こんにちは
伊勢志摩バリアフリーツアーセンターです。
鳥羽市レンタル車いす「どこでもチェア」をご存じですか?
2003年から始まったこのサービス。
車いすをレンタカー感覚で借りていただけるよう、市内に7箇所のステーションを設け、
旅行中ずっと使ってもらえるようシステムを整備。
当時は全国でも珍しいサービスとして注目を受け、
その後全国各地の観光地でも同様の車いすレンタルが行われています。
そのきっかけを作ってくれたのが扇芳閣の専務、谷口徹氏。
当時 鳥羽旅館組合(=鳥羽旅館事業協同組合)の会長、
そして当センターの理事でもあったため、
2002年の当センターの設立当時から様々なアドバイスをいただいていました。
当センターの設立直後、事務局長の野口あゆみが谷口専務に
「観光客から市内を自由に使うことのできるレンタル車いすが求められている」と相談したところ、
鳥羽旅館組合から8台の車いすを寄付していただくことになりました。
初代どこでもチェア
谷口専務からのアドバイスを元に、市内6カ所(当時)にて無料で貸出しを行い、
行き先も時間も自由。
帰りには、宿泊施設や観光施設を含めた市内各所で返却することができるシステムを構築。宿泊施設で返却された車いすは、その施設の送迎バスによって回収されるという仕組みも、旅館組合の協力によって生まれました。
2006年からはベビーカーのレンタルも始め、現在では年間の貸出が、車いす約350件、ベビーカー約80件と、需要も年々高まっています。
扇芳閣の谷口専務には伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの理事として、様々な場面でお力沿いをいただき、地元でバリアフリー観光が浸透していくよう、導いてくださいました。
2003年と2006年には「ユニバーサルルーム建築プロジェクト」として、
当センターや地元の障がい者(専門員)などのアドバイスにより、
扇芳閣に合計3室のユニバーサルルーム(バリアフリールーム)が完成。
脱衣所から浴槽まで続く「おしりすりすりベンチ」は、プロジェクトの中から誕生!
車いす使用者以外にも、視覚障害者、聴覚障害者にも利用しやすい客室を目指すとともに、
この半露天風呂付の客室に、「バリアフリーの客室」以上の付加価値を求めて作り上げたことをきっかけに、
鳥羽市内をはじめ、全国各地に同様の『誰でもが泊まりたいと思える』バリアフリールームが増えていきました。
しかし、谷口専務は今から10年前の2008年夏、出張先の東京で倒れてしまい、
それから今に至るまで闘病中。
現在はご家族の献身的なサポートを受けながら、志摩市の病院で穏やかにお過ごしの谷口専務でありますが、
奥さまの谷口志津加(たにぐち しずか)女将が谷口専務が闘病されてから10年目の節目として、「鳥羽の観光を支えるみなさんへ感謝の気持を!」と、
伊勢志摩バリアフリーツアーセンターへ寄付を申し出てくださいました。
志津加女将談:
「専務が一命をとりとめて今も生きていることは、奇跡ではなく、
今でも専務を慕って、見舞ってくださる方々の支えがあるからだと思っています!
ですから、そんな思いを込めて、専務も関わっていた伊勢志摩バリアフリーツアーセンターを通して、
少しでもみなさんに恩返しができれば!」 とのこと。
そこで、今回は一番出動回数が多い鳥羽市観光案内所にて使っていただくべく、
車いすと専用のクッションを購入させていただき、
昨日寄贈式を行いました。
メディアの取材を受ける女将
車いすは、マイカーやレンタカー、旅館の送迎バスにも積み込みやすいような軽量タイプの介助式。
背もたれが折りたためることにより、トランクにも積み込みやすいサイズになります。
タイヤはノンパンクのタイプで、利用者にもより安心して使っていただけるものを選びました。
そしてクッション「ピタ・シートクッション」は、
格子状のクッションが体圧を分散し、座り心地も良く
これからの寒い季節にも、暖かく車いすにすわっていただくことができます。
贈呈式の様子
・・・贈呈式の後、女将が感極まって涙していたなぁ。
谷口専務は、その手腕と行動力、
そして何より包容力のあるお人柄で、多くの人に慕われています。
私もその一人。
ですので、こうして今も谷口専務に関わっていけるだけでも幸せだなーと思っています。
おまけの写真は、2008年3月22日
センターが国土交通省バリアフリー化推進功労賞を受賞したとき、
内輪でパーティを開いたときの記念写真です。
後列、右から4人目のラガーシャツの男性が谷口徹専務。
「中華料理店なのに紹興酒が売り切れとはなんだ!」と、
谷口専務と中村理事長が店の人に買いに行かせたという・・
あの時みんな、若かった(笑)
伊勢志摩バリアフリーツアーセンターです。
鳥羽市レンタル車いす「どこでもチェア」をご存じですか?
