1,恋のブーガルー b/w トゥー・マッチ・トーク/ポール・リヴィアーとレイダース (コロンビア) 45's
68年4月発売。同年に本国で発売されたアルバム「Goin' to Memphis」からのシングルカット(日本のみ?)。曲はファンタスティック・ジョニーCのカバーですね。このアルバムはタイトルに偽りなしで実際にメンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオに乗り込んでチップス・モーマンとテリー・メルチャーの共同プロデュースで制作されたアルバムでした。B面の"Too Much Talk"はメンフィス録音ではなく本国ではこの年に初めにスマッシュヒットした曲。これってアタマのメロディーが"ペーパー・バック・ライター"に似ていると思うのは私だけ?
2,L.O.D. b/w 小雨降る日/レーンとリー・キングス (テイチク) 45's
リー・キングスといったらもうこれしかない"ストップ・ザ・ミュージック"。これはそれに次ぐ66年8月発売の第2弾シングル。これは売れなかったでしょうね、打って変わって何のマジックも無い平凡な曲ですもの。L.O.DとはLove On Deliveryの略。
3,自由への讃歌 b/w 私の世界/ザ・ラスカルズ (日本グラモフォン) 45's
時代を感じさせるメッセージを持つ68年11月発売のシングル。ラスカルズの名を知ったたぶんはじめての曲がコレなので思い入れもひとしおの一曲。
4,ファイアー b/w レスト・キュア/アーサー・ブラウン (日本グラモフォン) 45's
"I am the God of Hell Fire and I will Bling You, FIRE!!!"の雄叫びで始まる衝撃の曲。グショグショ顔面メークにアタマが燃えてる写真もその衝撃を倍加させていました。68年11月発売、あの時代を代表するヒット曲でしょう! 実は見てくれだけでなく中身もかなりアヴァンギャルドな人でアルバムはちーとも楽しめなかったというのも今はもう昔のお話。
68年4月発売。同年に本国で発売されたアルバム「Goin' to Memphis」からのシングルカット(日本のみ?)。曲はファンタスティック・ジョニーCのカバーですね。このアルバムはタイトルに偽りなしで実際にメンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオに乗り込んでチップス・モーマンとテリー・メルチャーの共同プロデュースで制作されたアルバムでした。B面の"Too Much Talk"はメンフィス録音ではなく本国ではこの年に初めにスマッシュヒットした曲。これってアタマのメロディーが"ペーパー・バック・ライター"に似ていると思うのは私だけ?
2,L.O.D. b/w 小雨降る日/レーンとリー・キングス (テイチク) 45's
リー・キングスといったらもうこれしかない"ストップ・ザ・ミュージック"。これはそれに次ぐ66年8月発売の第2弾シングル。これは売れなかったでしょうね、打って変わって何のマジックも無い平凡な曲ですもの。L.O.DとはLove On Deliveryの略。
3,自由への讃歌 b/w 私の世界/ザ・ラスカルズ (日本グラモフォン) 45's
時代を感じさせるメッセージを持つ68年11月発売のシングル。ラスカルズの名を知ったたぶんはじめての曲がコレなので思い入れもひとしおの一曲。
4,ファイアー b/w レスト・キュア/アーサー・ブラウン (日本グラモフォン) 45's
"I am the God of Hell Fire and I will Bling You, FIRE!!!"の雄叫びで始まる衝撃の曲。グショグショ顔面メークにアタマが燃えてる写真もその衝撃を倍加させていました。68年11月発売、あの時代を代表するヒット曲でしょう! 実は見てくれだけでなく中身もかなりアヴァンギャルドな人でアルバムはちーとも楽しめなかったというのも今はもう昔のお話。
ラスカルズは私もこの曲で好きになりました。
レーンとリーキングスはCDも買いましたがストップ系はあれだけ(苦笑)
Lee KingsのLODはLSDを連想させるタイトルかとずっと思っていました。しかしB面が"it's Raining"とは何か愛想のないタイトルですね。
Eddie と David Brigati 兄弟のアルバムです。
http://www.discogs.com/Brigati-Lost-In-The-Wilderness/release/1894985
Groovin' と You Send Me のディスコ・バージョンが聴けます。
それぞれ、
http://www.youtube.com/watch?v=SC0E3-O3fB4
http://www.youtube.com/watch?v=sB5YHZqDLKA
これを聴くとなぜかカーティスメイフィールドを思い起こします。R&Bのスタイルを超えて、ラスカルズが本当の意味でSOULミュージックとして認められた瞬間ではなかったかと一人思っています。山下達郎氏も確かLIVEでやっていましたよね。
これモロすぎますよね、完璧です。
リー・キングス、やっぱストップ・ザ・ミュージックは奇蹟の一曲。柳の下も狙わなかった姿勢は潔いとも云えますが、もう少し狙ってもらっても良かったのかなぁとも(笑)
>Graさん
初期のゴリゴリR&B、その後のソウル路線と好みは分かれるところかもしれませんが、確かにその分岐点が「自由への讃歌」であり「自由組曲」だったのでしょう。ただ、当時聴いたこの2枚組のアルバムはとても重くてすぐには馴染めなかったのを思い出します。
Lee KingsのLODはこのシングルのライナー氏もLSDを引き合いに出して意味を探っていました。
>通りすがりさん
まったく忘れていましたがジャケットを見て思い出しました、これ数年前に100円で買って持っています。このブログでも取り上げたような気がしましたが記事は見つかりませんでした、当然中身のことも覚えておりません。ダメですね、お恥ずかしい限り。
>しみへんさん
今回皆さんが「自由への讃歌」に反応していただいて思ったのはひょっとして60年代の我が国でもラスカルズのシングル盤で一番売れた(だけでなく知られた)のはこの曲ではないかと。今でこそラスカルズと云えば「グルーヴィン」でしょうが、それは後追い世代からの再評価がそうさせたのではないかと、ふっとそんなことを思ったりもしました。
達郎氏がカバーしたかどうかまでは知りませんが、愛情をこめてこの曲を語っていたのは聞いたことがあります。ラスカルズのこの曲の次のシングルが「希望の光~A Ray of Hope」で、このタイトルをそのまま自身のアルバムタイトルに使ったのは知られる話ですね。
で その次が「ヘヴン」。私はいづれも友人に託したような気が(笑) この頃には「ビートポップス」も終わっていたんじゃなかったかな。