られた。県庁の職員はもちろん、県民の間にも不安が募る。

■ パフォーマンス好きの玉城知事

玉城デニー知事の好感度は抜群である。一方で、同氏はパフォーマンスに傾きがちだ。


当確直後の玉城デニー氏(2022年9月11日):筆者撮影

1期目に実施し、2期目も再度計画されている「全国トーク・キャラバン」は、その典型例だ。筆者も参加したことがあるが、集まった人々のほとんどは、「デニー」ファンか、基地反対運動の活動家たちだ。この類のイベントがどんなに盛り上がろうと、本土の幅広い層に沖縄の問題を訴える、という本来の趣旨は達成できない。

また、知事は、当選直後のインタビューなどで、「国連に辺野古問題を訴える」と述べた。この「国連」は、「国連人権理事会」を指すと見られる。

だが、この国連機関の理事国には、王政に批判的なジャーナリストを殺害したサウジアラビア、香港の一国二制度を破壊し、新疆自治区ではで百万人とも言われるウィグル人を強制収容所に押し込め、躊躇なく人権を抑圧する中国が含まれる。知事は、その実態を踏まえているかどうか。あるいは、国連で演説したことをアピールしたいだけなのか。

■ 人脈・情報の不足と小沢一郎氏の責任

玉城デニー氏が抱えるもう一つの問題は、人脈と情報が限られることだ。

議員とは異なり、知事は県行政のトップだ。当選するまでは政治家だが、知事に就任したと同時に行政マンに変身しなければならない。支持層だけでなく、県民全体を代表し、県のさまざまな課題を俯瞰する視野と、人材を見分ける眼力を持たねばならない。

行政のトップとしての力を発揮するには、豊富な人脈が必要だ。しかし、同氏は、衆議院議員を務めた9年間、東京で官僚やジャーナリスト、学者、外交官などとのネットワークを築かなかった。そのため、情報や政策アイディアの不足に悩まされている。

デニー氏の人脈・情報不足は、彼が崇拝する「恩師」、小沢一郎氏の責任でもある。

小沢氏は、若い時代に、記者や学者、外交官などと頻繁に会い、人脈の構築と情報収集に余念がなかった。だが彼は、側近たちには同じ動きを許さない。彼らが成長し、彼の政策や判断に異論を唱えることを嫌うからだ。多くの政治家、有識者、記者たちが彼から離れたのは、小沢氏が自分とは違う意見を述べる人間を陰で攻撃し続けたためだ。

玉城知事は、独裁者小沢氏の犠牲者と言えるかもしれない。

しかし、玉城デニー氏は、今や140万人の県民を背負う知事である。今後、独自の人脈を作り、自前の情報収集の体制を作り上げる必要があるだろう。だが、今のところ、その方向には動いてはいないようだ。さてさて、これからもデニー劇場で、玉城氏の独演会が続くのだろうか。

(つづく)

注記)この記事は、2022年9月25日、インターネットメディア”Japan In-depth”に掲載されたものです

沖縄知事選結果の分析①「下地の乱」と自民党県連の混迷

2022-10-09 19:32:02 | 沖縄の政治、「沖縄基地問題」
9月11日(日)投開票の沖縄県知事選で、現職の玉城デニー氏が、自公推薦の佐喜真淳氏に6万5千票の大差をつけて再選された。ただし、玉城知事の信任投票と位置付けられた今回の選挙で、得票率は51%に過ぎず、「すれすれの信任」とも言える。実情は、保守分裂に助けられた「圧勝」だった。

無所属の下地幹郎氏出馬で、玉城氏が一気に優勢になり、知事選への有権者の興味は薄れた。統一地方選挙も重なったため、有権者の関心が地元の選挙に向かって、知事選は盛り上がらず、投票率は過去2番目の低さだった。