2003年から始まったこのサービス。
車いすをレンタカー感覚で借りていただけるよう、市内に7箇所のステーションを設け、
旅行中ずっと使ってもらえるようシステムを整備。
当時は全国でも珍しいサービスとして注目を受け、
その後全国各地の観光地でも同様の車いすレンタルが行われています。
そのきっかけを作ってくれたのが扇芳閣の専務、谷口徹氏。
当時 鳥羽旅館組合(=鳥羽旅館事業協同組合)の会長、
そして当センターの理事でもあったため、
2002年の当センターの設立当時から様々なアドバイスをいただいていました。
当センターの設立直後、事務局長の野口あゆみが谷口専務に
「観光客から市内を自由に使うことのできるレンタル車いすが求められている」と相談したところ、
鳥羽旅館組合から8台の車いすを寄付していただくことになりました。
初代どこでもチェア
谷口専務からのアドバイスを元に、市内6カ所(当時)にて無料で貸出しを行い、
行き先も時間も自由。
帰りには、宿泊施設や観光施設を含めた市内各所で返却することができるシステムを構築。宿泊施設で返却された車いすは、その施設の送迎バスによって回収されるという仕組みも、旅館組合の協力によって生まれました。
2006年からはベビーカーのレンタルも始め、現在では年間の貸出が、車いす約350件、ベビーカー約80件と、需要も年々高まっています。
扇芳閣の谷口専務には伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの理事として、様々な場面でお力沿いをいただき、地元でバリアフリー観光が浸透していくよう、導いてくださいました。
2003年と2006年には「ユニバーサルルーム建築プロジェクト」として、
当センターや地元の障がい者(専門員)などのアドバイスにより、
扇芳閣に合計3室のユニバーサルルーム(バリアフリールーム)が完成。
脱衣所から浴槽まで続く「おしりすりすりベンチ」は、プロジェクトの中から誕生!
車いす使用者以外にも、視覚障害者、聴覚障害者にも利用しやすい客室を目指すとともに、
この半露天風呂付の客室に、「バリアフリーの客室」以上の付加価値を求めて作り上げたことをきっかけに、
鳥羽市内をはじめ、全国各地に同様の『誰でもが泊まりたいと思える』バリアフリールームが増えていきました。
しかし、谷口専務は今から10年前の2008年夏、出張先の東京で倒れてしまい、
それから今に至るまで闘病中。
現在はご家族の献身的なサポートを受けながら、志摩市の病院で穏やかにお過ごしの谷口専務でありますが、
奥さまの谷口志津加(たにぐち しずか)女将が谷口専務が闘病されてから10年目の節目として、「鳥羽の観光を支えるみなさんへ感謝の気持を!」と、
伊勢志摩バリアフリーツアーセンターへ寄付を申し出てくださいました。
志津加女将談:
「専務が一命をとりとめて今も生きていることは、奇跡ではなく、
今でも専務を慕って、見舞ってくださる方々の支えがあるからだと思っています!
ですから、そんな思いを込めて、専務も関わっていた伊勢志摩バリアフリーツアーセンターを通して、
少しでもみなさんに恩返しができれば!」 とのこと。
そこで、今回は一番出動回数が多い鳥羽市観光案内所にて使っていただくべく、
車いすと専用のクッションを購入させていただき、
昨日寄贈式を行いました。
メディアの取材を受ける女将
車いすは、マイカーやレンタカー、旅館の送迎バスにも積み込みやすいような軽量タイプの介助式。
背もたれが折りたためることにより、トランクにも積み込みやすいサイズになります。
タイヤはノンパンクのタイプで、利用者にもより安心して使っていただけるものを選びました。
そしてクッション「ピタ・シートクッション」は、
格子状のクッションが体圧を分散し、座り心地も良く
これからの寒い季節にも、暖かく車いすにすわっていただくことができます。
贈呈式の様子
・・・贈呈式の後、女将が感極まって涙していたなぁ。
谷口専務は、その手腕と行動力、
そして何より包容力のあるお人柄で、多くの人に慕われています。
私もその一人。
ですので、こうして今も谷口専務に関わっていけるだけでも幸せだなーと思っています。
おまけの写真は、2008年3月22日
センターが国土交通省バリアフリー化推進功労賞を受賞したとき、
内輪でパーティを開いたときの記念写真です。
後列、右から4人目のラガーシャツの男性が谷口徹専務。
「中華料理店なのに紹興酒が売り切れとはなんだ!」と、
谷口専務と中村理事長が店の人に買いに行かせたという・・
あの時みんな、若かった(笑)
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