こんばんは、安井ふみです。
50代独男です。
タイトルの『そしてもう一度夢を見るだろう』はユーミンの35枚目のアルバムタイトルです。ちなみに収録曲にそのタイトルの歌はありません。
今回そのタイトル名、拝借しました。
今日の晩、少し遠いスーパーで見かけた憧れの夫婦関係の話をします。
弁当コーナー・総菜コーナーの商品はその時間帯、もうどれも割引のシールが貼られていて、私も一応覗きに行きました。炊いたご飯がまだ余っていて弁当を買うつもりはなかったのですが。
そしたら60代くらいの二人小柄な夫婦の旦那が、何か手にして何やら奥さんと話していましたよ。
奥さんの持つスーパーのカゴにはもう色々入っている中、旦那が大きな長い海老天のみ二尾が並んで入った、それに合わせたかのような長細いちょっと面白い容器の天丼を持ち上げ、
「半分ずつするんならこれにしよう」
と提案し、奥さんはすでにカゴに入っていた『焼肉弁当(焼肉カルビ弁当?』)を取り出し元に戻します。
その時、旦那さんが天丼の長細い容器の横半分のところを手で区切り、『こっち(尻尾のない、身ばかりのほう)が自分ので、そっち(尻尾が占める、身が少ない方)を奥さんの方と』とくだらない冗談を言ってのけていましたよ。
奥さんがすかさず「なんでやねん」って笑っていましたわ。
“ほのぼので楽しそう”
良い関係だなってうらやましく思いましたわ。
それを見ての私独男。
普段は「このまま一人でいいや」なんて思いますが、
パートナーを積極的に探そうともしていないものの、それは『自発的意思』でも『強がり』でも『納得』でもないです。
だからと言って『成り行き』と言うより、『そういう人生の流れ』みたいなユルイ感じです。川に流される葉っぱのような。
でもあの夫婦みたいにくだらない冗談を言える関係のパートナーは欲しいなとは思います。
でもし実際、自分と向き合ってくれる貴重な相手が見つかったとしても、ああ言った冗談に付き合ってくれるような気安い人じゃなかったら、私はどう思うのでしょうか??
『ああなりたいと思うのは、“ないものねだり”だ!』と私は思い込もうとするのでしょうか??
…まだ誰も対象となる人がいないと言うのに、こんなことを考えている私。
まだ誰も好きでもないのに、その相手の性格を心配する私。
でも辿り着きたい関係は決まっている。でもそこに辿り着けるかはわからない…。
『人生は片道切符』などと言うかっこいい言葉がありますが、選べる生き方・流れる時間はほんとにひとつで、今の私は何も始まりも終わりもしていないけれど、
とりあえず、
『そしてもう一度夢見るだろう』
としっかり自分を見据えてつぶやき、今回はブログ記事はおしまいとさせていただきます。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
海老天のみの天丼、美味しそうでしたわ。あれはきっと『夫婦天丼』ですね。