<なぜ下地幹郎氏は出馬したのか>

今回の知事選の最大の話題は、下地氏の出馬だった。当選の見込みがないにもかかわらず、保守を分裂させた彼の行動を奇異に感じた人は多い。


選挙前日の打ち上げ式(那覇市)に駆け付ける下地幹郎候補。2022年9月10日。著者撮影。

筆者自身は、「自民党への自爆テロ」だったと考える。

拙稿「争点なき沖縄県知事選の“怪”」(9月6日Japan In-depth掲載)で述べたように、この政治家は、カジノ・スキャンダルに関わり、維新の会を除名された。政党を渡り歩き、落選しては復活してきた、自称「ゾンビ政治家」下地氏も追い詰められる。

そこで、彼は自民党復党を目ざした。ところが、下地氏は、自民党と激しく対立してきたうえに、公明党とは犬猿の仲だ。自公体制を前提とする自民党にとって、彼の復党のハードルは高い。

それでも、経済界の重鎮、國場組会長の国場幸一氏らが下地氏を積極的に支援し、自民党に復党を働きかけた時期もあった。彼らが下地氏の行動力を評価しただけでなく、保守一本化を強く望む声があったからだ。

しかし、國場氏らも公明党の意向などを無視できず、次第に下地氏と距離を取り始める。

維新から追放された保守系の下地幹郎氏にとって、自民復党以外に政界で生き残る道はない。そこで、大博打を打ったのだろう。

知事選出馬を表明した際には、自民党への「脅し」と見る向きが多かった。彼自身も、仲介者が現れて同党と和解し、立候補を取り下げるシナリオを描いたのかもしれない。しかし、仲介者は現れなかった。

下地氏の支持者には、保守派主流から冷遇され、憤懣を抱える人が多い。彼らは少数だが、熱狂的だ。出馬表明で、そんな彼らを煽ってしまった下地氏は、引っ込みがつかなくなったのだろう。彼を受け入れない自民党への恨みもあった。自らの出馬によって佐喜真氏を惨敗させ、鬱憤を晴らしたかったのではないか。

ただ、辺野古反対、普天間の軍民共用化など、大風呂敷の公約を自画自賛するパフォーマンスに、眉をひそめる保守系市民が多かった。選挙後、本人は「マングースになる」と気炎をあげるが、今や彼の立場は弱い。

<自民党県連の迷走>

7月22日の拙稿「参院選から見えた沖縄政治の迷走」(Japan In-depthに掲載)で既に述べたことだが、自民党県連による重要選挙の候補者選考は迷走し続けた。

まず、知事選にこだわった佐喜真氏が、7月の参議院議員選への出馬を固辞し、参院選と知事選の候補者決定が大幅に遅れた。問題は、同氏の「決断」に押し切られただけでなく、下地氏も抑え込めなかった、自民県連のパワー不足にある。

さらに、知事選と同日選の県議会議員補選でも、2人が立候補を目ざして調整が難航し、決着は告示日(9月2日)の4日前にずれ込む。しかも、擁立したのは2人とは別人の下地ななえ氏だった。

同氏は、エステサロンの経営者で、テレビでの露出が多いタレントだ。自民県連の中心メンバー國場幸之助衆議院議員が強く推したという。だが、土壇場での派手な女性の登場に、唖然とした陣営関係者は多い。果たして、「オール沖縄」が分裂したにもかかわらず、下地ななえ候補は3位に沈んだ。國場氏の責任を追及する声が出ている。

<佐喜真氏の限界>

自民党県連に問題があったとは言え、玉城知事に負けたのは佐喜真氏だ。彼の政治家としての実力の乏しさこそ、最大の敗因だ。

演説に精彩がなく、政策立案能力にも疑問符がつく。政府が最短でも12年後とする普天間の返還を、2030年までに実施すると突如言明したのは、安易すぎた。


▲写真 投票日前日の打ち上げ式(那覇市)での佐喜眞淳候補。2022年9月10日。著者撮影。

佐喜真候補は、前回知事選に落選後の3年間、政治活動をほとんどしていない。知事職を志すなら、毎日県内を視察し、政策を練り上げるべきだったろう。

旧統一教会関連のイベント参加も発覚し、「先輩議員に誘われた」と釈明したが、先輩に追随する姿勢も問題だ。琉球新報などの出口調査によれば、公明党支持層の30%余りが玉城氏に流れたという。創価学会会員は旧統一教会を嫌悪するので当然だろう。

