客観的に見れば、僕の文章や行動はかなり痛々しい物だと思う。
無論、そんなことは分かっているのだ。
じゃあ意識して改善すればいいじゃん。それは正論だ。でも僕はやめられないのである。
僕はもう、この恥さらしな性格こそ自分自身だと正当化している。
そしてその正当化を止めてくれる人など、とうにいない。
もしかしたらいたときもあったのかもしれない。しかし、僕はそういう人の存在を容赦なく切り捨てた。
その結果が今の僕だ。笑うなら笑えばいいさ。
この記事を読んだ多くの人は、思春期の終わりの症状として僕の言動を解釈するだろう。
それに対しても返答は、どうぞご自由に、である。
「自己を無辜の位置におき、他者の矛盾や不義を糾弾することによって、自己があたかもその悪から免かれているとみなす発想は文学にはない。」
(高橋和巳『わが解体』より)
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