Jahkingのエサ箱猟盤日記

日々これ猟盤 エサ箱漁りの毎日....。

The Klezmorim 1977

2017年03月31日 | ノンジャンル
1,East Side Wedding/The Klezmorim (Arhoolie) 1LP 864円
東欧にルーツを持つユダヤ人コミュニティのダンスやお祝いの音楽クレツマー、そのリバイバルバンドがカルフォニアはバークレイで結成されたこのThe Krezmorim。本盤は1977年にArhoolieからリリースされたファースト・アルバム。翌78年に出たセカンドアルバムはかつてこちらで取り上げております。

そのセカンドアルバムでは中心人物の二人Lev LibermanとDavid Julian Grayがアルトサックスを吹き、トランペット、トロンボーン、チューバン、ヴァイオリン2本、アコーディオンにパーカッションと大人数の編成で一種独特な目くるめくアンサンブル、ダンサブルなごった煮風ストリート・ミュージックという感じだったのですが、今回入手のファーストアルバムは中心人物の二人はフルートとクラリネットを吹きこれにアコーデイオン、バイオリン、ベースというシンプルな編成でそこはかとなく懐かしく妖しく響くダンスミュージックとなっています。

Arhoolieに残したのはこの2枚で80年代に入ってFlying Fishから数枚のアルバムを出しているようです。


klezmorim


The Klezmorim - Trello Hasaposerviko (Crazy Dance)



The Klezmorim - Kacerac



The Klezmorim - Finf-Un-Tsantsiger (Twenty-Fiver)

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2 コメント

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Unknown (t-izu)
2017-04-01 17:56:44
クレツマーにポルカ、それからフランスのミュゼットなどヨーロッパに端を発する白人庶民音楽が軌を一にして再発見されたのもいわゆるワールド・ミュージック・ブームのもう一つの流れだったんでしょうか?
それはそれとして、ロバート・クラムのSPコレクションからコンパイルしたCDなどを聴くと、米国移民が母国から運んだ音楽にはアイリッシュ系や上記以外にも色々と面白そうなものが有ります。果たして現在まで伝承されているんでしょうか?
我々の同胞である日系人(最初の移民は明治維新後)はどんな音楽を異国の地で楽しんでいたんでしょうか?前日の箏の記事もあってふとそんな事を思い浮かべました。
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Re:Unknown (Jahking@管理人)
2017-04-01 21:04:00
考えたことも無かったですが、確かに日系人が彼の地でどんな音楽を楽しんでいたのか。大いに興味をひかれますね。
レコード/ラジオ等メディアの発達と大いに関係があるのでしょうが、大正時代後期(1920代以降)例えばブラジルの日本人コミューンでは過酷な待遇の中でも民謡だったり流行歌だったが聴かれていたのでしょうか。ケイジャン/ザディコのように彼の地において現地の音楽との融合で新たな生まれる......そんな日本の音楽が生まれていたなんて夢想も。
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