それだけではない。同じ出口調査で、自民党支持層の20%以上が玉城氏に票を投じたことが分かる。佐喜真候補の失速は誰の目にも明らかで、陣営には沈滞ムードが漂っていた。

<自民党・保守系の見えない展望>

保守系の混迷はまだまだ続く。10月23日投票の那覇市長選に向けて、県連は前副市長の推薦を決定した。だが、陣営内には、故翁長前知事の側近だった同氏に不信を抱く人もいる。

そして、混乱する保守系の隙を突くように、ボクシング元世界王者の平仲明信氏が出馬を表明した。玉城デニー氏のようなタレント型政治家が当選を重ねることで、下地ななえ氏や平仲氏のようなタレントたちが、続々と政治家をめざす時代になったのだろうか。

行政経験者や有識者などから、自民党県連の迷走と、政治と行政の「空洞化」を懸念する声がある。しかし、人材難と保守陣営の司令塔不在という、構造的な問題を克服するのは容易ではない。

(続く)

注記)この記事は、2022年9月22日、インターネットメディア”Japan In-depth”に掲載されたものです。

争点なき沖縄県知事選の“怪”

2022-10-09 18:46:58 | 沖縄の政治、「沖縄基地問題」
9月11日投票の沖縄県知事選では、争点らしい争点がない。有力候補の公約が陳腐であるためだ。しかも、劣勢とされた保守系の分裂によって、「オール沖縄」系がますます優勢になり、当落への関心も薄れている。

それでも、知事選が沖縄政治の天王山であることに変わりはない。

まず、候補者の顔ぶれを見よう。玉城デニー現職知事(「オール沖縄」)、前回の知事選で玉城氏に敗れた佐喜真淳前宜野湾市長(自公推薦)、自民党や国民新党、維新などを渡り歩いた下地幹郎前衆議院議員(無所属)の3人だ。

<非現実的な3候補の普天間・辺野古公約>

報道の多くは、「普天間・辺野古問題」こそ「最大の争点」とする。他の政策分野では大きな差がないので、違いが目立つ基地問題をクローズアップするしかない。

問題は、3候補の主張がそろって現実的でないことだ。

例えば、玉城知事は普天間の辺野古移設阻止をうたう。工事予定海域に深さ約90mに達する軟弱地盤が見つかり、計画を進めるには設計変更が必要になった。知事は、この変更申請を承認せず、辺野古移設の頓挫を狙う。だが、裁判などを経て、設計変更が認められ、県の抵抗は単に移設を遅らせるだけ、と見る人が多い。

辺野古反対一本槍では、「辺野古移設が遅れれば、普天間返還も遅れる」という政府の論理を崩せない。だが、支持基盤である「オール沖縄」がその方針を堅持する以上、変えようがない。


▲画像 辺野古地盤改良実施予定区域 出典:防衛省・自衛隊ホームページ

佐喜真氏は、地元の普天間飛行場の早期返還にこだわる。同飛行場の辺野古移設を容認し、同時に、2030年までの普天間返還を主張する。最低12年とされる辺野古工事期間を大幅に短縮できるとするが、その根拠は示さない。

全く違った主張を展開するのが下地氏だ。埋め立てが進んだ辺野古崎の南岸沿いにオスプレイ24機の格納庫を建設し、軟弱地盤のある北東側は埋め立てを中止すれば、辺野古問題は解決できると強調する。だが、オスプレイ以外のヘリ30機の移駐先があいまいだし、何より政府は名うての裏ワザ師を信頼しない。

下地氏は、さらに普天間の国際空港化と軍民共用を提案する。経済成長第一主義の彼らしいアイディアだが、返還を夢見る宜野湾市民は、受け入れまい。

<バラマキ政策の羅列と長期ビジョンの欠落>

その他、3候補のバラマキ型公約が並ぶ。しかし、誰も財源を明示しないので、実現を危ぶむ声がある。

深刻なのは、沖縄の長期ビジョンをめぐる議論が乏しいことだ。コロナ禍で露わになった「観光立県」のもろさや、非正規雇用を大量に生み出す土建・観光中心の産業構造をどう変革するのか。その道筋を提示する候補者はいない。

