ばりふりっと鳥羽 ~ぬくとまるバリアフリー観光地~

伊勢志摩バリアフリーツアーセンターより、鳥羽市及び伊勢志摩のバリアフリー観光情報を発信しています。

別当由佳さんの講演 鳥羽東中にて

2008-11-10 14:29:14 | バリアフリー情報
11月6日。鳥羽市立鳥羽東中学校で
創立30周年の記念講演会がありました。

そこに招かれたのは我らが別ちゃん!
北京パラリンピック 車椅子女子バスケットボール日本代表
別当由佳選手(志摩市浜島町在住)です


別当さんは我々の友人で、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの専門員でもあります。
専門員とは、センターを応援していただいている方々であり、
バリアフリー調査を行なう際には、ボランティアとしてお手伝いしていただいてます。

別ちゃんも何度か我々の調査に参加していただきました。

今日は生徒達の前で講演するということで、かなり緊張していたようです。

しかし、これがなかなかのもの。
講演は多少のトラブル(パワーポインターの不具合)があったものの、
自分の体験を飾らない言葉で率直に語り、とっても良かったです。

友人としても改めて知る事も多く、
いろんな事を乗り越えてここまで来たんだなーと思うと、
尊敬しちゃいます。

別当さんは、もともと障害かあったわけではありません。
元は看護師として、地元の病院で働いていましたが、
ある事故が原因で、脊髄を損傷して歩くことができなくなりました。

でも、自分は直ると信じていた彼女は、リハビリしても元のようにならないと知った時、
やけを起こして親に反抗したり、食事をとらなくたったりしたそうです。

点滴の管を抜いて振り回して、テレビを壊したこともあるとか。

「ドラマのような不幸が、私の身に起こるはずが無い。」そう信じていたので、
好きな看護師の仕事を止めなければいけないことや、
車椅子での生活を一生送らなければいけないことを
受け入れられなかったのだそうです。

そんな時、
「この甘えて腐った根性を県外に出して見直したら」(←彼女の言葉より)
と、先生が神戸のリハビリ専門の病院を紹介してくれたそうです。

当初は親が別当さんのことをふびんに思い断ったそうですが、
そのことにまた腹を立てて、
「だったら、行っるわい」と反抗心から転院を決意。

転院先の病院で、自分より障害の重い方々がバスケットをやっている姿を見て、
はたと気付いたそうです。

自分より重い障害の人がこんなにもがんばっている事。

今までは障害を持って、出来なくなった事ばかりを不満に思っていましたが、
これからは、自分に出来ることと出来ないことを
見極めればよい。

出来ないことは人に頼めば良いという事に気付いたそうです。


車椅子バスケはとても激しいスポーツです。
だから、男子は国内に100以上もチームがあるのに、
女子はたった7チームしかありません。

彼女が所属しているのも愛知チームです。
ですから、日頃は津の男子チームに混じって練習しています。

別当さんは現在三重県の職員。
伊勢保険福祉事務所で働いています。

勤務後、練習は月曜を除いた週6回。
津まで車で駆けつけて夜の9時まで練習。
帰宅はいつも11過ぎに。

北京パラリンピック出場を夢見てそんな生活を何年も続けてきました。

努力の甲斐があり、晴れて日本代表に!
そして、皆さんも良く知るあの大活躍!
競合ぞろいの中、見事4位でした。


バスケットがやりたい一心で、
車の運転も再開し、
試合にかかる経費をまかなうために職を得て、
比較的早い時期に社会復帰を果たした別当さん。

そんな彼女の好きな言葉は
「継続は力なり」

夢を持ち、目標を持って努力し続ければ、
夢は必ず叶い、人としても成長する。
夢があれば、多少の困難は乗り越えられるものというのが、
彼女の持論。

北京パラリンピック出場の夢をかなえた別ちゃんの
更なる夢は?

1. 車椅子バスケットボールを続ける
2. 指導者になる
3. 他の競技をやる
4. 結婚して、お母さんになる
↑彼女のスピーチでの言葉です。

これは、四択クイズではありません(笑)。
彼女自身、迷っているとか。

「ロンドンパラリンピックを目指して!と言えばカッコイイのでしょうが・・・」
とは本人談。

ホントね。なんだかこんなんが別ちゃんらしいわね。

でも、がんばったら、全部叶うかもよ。
ねっ。別ちゃん。


校長先生と記念撮影

別ちゃん直筆の座右の銘が、マグカップなって
生徒に配られるそうですよ。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