
1,The Spotnics in Tokyo (Solid) 1CD 1,280円
ソリッドから紙ジャケ復刻されたCDです。原盤勿論日本グラモフォン、Polydorレーベルで1966年3月に出ていたものですね。(このCDのライナーには1966年8月に発売されたとありますが、手持ちのLPには6603のクレジットがあります)
ジャケット写真とタイトルのお陰で日本録音ものだとずーっと勝手に思っていましたが、来日をするにあたって日本のファン向けに本国スエーデンで録音した楽曲に新曲を合わせ編集し、来日した翌月にリリースされたものでした。
スプートニクスが一躍大人気になった"霧のカレリア"の発売は1965年の11月、そして追い討ちを掛けるヒットとなったこのアルバムにも入っている"空の終列車"の発売が翌66年初め、そして来日が2月と最高のタイミングでの来日でした。正にこの1966年がスプートニクス・イヤーだったのですね。(夏にはビートルズが押し寄せるのですが.......)
因みにこの来日時、1966年2月26日東京サンケイ・ホールで録音されたのが「スプートニクス・イン・ジャパン」(発売は6608のクレジット)です。(本作と一緒にソリッドから復刻されています)
1. 夜明けの歌
2. 涙の太陽
3. 暗い港のブルース
4. 夏の日の想い出
5. 何も云わないで
6. 見上げてごらん夜の星を
7. 古いラブレターのブルース
8. 空の終列車
9. サン・アントニオ・ローズ
10. ラ・ロジータ
11. バイバイ・バーディー
12. ハバネラ
13. トランボーネ
14. イン・ザ・ムード
LPのA面にあたる7曲目までがその日本向けの楽曲、エミー・ジャクソンが歌った"涙の太陽"がお気に入り。
因みにビートルズの1964年ヨーロッパ・ツアー時にリンゴ・スターが扁桃腺炎で入院をした際、リンゴの代役を務めたのが本盤のジャケットの一番右に写るジミー・ニコルです。
LPにあるオレンジのPolydorのロゴ、やっぱこれですよね。復刻出来ずは残念至極。

ザ・スプートニクスThe Spotnicks/空の終列車Le Dernier Train De L'espace
ソリッドから紙ジャケ復刻されたCDです。原盤勿論日本グラモフォン、Polydorレーベルで1966年3月に出ていたものですね。(このCDのライナーには1966年8月に発売されたとありますが、手持ちのLPには6603のクレジットがあります)
ジャケット写真とタイトルのお陰で日本録音ものだとずーっと勝手に思っていましたが、来日をするにあたって日本のファン向けに本国スエーデンで録音した楽曲に新曲を合わせ編集し、来日した翌月にリリースされたものでした。
スプートニクスが一躍大人気になった"霧のカレリア"の発売は1965年の11月、そして追い討ちを掛けるヒットとなったこのアルバムにも入っている"空の終列車"の発売が翌66年初め、そして来日が2月と最高のタイミングでの来日でした。正にこの1966年がスプートニクス・イヤーだったのですね。(夏にはビートルズが押し寄せるのですが.......)
因みにこの来日時、1966年2月26日東京サンケイ・ホールで録音されたのが「スプートニクス・イン・ジャパン」(発売は6608のクレジット)です。(本作と一緒にソリッドから復刻されています)
1. 夜明けの歌
2. 涙の太陽
3. 暗い港のブルース
4. 夏の日の想い出
5. 何も云わないで
6. 見上げてごらん夜の星を
7. 古いラブレターのブルース
8. 空の終列車
9. サン・アントニオ・ローズ
10. ラ・ロジータ
11. バイバイ・バーディー
12. ハバネラ
13. トランボーネ
14. イン・ザ・ムード
LPのA面にあたる7曲目までがその日本向けの楽曲、エミー・ジャクソンが歌った"涙の太陽"がお気に入り。
因みにビートルズの1964年ヨーロッパ・ツアー時にリンゴ・スターが扁桃腺炎で入院をした際、リンゴの代役を務めたのが本盤のジャケットの一番右に写るジミー・ニコルです。
LPにあるオレンジのPolydorのロゴ、やっぱこれですよね。復刻出来ずは残念至極。

ザ・スプートニクスThe Spotnicks/空の終列車Le Dernier Train De L'espace
リンゴの代役 そんなエピソードも
忘れていました。
もう少し良い家がなかったのか(笑)
私にはこの数年後に出た黒いジャケットのベスト盤が初入手盤でした。