コロナ対応の不手際や観光業への支援不足など、玉城県政への不満がくすぶる。しかし、誰が知事になっても同じだ、と考える有権者も多い。

<玉城氏と佐喜真氏、両陣営の内部事情>

各候補の公約に潜む各陣営の事情は興味深い。

2018年、翁長前知事の急逝以降、「オール沖縄」から経済人、保守派が多数脱落して、陣営内で共産党など革新系の比重が増した。


写真:玉城デニー候補 選対本部より許可を得て掲載

この勢力をバックに再出馬した玉城氏は、第一声で、「基地のない島」を目ざすと語った。中国の強硬な外交姿勢を考えると、「現実離れ」の感覚に驚かされる。同時に、保守中道を自認してきた同氏が、今では革新勢力に依存する構図も透けて見えた。

玉城氏は、前回の選挙で翁長氏急逝への同情票を集めた。今回は、同情票はない。個人的人気の高さで、佐喜真氏と下地氏の合計票に大差をつけて勝利するかどうか。

一方、自民党本部や沖縄県連は、当初、佐喜真氏の参議院選出馬を想定していた。同氏は玉城氏には勝てないが、参議院選では当選できる、との見立てがあったからだ。ところが、佐喜真氏は知事選に固執し、陣営の目算が狂う。


写真:佐喜真淳候補 選対本部より許可を得て掲載

保守県政奪還への熱気が冷めたところに、下地氏出馬の追い討ちがあり、佐喜真候補の当選は一層難しくなった。焦った同候補は、「普天間返還の前倒し」を懸命に訴えるが、いかんせん、無理筋の公約だ。

<下地氏出馬の背景とインパクト>

下地幹郎氏は、カジノ利権がらみのスキャンダルで、維新の会を除籍され、政治生命の危機に瀕した。そこで、その剛腕に期待する一部経済界の支持を得て、自民党への復党を目ざす。しかし、同党と長らく対立してきたうえ、公明党との関係が悪く、自公連携を重視する自民党県連は復党を拒否する。

下地氏の知事選出馬表明は、当初、自民党復党をもくろむ条件闘争にすぎず、土壇場で選挙から降りるとの推測もあった。だが、頼りの国場組の国場幸一会長や、大米建設会長の実兄下地米蔵氏まで、佐喜真氏支援の方針を打ち出し、同氏は孤立する。条件闘争の思惑は空振りとなり、引っ込みがつかなくなったとの見方がある。


写真:下地幹郎候補 選対本部より許可を得て掲載

保守系の同氏が、第一声を上げたのは、何と、基地反対派が集まる辺野古ゲート前だった。普天間の軍民共用も含めて、起死回生の花火を連発するが、反応は鈍い。

皮肉なことに、下地氏の賭けは、保守系の結束を生むという意外な効果をもたらしたようだ。これまでまとまりを欠いた保守陣営だが、今は、自公体制を維持する方向に向かう。

ただし、保守系の求心力を持続させるには、佐喜真氏が前回の8万票差を縮めることが条件だろう。しかし、状況は厳しい。公約の平凡さに、「下地の乱」と旧統一教会の問題も重なり、票を減らす可能性がある。陣営内にため息が漏れる。

下地氏の出馬は、今回の知事選の波乱要因ではあったが、結局、玉城候補が左団扇になっただけと、もっぱらの評判だ。さて、各候補の得票数はどうであろうか。

注記)この記事は、2022年9月6日インターネットメディア”Japan In-depth”に掲載されたものです。

書評:「辺野古入門」熊本博之著

2022-08-29 23:29:09 | 沖縄の政治、「沖縄基地問題」



『辺野古入門』(熊本博之著、ちくま新書、2022/4/5出版) 撮影:目黒博

「普天間・辺野古」に関して膨大な数の本が出版されてきた。その中にあって、本書は、余り話題にならなかった、「辺野古の住民たち」に光を当てている点で異彩を放つ。読者は、生の語りを通して、彼らの複雑で微妙な思いを知ることができる。

