離職の大きな理由は「仕事がきつい」「賃金が安い」「休暇が取れない」といったブラックな労働環境にある。夜勤の繰り返しなど過重労働の結果、十分な看護ができていると感じられず、達成感がないというのも離職理由にあがる。患者によるセクハラ被害も多い。
解決するためには、ワークライフバランスを重視する方向に転換し、働き方の多様化・柔軟化を認める必要がある。それが離職を防ぎ、看護師らの復職につながると指摘されながら、なおざりにしてきたツケがまわってきたといえる。
国会会期中である。離職している看護師や保健師に戻ってほしいのなら、議員立法によってでも、待遇を改善する法律を早急に作り、危険な労働に応じた手当や、安心して働けるような感染対策を十分に講じてほしい。
新型コロナに対する緊急経済対策について安倍首相は「世界的に見ても最大級」と胸を張るが、規模を誇るより、こうした緊急に必要なところにお金をかけるべきではないか。
もう一つ気になるのは、感染症との闘いを戦争にたとえ、「国難」とか「非常時」という言葉が飛び交っていることだ。「こんなときだから国に尽くすべきだ」という声がどんどん大きくなり、離職看護師を追い詰めることにならないか心配だ。
かつて、日中戦争から太平洋戦争敗戦時まで、日赤看護婦(日本赤十字社看護婦養成所を卒業した者)を中心に、5万人以上が従軍看護婦として戦地に赴いた。「忠君愛国」をたたき込まれた女性たちが、「女の兵隊」である従軍看護婦を志願したのだ。
白衣の天使、崇高な女性ともてはやされ、「女ながらもあっぱれ」という賞賛の声が後押しした。だが、軍隊組織のなかでは最下層の傭人(ようにん)として扱われた。激戦地に送り込まれて命を落した看護婦も多いが、戦死者の総数すら、いまも詳らかでない。
戦後補償も遅れた。兵隊には軍人恩給(年金)が支給されたが、「女の兵隊」は対象から外された。ねばり強い要求に応じて慰労給付金の支給が始まったのは、戦後30年以上たってからで、金額も少なかった。労に報いられることもなく、使い捨てられたに等しい。
いま国難だからと、離職看護師たちの義侠心に訴えて、命の危険をともなう“戦場”に再び召集し、ゆめ使い捨てにすることがあってはならない。
(女性史研究者・江刺昭子)
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