
昭和27年生まれ組なので3月31日ならほぼ全員還暦になっているだろう(4月1日は早生まれだがいないはず)
ということで3月31日の日曜日に神奈川県海老名市で開催。
海老名市立有馬中学校(当時は海老名町立有馬中学校)昭和42年度卒業。
生徒は108人で3クラス。
担任3人ともご健在だがお一人は転んだということで大事を取ることに。
同級生108人。生きていれば60歳になったが、不幸にもそれが叶わなかった同級生は13人にもなる。
ほとんどガンです。
亡くなられた同級生に合掌。
還暦といっても昔と違い若い。
出席したのは95名中35名なのでまずまずの参加率では?
幹事はほんとうによくやってくれました。
60歳過ぎると勤め人は定年ということになります。
給料は半分以下になるが再雇用という人もいれば、再雇用なしで職を探しているという人も。
小生は60歳を迎えた社員は本人が希望すれば雇用側は再雇用しなければならないと法律で決まったと思っていました。
それは昭和28年生まれから適用になるそうで・・・
特別支給の老齢厚生年金の支給が昭和28年組は61歳からになるからだ。
特別支給の老齢厚生年金支給開始年齢はだんだん上がって行く。
政府広報
昭和27年組は条件満たせば特別支給の老齢年金は60歳から支給されます。
(余談ながら、年金のことなどあまり調べていない人が多いことに驚く。)
(出来るだけ若いうちに年金のことは自分で調べて準備しておくことだ。特に45歳以下の年齢の人は自分で年金掛けておかないとやばいよ。)
人生模様はいろいろ。
写真は3年の時の担任の先生。
ちょうどその年は小生の父がPTA会長していました。
その後教頭を他の中学で2度、県の教育委員会に9年、それから小学校の校長歴任され最後は有馬中学校の校長でした。
小学校の校長の時は組合問題で苦労されたそうです。
始業時間ぴったりの8時30分に職員室に入ってくる。
校長とは呼ばない〇〇さんだという。
校庭での国旗掲揚の時は8割の先生が横を向いてしまう。
仕方ないのでPTA役員にお願いして朝来てもらうことにした。
親御さんがいればそういうことはしないとわかった・・・
なぜ卒業証書授与は偉そうに檀上の上でやるんだと?
それは子供たちのためにひとりひとり檀上で卒業証書を手渡すことに意味があるのだと言った。
そしたら、檀上ではなく子供たちが座っている同じ高さのところでできないかという。
もちろん突っぱねたが。
そんな話しも聞かせていただきました。
仕事が無くなって、仕事を卒業して、
それからの人生をどう生きるか。
通常、その時間が長いからね。
恩師は良いことを言ってくれました。
教育者だからというわけではないが、
今日生きる(きょういきる)
今日行く(きょういく)
そのための教養を磨く
家から出ること
人に会って話をすること
それを心がけている。
よい話しですね。
ゴルフやる同級生も何人か集めました。
遊ぶ相手は大切だからね。
次回はおよそ2年後ということになりました。
みなさんお元気で!
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木下(三田)忍

相原 守
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