市川稔の米(マイ)情報

敗戦記念日

人間の歴史は争いごとの歴史でもあります。

戦争はヨーロッパが圧倒的に多かった。

第二次世界大戦は日本では大東亜戦争として戦った。

戦争が長引けば日本は不利になる負けることを承知で戦うざるを得なかった。

そう、戦争しないわけにはいかないほど追い詰められたのです。

無条件降伏を受け入れ発表したのが1945年8月15日でした。



終戦


ではなく


敗戦


です。


戦場で戦うのは兵士ですが、赤紙一枚で強制的に徴兵していました。

職業軍人以外は普通の民間人が即席の兵士になるのです。


小生の父も捕虜生活も入れて5年以上従軍していました。

無謀な作戦と後日語られることになった「インパール作戦」に自動車部隊として命令により参加。

インパール作戦画像

インパール作戦 wiki

戦死者の大半は栄養失調、衰弱によりマラリアなどに感染し病死だったと聞いています。


生前よく言っておりました。


「上官の命令は絶対服従」


どんなことでも、内容がおかしかろうが、無茶だろうが関係ない。

絶対服従なのです。


それが軍の規律を保つ最善の方法としていた。


生き残った兵隊は「もらった命」だとよく言っておりました。

戦地で死んだ戦友の分まで頑張れねばならないとも。


奇跡と言われた日本の戦後復興はそういう強い気持ちがあったことは大きいと思います。


制空権をだんだん失った日本には本土に対する爆撃が始まりました。

基地や軍需施設などを破壊するのが本来ですが、市街地に無差別に爆弾を落として行きます。

全国各地で膨大な被害と大量の一般人が殺されました。


非戦闘員なので、女、子供、年寄りなどがその対象になったのです。

最後は広島、長崎への原子力爆弾の投下でした。


人類に初めて使われた原爆。


ひどいものです。


戦争に負けた日本は戦勝国が敗戦国を裁く裁判に掛けられました。

戦争にはそれぞれ理由があります。

勝った当事国の理屈では負けた方は一方的に悪くなるのは当然のこと。

いわゆる「東京裁判」ですがとうてい受け入れられるものではありません。


1945年8月15日以降日本は占領されました。

独立出来たのは小生がうまれた年。

1952年4月28日が日本が独立できた日です。


今では日本が占領されていたことなど知らない人が多い。


占領下、GHQによってたった1週間で起草した日本国憲法を大事に守っているという不思議な国でもあります。


8月15日、韓国では日本の支配から解放された記念日であります。

最近、大統領が竹島に行ったり天皇が韓国に来るなら謝罪を求めるなど極めて理不尽な言動もあります。

日本の政府が何も言わないと認めたことになってしまう。

靖国参拝も含めて毅然とした態度が国家として必要です。



8月15日はお盆の送り火の日でもあります。




今日は生家に行ってご先祖様にご挨拶して来よう。

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