<「普天間・辺野古問題」で軽視されてきた地域事情>

普天間飛行場の辺野古への移設問題(以下、「辺野古問題」)は、沖縄県民を二分してきた。県民や地域住民は、賛成派(もしくは容認派)と反対派の陣営に単純に色分けされ、それぞれの陣営内部に多様な立場があることは軽視されがちであった。

辺野古の住民を、金目当てで辺野古移設を容認している、として切り捨てる傾向がある。「地元の民意」を掲げて国と対峙してきた「オール沖縄」陣営内でさえ、「地元そのもの」であるこの集落に関心を示す人は少ない。

本書の著者、熊本博之氏は、大学院生時代にジュゴン保護運動に関わり、名護市で行われたデモに参加した。その時、名護市民の冷ややかな言葉を浴びる。「あんた、ナイチャー(内地の人)ね。他人(ひと)のシマで勝手なことしないほうがいいよ」。

この一言で、彼は、沖縄についての知識不足を思い知らされる。そして、辺野古区を知らずして「辺野古問題」を語れるのか、と思い始める。この疑問こそ、熊本氏の辺野古研究の出発点であり、彼はその後20年にわたって辺野古に通うことになる。

<辺野古区の住民たちとの出会い>

著者は、辺野古の調査旅行するうちに、西川征夫氏に出会う。同氏は、いわゆる「活動家」とは一線を画し、地元住民として辺野古移設反対運動をけん引してきた人である。住民組織「命を守る会」の初代代表でもあった。

一方、座り込みなどの行動には参加せず、平和運動家たちから非難された。彼自身はあくまで「辺野古移設」反対にとどまり、「海兵隊は出ていけ」などの主張には同調しなかった。そのため、「活動家」たちとの溝が深まる。

他方で、条件付き容認に傾く辺野古区の有力者たちにとって、元来保守でありながら反対派に転じた彼は、人望が厚く人脈もあるだけに、厄介な存在である。反対派、容認派両サイドから疎まれた西川氏は、「辺野古問題」の矛盾を体現する人物と言える。


西川征夫氏(2020.1.28 撮影:目黒博)

辺野古の一般住民は本音を語りたがらない。集落内に親類が多く、人間関係の密度が濃いため、対立を孕む話題は避ける。また、考えが揺れ動き、口ごもるケースも多い。

記者たちは、余り辺野古集落を訪れない。住民たちから率直なコメントが取りづらいからだ。むしろ、「絵」になる、シュワブ第一ゲート前での集会や座り込みの方へ流れる。著者は、住民たちの思いがスルーされ、埋もれてきたことを目の当たりにする。

熊本氏は、辺野古に頻繁に通い、住民と信頼関係を築いていく。居酒屋で知人と酒を飲むうちに、初対面の人から誘われ、はしごすることもあった。アルコールが入り、話が盛り上がると、本音が漏れることもある。

住民たちの発言の内容が屈折することもある。その典型は、「本当は、辺野古移設には反対だ。でも、結局基地はできるんだろう。反対ばかりしていてもねえ」という類のものだ。その歯切れの悪さに、逡巡と諦めがにじむ。

<辺野古区とキャンプ・シュワブの「平和共存」>

フィールドワークを続けるうちに、熊本氏は、辺野古区が海兵隊基地キャンプ・シュワブと密接な関係を築いてきたことに気づく。

辺野古区・シュワブ関係の歴史は長い。沖縄が米軍統治下にあった1955年に、辺野古の広大な土地を接収し、海兵隊基地を建設すると予告される。その際、区の有力者たちは、米軍側と粘り強く交渉し、接収には応じつつ、彼らの要求を通す術を身に着けた。

また、著者は、辺野古区とシュワブがさまざまな形で交流してきた事実に注目する。米軍基地に対する同区の柔軟な姿勢に、「平和共存」のための知恵を見出す。

同時に、辺野古区民は、シュワブとの良好な関係にあるがゆえに、シュワブ内に建設される施設には反対しにくい自縄自縛の状況が生まれた、と著者は考える。さらに、区のリーダーたちが、従来の発想で現在の「辺野古問題」に対応しようとすることに、危うさも感じる。

