村上春樹再読している中で、『ダンス・ダンス・ダンス』が一番私自身の現実とつながっている感じがして、すっぽりと入り込んでしまったように思ったのです。
その原因の一つはこの中に出てくる東京の地域が私が東京に住んでいた時にとても身近だったのかなと思います。
僕は渋谷のアパートに住んでいます。
私も小学校高学年から結婚してしばらくの間は渋谷区の千駄ヶ谷に住んでいました。
僕が住んでるのはもっと渋谷区でも渋谷の街に近い方だと思うけど、多分そんなに遠くないところなのではと。
渋谷駅、原宿、神宮球場、外苑、明治神宮、表参道、青山通り、紀ノ国屋などなど、僕が歩き回る場所を私も若い頃よく歩いていました。
僕みたいに一度に長く歩くことはなかったけど、バスに乗ったりしながらも馴染みのある場所ばかりです。
そして、僕がよく調べ物をする図書館が渋谷区立図書館だとしたら、私がよく行っていた図書館。
紀ノ国屋にはたまにしか行かなかったけど(それも母と一緒の時だけ)、紀ノ国屋で売ってる野菜や果物についての感想がすごくわかる。
そして、千駄ヶ谷の室内プールは千駄ヶ谷駅前の国立体育館がプールとして開放されていた時に私も何回か行ったことがあります。
村上さんは一時期本当に千駄ヶ谷にピータ・キャットというジャズバーを開いていて、実際に住んでいたこともあので、村上さんもリアルに歩いたところなのでしょう。
私も、僕が歩き回ったり図書館などに行ったりするのと一緒に歩いているようにリアルに感じました。
乗っている車がスバルってところもね。
我が家の車も今スバルなので。
最初に読んだときはそんなこと感じなかったけど、やっぱりリアルにスバルの車の感じが伝わるように思ったのでした。
明治神宮の芝生に寝転んでってところがあったけど、明治神宮に芝生あったっけ?なんて思ったり。
明治神宮も今娘が住んでいるマンションからも近いし、明治神宮を通って原宿方面に出たりしていました。
まあ、そんなこんなで、僕の行動範囲の風景がそのまま浮かんでくるので、すごく現実として感じたのだと思います。
また、名前問題もあります。
この『ダンス・ダンス・ダンス』は『羊をめぐる冒険』で僕が北海道まで行って出会った出来事で親友の鼠を失い、一緒に行動していた耳のすごい女の子(キキ)もいなくなり、現実と非現実の区別のつかないような経験をしたところから、現実社会にどうやって戻ってくるかという物語の側面が。
ストーリーの中でも現実生活の中に紛れ込む非現実という面があるにしても、今までの鼠シリーズに比べるとほとんどの登場人物に名前があり、現実の部分を多く描いているので、その点でも自分に近いリアルとして読めたのだと思います。
今まで名前の無いお話が多かったので、名前があるのと無い事の違いって大きいなというのを実感しました。
名前があると現実世界の出来事としてのリアル感がハッとするほど強く出てくるんだなと。
これまでなぜ村上さんが名前をつけないって事をしてきたかの意味に改めて気付かされた気がしました。
だからなのか、こんなにじっくりと2回読み、さらにメモを取りながらストーリーの流れをまとめて、この本の中で書かれた事はなんだったのかしら?と考えた本はなかったように思います。
今日も色々と考えていましたが、なかなかまとまりません。
でも、ストーリーを書いている村上さんもどこかに辿り着くけれど、その辿りつき方はわからないというような事を言っていたので、私が辿り着けないのも当たり前ねと思ったりしています。