ジロがゆく

なんとなく生きてます

擬句_庭いじり

2021-05-14 12:22:40 | 日記

泉下にて 父母さし招く 草むしり
亡き父母の 温き眼差し 草むしり
枝を伐る 父母の手足を 斬る如く
母愛でし 花育たず 蝉しぐれ
亡き父母よ みやげの茶樹を ご覧んぜよ

 

 昨年1月、母が亡くなった1、2か月後、ようやく実家の庭の手入れに取りかかりました。

 父が購入し、母が愛した古家の庭は、南国鹿児島のことゆえ、油断すると京都とは段違いの早さで草木が生い茂ってしまうので、普段の手入れが欠かせません。京都の禅寺で学んだ掃除の仕方や、庭師の仕事ぶりを観察して得たわずかばかりの技術的知識を土台にして、本やWEBサイトで得た知識を頼りに、松の木の手入れまでやるようになりました。手間がかかりますが、両親の遺した庭を手入れすることは、遅まきながらの親孝行にも思えて、作業を苦に思ったことはありません。

 老人ホームにいた母に庭の手入れをしたことを報告すると、母はとても喜んだものでした。ただ、歩けなくなった母に、せめて手入れ後の写真を見せたらよかったという悔いが残りました。

 草むしりをしながら、ふと手入れ後の庭を母が見ることはもうありえないのだと思った時、急に激しい悲しみがこみ上げてきて、手をとめて泣きました。

 かつて、わたしが京都の大学に合格したとき、父はことのほか喜んでくれました。父は高校教師でしたが、高等教育は受けたことがなかったのです。合格通知を受けた翌朝、私は、父の靴を丁寧に磨きあげました。父への感謝の気持ちを込めたつもりでした。出勤するためにその靴を履くときの、父の嬉しそうな顔が今もなお、忘れられません。庭の草むしりをしているとき、背中に父の眼差しが向けられている有り様を想像しました。もし父が健在であったら、息子の私のその様子をさもうれし気に見ただろうと思います。

 母は生前、夕方になると植木ばさみを手にして生垣を刈り込んでいたということでした。近所の幼なじみの友人の奥さんから聞いた話です。また、母が、生垣や庭木に強いせん定を加えることを嫌っていたとも聞きました。そのせいか、これらの木々は伸び放題となっており、生垣の木は、中には幹の太さが20センチもの大きさになり、その旺盛な根張りが根方の石垣をも崩すほどになっていました。母が留守にしていることを幸いとして、わたしは、樹形を乱していた大枝を伐り、太い根を掘り出して切払ったりしました。崩れかけた石垣も積み直すこともしました。結果として、母が手入れしていたころとは様変わりしてしまいました。母の好みに逆らうことでしたが、庭の状況を良好に維持するためには致し方のないことだと思いました。その都度、母には報告していましたが、母の想像力が衰えていたらしいこともあって、特に不平不満を漏らすことはありませんでした。

 京都から、持ってきた植物も植えました。わたしが育てていたエビネ、上御霊神社で購入したイチハツ、茶人だった義母(亡妻の母)遺愛の斑入りのツワブキ、宇治の山中で抜いた山茶の小さい木です。残念ながら、エビネ、イチハツは、鹿児島の気象に合わないのか、花がつきませんでした。いつか母に見せたいと思っていたのですが、それも叶わないことになりました。

 今や五月。上述の友人のメールによるとさほどではないとのことでしたが、実家の庭はきっと荒れに荒れていることでしょう。わたしは、来年3月まで団地自治会の職務に縛られているため帰省は叶いません。帰心矢の如しですが、再び実家の草むしりをしながら亡き父母を偲ぶ日々の到来を楽しみに京都で過ごしたいと思っています。

 

 


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