キャンプ・シュワブをめぐる交渉相手は、米軍であった。だが、「辺野古問題」の主な当事者は、日本政府である。しかも、県、名護市、本土の大物政治家なども関わる。「辺野古問題」の交渉は、辺野古区が切り回せるほど単純ではない。

果たして、同区は、「反対」から「条件付き容認」に追い込まれ、世帯別補償など、最も重視してきた要求も政府に一蹴された。熊本氏は、そこに、辺野古区の指導者たちの経験と知恵の限界を見る。

<外から見えにくい地域事情の重要性>

筆者が本書を高く評価する最大の理由は、マクロの視点から語られがちな「基地問題」を考えるにあたって、ミクロの視点を導入したこと、つまり地域事情を知ることの重要性を指摘したことである。

この本を読みながら、筆者はあるジャーナリストの言葉を思い出す。「大文字で語られる沖縄」。基地問題が話題になるとき、政府と対立する「沖縄」ばかりに焦点が当たり、沖縄社会内部の複雑さは無視されやすい。

昨今の台湾情勢の緊張に伴い、「南西地域」の安全保障がホットな話題になっている。その流れはますます強まるだろう。そんな時代だからこそ、その最前線の沖縄とはどのような地域なのか、筆者自身も含めて本土の人間は大いに関心を持つべきだと思う。

「辺野古問題」に関心を持つ人々が、一人でも多く本書を手に取り、地域事情の重要性を考えるきっかけになってほしいと強く願っている。

注記)この記事は、2022年8月22日にインターネットメディア「Japan In-depth」に掲載されたものです。



参院選から見えた沖縄政治の迷走

2022-07-31 19:43:00 | 沖縄の政治、「沖縄基地問題」
7月10日に実施された参議院議員選挙の沖縄選挙区で、3,000票弱という僅差で「オール沖縄」系伊波洋一候補が勝利した。保守系の古謝玄太候補が優勢との大方の予想を覆す結果であったが、同時に、両陣営が抱える問題が露わになった選挙でもあった。

まず、保守派の敗北の原因と、同陣営が抱える構造的な問題を見てみよう。

<候補者選考のもたつき>

今回の選挙では、保守系の候補者選考は難航し、結論が出たのは3月6日であった。ここまで遅れたのは、自民党県連が前宜野湾市長の佐喜真淳氏にこだわったからである。知事選を目ざす同氏が参院選出馬を最後まで拒否し、急遽、総務省出身の古謝玄太氏に白羽の矢を立てることになった。

古謝候補は、高校卒業後、20年間沖縄から離れていたうえに、投票日までわずか4か月という、無名の新人には極めて厳しい短期戦を強いられることになった。

候補者選考の迷走は、自民党県連のまとまりの無さと、長期的にリーダーを育ててこなかった組織の体質が露呈したとも言える。

<「辺野古問題」という地雷原>

同氏は、選挙公約の中で、普天間基地の辺野古移設「容認」を打ち出す。60%前後の県民が、今なお辺野古移設に反発している状況を考えると、冒険だったのではないか。

実は、この方針は政府と自民党本部が強く主張し、同氏は党公認候補としてその意向に従ったのだ。今年行われた県内の市長選挙で保守系が4連勝したことを受けて、保守陣営内で盛り上がった強気ムードが「容認」を後押しした面もあった。

各種調査によれば、今回の選挙の最大の争点は、基地問題ではなく、経済や生活だった。辺野古「容認」が当落の決定的な要因ではなかったと見られるが、影響が全くなかった訳でもない。僅差での落選という結果を考えれば、小さなマイナスも無視できない。

辺野古問題は沖縄の保守系にとっては長らく鬼門であった。辺野古を抱える名護市の渡具知市長が、本年1月の市長選で、保守系でありながら「容認」を公言せず、「国と県の推移を見守る」としたことは、この問題の扱いにくさを示している。

なぜ、辺野古問題は厄介なのか。ここで詳しく述べることはできないが、ポイントだけ挙げておこう。

<辺野古施設建設の非合理性と政治性>

辺野古施設とは、住宅密集地のど真ん中に存在する普天間飛行場の代替施設として建設されるものである。数十機のオスプレイとヘリのために、「深い」大浦湾を埋め立て、10数年の年月と1兆円前後を費やして建設する計画になっている。海底の軟弱地盤も発見され、難工事が予想されている。

