市川稔の米(マイ)情報

テレビの功罪

地デジ(一部被災地は延期)になり、官が作った仮需によりデジタルテレビが売れました。

今後はその反動でバッタリ売れなくなる。

世界マーケットではコスト競争激しく日本メーカーは大苦戦。

高級化路線しか生きる道はなかろう。

あの「亀山工場」もテレビはやめてスマホ液晶に特化するというのだから。

さて、テレビ番組の質の低下には目を覆うばかり。

民放で見る番組は数えるほど。

ニュース番組くらいなもの。

NHKの大河ドラマとNHK特集とBSで特別な番組がいくつか。
ライブのスポーツ中継。

そんな感じだ。

できるだけ録画して番組に自分の時間を合わせないようにしないと。

日本でテレビ放送が始まったのは昭和28年2月1日。

歴史

小生は昭和27年12月14日生まれなのでほぼテレビの歴史と同じ。


昭和30年台中ごろ。

小生が育った田舎は50戸あまりの集落だった。

テレビは2台しかなかった。

集落で唯一の小売店舗もしていたので村の人々は皆お客さん。

商売人の夕飯は少し遅い。

近所はほとんど農家なので夕飯も早いのだ。

こちらが夕飯の時間に村中の人がテレビを見たくて集まってくる。

特にプロレスの日は大変な騒ぎでありました。

アメリカ製のテレビには豪華な幕というかカバーがあった(笑)


東京オリンピックが開催された昭和39年にカラーテレビが爆発的に普及した。

小生が通っていた町立小学校もこの年に建て替えし鉄筋コンクリート3階建て。
教室にはテレビが配備された。
なぜか、オリンピックを教室で見せてくれた。




そんな時代から、現代は様変わり。


テレビの役割は大きく下がったと思う。

一方的に受ける情報は思考能力を無くしてしまう。

視る側が選ぶようになったのだ。

ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯もテレビを視ていない人が増えた。

インターネットで検索して自分が得たい情報を見る人が多くなった。

小生のパソコンもデジタルテレビ映るし録画もできるので使いたい時に使う。

情報のあり方が変わったのだ。

ツイッターやフェイスブックなどで知りたい情報や発信したい情報は得る。


でもでも、

コメの買いだめなどみていると、まだまだテレビから情報得ている人が多いのだなぁと。


テレビのニュース映像も信用してはいけない。

番組とは「ある意図」を持って構成されている。

普通のことを放送していたのでは刺激がないのです。

大げさにある一部のことをクローズアップして見せる。

いいかげんにしてほしい。


テレビ離れは着々と進む。


※昨日は散歩と称してフジテレビ周辺に人が集まった。
21日はデモの許可を得て集まるそうだ。
さて、どうなるか・・・・・・・・・。

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