モズライトを抱えて東京ベンチャーズを率いていることでも知られるエド山口さん。そのエドさんがやっておられるyoutubeチャンネル(氏のエレキ黎明期~GS~ディスコバンド等のバンドマン時代のお話が満載!)を見ていてへぇーそうだったんだと今更ながら知ったことが。
ザ・サベージは「勝ち抜き抜きエレキ合戦」の優勝のみならず、その柳の下の何とかを狙った番組日本TVの「世界へ飛び出せ!ニューエレキサウンド」でも優勝していたのだそう。
「エレキ合戦」でのサベージは殆どのバンドがベンチャーズ風バンドだった中、珍しくもシャドウズの曲を大学生然とした4人が淡々と余裕こいて演奏するというタイプのバンドでその珍しい佇まいがまだ鼻たれ小僧だった私の中でも結構強く印象に残っています。で、その半年後に「世界へ飛び出せ!ニューエレキサウンド」にも出場し見事優勝、そのご褒美がロンドンでのレコーディング、同時にホリプロと契約しプロの道に。
が、その年1966年の夏に日本ビクターのフィリップス・レーベルから発売されたデビューシングルが"いつまでもいつまでも"、あらら、「エレキ・インスト・バンドのサベージ」は何処に.........、が、これが大ヒット、続く同じフォーク路線の"この手のひらに愛を"もヒット。
1,この手のひらに愛を:ザ・サベージ・アルバム No.1 (Philips) 1LP 450円
ということで、"いつまでもいつまでも" "この手のひらに愛を"のヒットを受けて制作され1966年12月15日に発売されたザ・サベージのデビューアルバムです。
二つのコンテストで優勝したシャドウズ・タイプのエレキ・インスト・バンドだったザ・サベージ、が、時はもうビートルズが5月の終わりに来日した1966年、気づけばあの前年までのエレキインストの大ブームも峠を越えた.........、ということでのフォーク路線。これは大正解だったわけですね。
Side A
A1 いつまでも いつまでも
A2 風よ 風よ
A3 想い出の丘
A4 みんな昔
A5 トニー
A6 恋の散歩道
Side B
B1 この手のひらに愛を
B2 涙をふいて
B3 遠い夢
B4 星のささやき
B5 遠くはなれていても
B6 スぺイス・エクスプレス
エレキ・インスト・バンドの名残りは"トニー" "スペイス・エクスプレス"の2曲、特に後者、これは傑作。が、面白いのは作曲もリードギターも先の大ヒット2曲を出した後に加入した元東京ベンチャーズだという渡辺昌宏が手掛けているだそう。この渡辺氏、ジャケットにそのお姿はないのですがジャケ裏のライナーには5人目のメンバーとして紹介されています。
ザ・サベージ The Savage/いつまでも いつまでも Itsumademo Itsumademo (1966年)
この手のひらに愛を
想い出の丘
ザ・サベージThe Savage/スペイス・エクスプレスSpace Expres (1967年)
トニー
ザ・サベージは「勝ち抜き抜きエレキ合戦」の優勝のみならず、その柳の下の何とかを狙った番組日本TVの「世界へ飛び出せ!ニューエレキサウンド」でも優勝していたのだそう。
「エレキ合戦」でのサベージは殆どのバンドがベンチャーズ風バンドだった中、珍しくもシャドウズの曲を大学生然とした4人が淡々と余裕こいて演奏するというタイプのバンドでその珍しい佇まいがまだ鼻たれ小僧だった私の中でも結構強く印象に残っています。で、その半年後に「世界へ飛び出せ!ニューエレキサウンド」にも出場し見事優勝、そのご褒美がロンドンでのレコーディング、同時にホリプロと契約しプロの道に。
が、その年1966年の夏に日本ビクターのフィリップス・レーベルから発売されたデビューシングルが"いつまでもいつまでも"、あらら、「エレキ・インスト・バンドのサベージ」は何処に.........、が、これが大ヒット、続く同じフォーク路線の"この手のひらに愛を"もヒット。
1,この手のひらに愛を:ザ・サベージ・アルバム No.1 (Philips) 1LP 450円
ということで、"いつまでもいつまでも" "この手のひらに愛を"のヒットを受けて制作され1966年12月15日に発売されたザ・サベージのデビューアルバムです。
二つのコンテストで優勝したシャドウズ・タイプのエレキ・インスト・バンドだったザ・サベージ、が、時はもうビートルズが5月の終わりに来日した1966年、気づけばあの前年までのエレキインストの大ブームも峠を越えた.........、ということでのフォーク路線。これは大正解だったわけですね。
Side A
A1 いつまでも いつまでも
A2 風よ 風よ
A3 想い出の丘
A4 みんな昔
A5 トニー
A6 恋の散歩道
Side B
B1 この手のひらに愛を
B2 涙をふいて
B3 遠い夢
B4 星のささやき
B5 遠くはなれていても
B6 スぺイス・エクスプレス
エレキ・インスト・バンドの名残りは"トニー" "スペイス・エクスプレス"の2曲、特に後者、これは傑作。が、面白いのは作曲もリードギターも先の大ヒット2曲を出した後に加入した元東京ベンチャーズだという渡辺昌宏が手掛けているだそう。この渡辺氏、ジャケットにそのお姿はないのですがジャケ裏のライナーには5人目のメンバーとして紹介されています。
ザ・サベージ The Savage/いつまでも いつまでも Itsumademo Itsumademo (1966年)
この手のひらに愛を
想い出の丘
ザ・サベージThe Savage/スペイス・エクスプレスSpace Expres (1967年)
トニー
それがとっても優しいフォークバンド
当時そんな話を聞いて驚きました。
エレキ2曲北欧系ですかね?(笑)
しかしトニーはブルーリバー?
テレ東の「エレキ・トーナメント・ショー」、日本テレビの「世界へ飛び出せニュー・エレキ・サウンズ」、現テレ朝の「エキサイト・ショー」と類似番組が次々とスタートして百花繚乱の1965年。
今思えば、ベンチャーズで火が付いたエレキブームですが、ブームを支えたのはアマチュアバンドだったってことですね。
ロックはGS 一度咀嚼されて日本でブームに
普通はそれで終わりですが私などの天邪鬼は
の本を馬鹿にしては暗いものが本当だと
のめり込んでいきました(笑)
>私などの天邪鬼は
の本を馬鹿にしては暗いものが本当だと
のめり込んでいきました
日本のものを物まねに思えて
舶来が素晴らしいとのめり
の間違いです。
情報ありがとうございます。
また偶然にも今回のアップ時と同日に1997年のGS再集合のTVのビデオを見ておりました。オリジナル・メンバーは二人だけでしたが、寺尾さんがドラムは亡くなったと言っていました。
上記2バンドとかサベージ、どれも育ちの良さを感じさせます。
育ちの良さ.....いや、たしかに。あのころの東京の大学生ってみんなあんな感じだったんですかね。