多くの矛盾を抱えるプロジェクトだが、日本政府がこれにこだわるのは、数多くの案が出ては消え、「唯一」残った選択肢だからだ。

さらに、この施設計画は、巨額の埋め立て利権と、大物政治家がからんだ「政治案件」でもあり、変更しにくい事情もある。

一方、沖縄県民は、巨額の沖縄振興予算と引き換えに、沖縄県知事から埋め立て承認を得るという、強引な国の姿勢を見せつけられた。今や、多くの反対意見を押し切って工事が進み、諦めムードが広がるが、反発は地下茎のように根強く残る。

辺野古問題にはこのような経緯があるため、「容認」の明言は、政府の立場に「寄り添った」と見られかねない。その点を古謝候補がどこまで認識したかどうか。

<若きエリートへの期待と違和感>

古謝氏は、沖縄では有名な進学校、昭和薬大付属高校から東大に進学後、総務省に入省という絵に描いたようなエリートである。その輝かしい経歴は、期待を集めるのに役立ったが、一部の県民に距離を感じさせたようだ。「『東大卒』を前面に出さないでほしい」という陣営内からの声もあった。

古謝氏はスピーチ力があり、態度も堂々としていた。さらに、総務省から長崎県に5年間出向し、同県で4つの役職を務めた経歴を持つ。本人も地方行政の実績には自信を見せた。だが、沖縄独特の問題を「どこまで分かっているのかねえ」との疑問も聞こえてきた。

日本の行政においては、良かれ悪しかれ、「20年働いて一人前」が常識である。その基準を念頭に、まだ若いのに自信過剰と見る人もいた。

<意外な落とし穴>

最大の誤算は、諸派の3候補が合計39,000票余りも獲得したことだ。保守票の一部が諸派に流れたことが、古謝候補には致命傷になった。伏兵に足をすくわれたのだ。

加えて、茂木幹事長や菅氏から岸田首相、林外相に至る大物政治家が続々と同候補応援のために来県したことは、むしろマイナスになったとの指摘がある。彼らへの対応に時間と労力を費やし、末端の選挙運動がおろそかになったというのである。党本部が沖縄を「重点選挙区」とし、大物を投入したことが裏目に出たとすれば、皮肉と言うほかはない。

保守陣営は、9月の知事選に向けて、体制立て直しを図ろうとした矢先に、旧維新の下地幹郎氏の出馬表明が飛び出した。玉城知事の人気が高いことを考えれば、保守系の佐喜真候補は苦戦を免れないだろう。さて、保守陣営はどこまでまとまれるかどうか。

ここまで、保守系候補であった古謝候補の敗因を探ってきた。以下、「オール沖縄」の伊波洋一候補が苦戦に追い込まれた背景を考える。

<働かなかった伊波議員>

何よりも、伊波候補の評判が悪すぎた。県民の中に積極的に入っていかず、現役議員としての6年間、仕事をほとんどしなかった。「オール沖縄」支持者の間にさえ不満が多かった。

小選挙区から選出される衆議院議員と違って、参議院議員は県全体を代表する議員である。しかも、6年間選挙がなく、身分が保証されている。県内をくまなく回って県民の声を直接聞き、各地域が抱える課題を把握し、政策を提言すべきだったが、この間、沖縄本島北部や離島で伊波氏の姿を見た人はほとんどいない。

同氏ばかりではなく、沖縄選出の革新系参議院議員は名誉職的な地位にあぐらをかき、ほとんど働かなかった。伊波氏もその悪しき伝統を踏襲し、県民の苦境をよそに「遊んでいた」のである。県民の同候補への期待が低かったのは当然である。

<「オール沖縄」の退潮>

また、2018年の翁長前知事の逝去後、同候補を支える「オール沖縄」から、糸の切れた凧のように経済人などの脱落者が相次いだ。埋め立て工事が進み、辺野古問題に対する諦めムードが広がったこともまた、陣営には逆風になった。

