被災からもう既に1週間。
あの大きな揺れがまるで昨日の事のように目まぐるしく日々だけが過ぎ、気付けば1週間が過ぎていた。
私の住む、宮城県登米市は家屋倒壊も亡くなった人も少なく、それだけが不幸中の幸いでした。
地震の後3、4日間は携帯も繋がらなくて、ライフラインも全滅。
防災ラジオにかじりついて刻々と更新される情報を聞いていた。
小さな集落の地域住民が力をあわせてお米を持ち寄り炊き出しをして、農機具用の軽油やガソリンを持ち寄り発電機を動かしたりして数日過ごした。
みんな冷静に明るく過ごしているが、携帯のテレビで隣町の南三陸町の惨状をみたら涙がハラハラとこぼれた。
被災後初めて泣いた。
それから数日後、安否がわからなかった石巻市に住む彼から無事に避難所にいるとメールが入った。
涙が止まらなかった。
気仙沼のお客様や取引先のお店にはまだ連絡がつかない。
お店に至っては目前に海が見える立地。お店はともかく、人だけでも無事に避難してると願わずにはいられない。
助かった私たちも生きる事に必死なのだ。
近所の井戸水を少しずつわけてもらい飲料水にし、沼の水を汲んで洗濯や体を洗い、かまどを作って米を炊く。
今日は沼の水をろ過するために川まで歩いて砂を採りに行くはずだったのだけれども、大雪に阻まれた。
それでも、屋根のついた家で暖かい布団もあり、炊きたてのご飯を食べる事が出来る。
これ以上の幸せはない。贅沢言ってる場合ではない。
今朝はガソリンを買うために4時からスタンド前に並んでいる。
外は猛吹雪だけれどもエンジンを切って、毛布にくるまってこの記事を更新中。
これ以上ないくらい、リアルサバイバル生活(笑)
これはこれでなかなかに貴重な体験で、ある意味楽しいかもしれない。
と、思ってないとやってられないよね(笑)
あぁ。
晴れないかなぁ。。。
あの大きな揺れがまるで昨日の事のように目まぐるしく日々だけが過ぎ、気付けば1週間が過ぎていた。
私の住む、宮城県登米市は家屋倒壊も亡くなった人も少なく、それだけが不幸中の幸いでした。
地震の後3、4日間は携帯も繋がらなくて、ライフラインも全滅。
防災ラジオにかじりついて刻々と更新される情報を聞いていた。
小さな集落の地域住民が力をあわせてお米を持ち寄り炊き出しをして、農機具用の軽油やガソリンを持ち寄り発電機を動かしたりして数日過ごした。
みんな冷静に明るく過ごしているが、携帯のテレビで隣町の南三陸町の惨状をみたら涙がハラハラとこぼれた。
被災後初めて泣いた。
それから数日後、安否がわからなかった石巻市に住む彼から無事に避難所にいるとメールが入った。
涙が止まらなかった。
気仙沼のお客様や取引先のお店にはまだ連絡がつかない。
お店に至っては目前に海が見える立地。お店はともかく、人だけでも無事に避難してると願わずにはいられない。
助かった私たちも生きる事に必死なのだ。
近所の井戸水を少しずつわけてもらい飲料水にし、沼の水を汲んで洗濯や体を洗い、かまどを作って米を炊く。
今日は沼の水をろ過するために川まで歩いて砂を採りに行くはずだったのだけれども、大雪に阻まれた。
それでも、屋根のついた家で暖かい布団もあり、炊きたてのご飯を食べる事が出来る。
これ以上の幸せはない。贅沢言ってる場合ではない。
今朝はガソリンを買うために4時からスタンド前に並んでいる。
外は猛吹雪だけれどもエンジンを切って、毛布にくるまってこの記事を更新中。
これ以上ないくらい、リアルサバイバル生活(笑)
これはこれでなかなかに貴重な体験で、ある意味楽しいかもしれない。
と、思ってないとやってられないよね(笑)
あぁ。
晴れないかなぁ。。。