
1,愛する人へ b/w ラブ・ゼネレーション/岡林信康 (URC) 45's
このURC盤は欲しかったもの、安価で遭遇、ラッキーでした。
岡林信康がはっぴいえんどをバックにした2曲、記録によると"愛する人へ"が1970年3月23日、"ラブ・ゼネレーション"が1970年4月21日にアオイ・スタジオで録音されたもの。この2曲が収録されるアルバム「見るまえに跳べ」に一ヶ月先行して70年5月に発売されています。
なんでこんな細かいことを記したかと云うと、この2曲(だけでなく「見るまえに跳べ」収録曲)が録音された3月から4月21日の間、4月10日から13日にはっぴいえんどはあのファースト・アルバム通称「ゆでめん」を同じアオイ・スタジオで録音しているのです。ほとんど話はしなかったという逸話を聞いたことがありますが、はて「ゆでめん」録音中のはっぴいえんどはどんな思いでこの岡林の録音に参加したのか、そんなことを思いながら聴くと一興かな と。
蛇足ながら、この流れで岡林とはっぴいえんどは渋谷公会堂のコンサートを経て伝説となる岐阜県花ノ湖畔で8月に行われた「第2回全日本フォーク・ジャンボリー」に出演、その後この関係は翌1971年3月のスタジオ録音まで続くことになります。

2,ボクらの町をうたおう b/w ボクは風/西岡たかし (Victor) 45's
五つの赤い風船のリーダーのソロ名義による72年3月発売のシングル。
はっぴいえんどは死ぬほど聴きましたが、五つの赤い風船にはまったく興味を覚えなかった管理人です。ただ、このB面(よく知られる曲なのでしょうか?)の"ボクは風"、当時これを好きな友人がいて当時はミミタコ。今回こんなシングルに遭遇し懐かしさのあまり思わず購入、十年振りに聴きましたが、まぁ、懐かしさはあっても....、「僕」を「ぼく」ではなく「ボク」といってしまうところに.....という気も(と 自分で云ってて意味がよくわかりませんが 苦笑)。

このURC盤は欲しかったもの、安価で遭遇、ラッキーでした。
岡林信康がはっぴいえんどをバックにした2曲、記録によると"愛する人へ"が1970年3月23日、"ラブ・ゼネレーション"が1970年4月21日にアオイ・スタジオで録音されたもの。この2曲が収録されるアルバム「見るまえに跳べ」に一ヶ月先行して70年5月に発売されています。
なんでこんな細かいことを記したかと云うと、この2曲(だけでなく「見るまえに跳べ」収録曲)が録音された3月から4月21日の間、4月10日から13日にはっぴいえんどはあのファースト・アルバム通称「ゆでめん」を同じアオイ・スタジオで録音しているのです。ほとんど話はしなかったという逸話を聞いたことがありますが、はて「ゆでめん」録音中のはっぴいえんどはどんな思いでこの岡林の録音に参加したのか、そんなことを思いながら聴くと一興かな と。
蛇足ながら、この流れで岡林とはっぴいえんどは渋谷公会堂のコンサートを経て伝説となる岐阜県花ノ湖畔で8月に行われた「第2回全日本フォーク・ジャンボリー」に出演、その後この関係は翌1971年3月のスタジオ録音まで続くことになります。

2,ボクらの町をうたおう b/w ボクは風/西岡たかし (Victor) 45's
五つの赤い風船のリーダーのソロ名義による72年3月発売のシングル。
はっぴいえんどは死ぬほど聴きましたが、五つの赤い風船にはまったく興味を覚えなかった管理人です。ただ、このB面(よく知られる曲なのでしょうか?)の"ボクは風"、当時これを好きな友人がいて当時はミミタコ。今回こんなシングルに遭遇し懐かしさのあまり思わず購入、十年振りに聴きましたが、まぁ、懐かしさはあっても....、「僕」を「ぼく」ではなく「ボク」といってしまうところに.....という気も(と 自分で云ってて意味がよくわかりませんが 苦笑)。

はっぴいえんどが数曲バックを演っている曲があるというのは、知識として知っていましたが、まさかこの曲とは。イメージ的には本家の木田高介あたりがからんだちょっと退廃的な感じのするバックの方が合うような気もしますが、どんなもんでしょうか。
岡林さんのヴァージョンもあまりに聴きすぎているのでこれはこれでって気がしますが、この曲に限らずはっぴいの面々はただただやりたいように演ってるだけなんだろうなぁとは感じます、寄り添いが無いというか。
本作のディレクターは早川義夫、実際どこまで制作に関わっていたのか興味深いですね。
http://diskunion.net/black/ct/news/article/4/41334
ADC BAND(もう何枚か欲しい)、PAUL KERRY、SEADANあたりは良いです。