コロナ感染が広がり、順調に見えた観光業が大打撃を受けたが、「オール沖縄」の中核を占める革新系は、基地問題ばかり語る傾向があり、経済やコロナ対策への関心は薄かった。政策面で、この陣営に期待した県民は少ない。

<それでも「オール沖縄」が勝った理由>

候補者の魅力がなく、陣営に勢いがないにもかかわらず、なぜ、伊波候補は当選できたのか。

まず、すでに述べたように、保守系候補が無名の新人であったこと、そして戦略ミスを犯したことが挙げられる。

さらに、ウクライナ戦争のインパクトと、盛んに語られた「台湾有事」への懸念も大きな要因である。特にウクライナ戦争の悲惨な映像は、一部の県民に沖縄戦の記憶を呼び起こした。漠然とした戦争への不安が伊波氏を押し上げたと言える。

加えて、政党支持率における保革の差が小さかったことが重要である。比例区の沖縄における政党別得票率を見ると、立憲、共産、社民がそれぞれ10%前後、令和が7%弱だったのに対し、自民27%、公明15%弱であった。沖縄の革新系の支持者はまだまだ多い。

その背景には、自民党と政権幹部たちの沖縄理解の欠如がある。その結果として、政府に対する不満が県民に広がり、革新系の支持層を厚くしてきたと言える。

菅氏の言動を見ると分かりやすい。彼は、この10年、沖縄への経済支援策を次々と実行したが、他方で、官房長官時代に「沖縄だけが苦労した訳ではない」とも語っている。要するに、沖縄の経済振興には熱心だが、県民の感情には無関心なのだ。このギャップに県民は敏感である。

さて、今回の選挙で「オール沖縄」は踏みとどまった。玉城デニー知事の個人的な人気も考えれば、9月の知事選に向けて明るい展望が開けたと言える。

<玉城知事と「オール沖縄」は変身できるか>

だが、たとえ玉城知事が再選されたとしても、経済、生活、子育てに具体的な政策を打ち出せなければ県政は漂流し、その支持基盤である「オール沖縄」の衰退は止められない。

中国の脅威が増している以上、米軍基地が一挙に縮小することは考えにくい。当面、米軍基地問題はホットであり続けるだろうが、若い世代は、米軍基地に反感を抱いてはいない。基地問題の解決よりも、むしろ、産業の活性化と安定した生活を求めている。

戦争体験者の高齢化が進み、沖縄における平和主義の影響は徐々に弱まっている。ある「オール沖縄」関係者は、「今年の参院選と知事選が革新系の勝てる最後の大型選挙だ。これから沖縄の政治は変わる」と漏らした。

革新系が生き延びようとするのであれば、反基地・平和運動一本槍から脱皮しなければならない。そのためには、まずは県民の声をしっかり聴き、沖縄社会が抱える課題を把握する必要があるだろう。生活と社会を直視してこなかった彼らに、果たして、それができるかどうか。

<革新系が避けてきた安全保障問題>

今、中国は強硬な外交と軍拡を進め、人権無視の体制を作り上げている。そのような状況の中で、「アジアの架け橋」を目ざすというような標語を繰り返しても現実味はない。東アジア情報を収集して、この地域における沖縄の可能な道を模索することが求められている。

仲井眞知事時代に、県庁内に「地域安全政策課」が設置され、内外の専門家とのネットワークを築いていた。同課配属の職員たちは、東アジアの安全保障について、熱心に情報収集していたものである。だが、「オール沖縄」系知事の誕生後、そのセクションは廃止され、現在の県庁には安全保障問題の担当者はいない。

世論調査を見ると、自衛隊の沖縄への配備に肯定的な県民が多いことが分かる。それだけ、中国への警戒感と安全保障への関心が高まってきたと言える。県民の現実感覚に応える「オール沖縄」でなければ、時代の流れから取り残されてしまう。

今後、上に述べたような課題に取り組む姿勢が、「オール沖縄」陣営に芽生えるかどうか注目していきたい。

注記)この記事は、2022年7月22日にインテ―ネットメディア「Japan In-depth」に掲載されたものです。