台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ 83 今のいじめと昔のいじめ

2012-11-30 09:05:01 | 台湾
今日日本を去ります。誰にも、会わずに、元妻と二人で、大人しく生活しました。すいません。教え子のみなさん。
今の社会・学校・地域など人の生活するところには、「いじめ」がある。残念ながら。昔も、あったように思うが・・・。今と根本的に違うように思う。
何が・・・。今のいじめは、メール、携帯、パソコン、手紙など間接的に相手に打撃を与える。もちろん直接的にもあるのだろうが・・・。何か陰湿なものを感じる。
昔は、そんな便利なものは、ないからダイレクト。直接ぶつける。しかも、誰かがもう止した方がいいよと止める人間がいたように思うのだが・・・。
 いじめそのものは、昔も今も同じ。そのひねくれたリーダーがいて、その巧妙にしかも、誰がやったかわからないように・・・。日本だけではないと思うが、日本社会の風土・土壌=異質なものを排除する何かがあるように思う。
 私のいじめ体験は、短かったので、あまり参考にならないと思う。
いじめられた・人格というのは、どこかに人間不信を根底にもってしまうように思う。
俺は、いつも楽観主義者。
 いじめる奴の気持ちは、全くわからない。なんで、そこまで・・・。
たまに、先生で、宿題忘れたことを、一時間怒っている先生が・・・。もちろん、ある一定しかることも必要だが・・・。必要以上に叱っているように思えるときがある。
 これは、端から見ると、教師の生徒いじめにも見えなくもない。校長でもたまに、職員をいじめているのではと思うような人がいた。
 話が飛ぶが、ストーカーという行為もわからない。相手が「嫌だ。」と言ったらそれで終わりなのに、何でいつまでもつきまとうのか・・・。
 つきまとう人間の異常さもわからない。
いじめをする人格に通じるところがあるかな?。問題の本質が違うか?
似てるのは、相手が「嫌」だと言っているのをしつこく追い求めることか?
 とにかく、言いたいことは、言いたいことは、正々堂々と本人に言う社会が一番だと思う。それが直接民主主義の社会。仕返しを恐れるのは、今の社会。
 俺は、いじめのない社会がいいに決まっているが、もし、相手に何か言いたいことがあれば、直接言う社会の方が健全だと思うが・・・。
そんな日本になってほしいもんだ。
                             再見。