9年の月日が経っても忘れない。
今の困難も、できることを前向きに行う。
東日本大震災は公立高校新規採用1年目に起きた。
地震がおさまって、生徒を校庭に避難させたのち、校内の見回りに走った。
怖くなってうずくまっている生徒がいないか、4階まで駆け上り、屋上に行きながら、ふとこの建物が倒壊したら、これからもっと強い揺れが来たら、等と考えた。
我々は子どもたちを守る職務がある。
その職務の遂行のためには、自分の危険を顧みている余裕などない。
そんな責任感を教員になって初めて感じながら、怖さをとにかく紛わしながら校内を捜索した。
やはり、お子様がいらっしゃる先生はいてもたってもいられず、すぐに帰宅されていた。
その先生の気持ちは今親となった自分には理解ができることだが、同時に生徒たちを守る責任もある。
現在のコロナウイルスに直面する医療従事者も同じような葛藤があるだろう。
最後の生徒の帰宅を確認したのが0時過ぎ、独身男性教師4名で集まって書道室の机の上に毛布を敷いて寝た。
震源からはかなり離れた場所であったが、それでも余震を感じながら、築何十年のひび割れだらけの学校に泊まった。
その後、あまりの精神的ストレスと、計画運休に伴う満員電車が原因でパニック発作のようなものを起こす日々が続いた。
現在も新型コロナウイルスのニュースを見過ぎていると息苦しくなる。
胸のあたりが痛い気がしてきて、不安押しつぶされそうになる。
転職、移住をして1年目に訪れた今回の試練。
3・11を忘れずに生き続ける。
そしてこれからも起きる様々な困難に負けず立ち向かう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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