台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ123 詐欺師「治郎」の始まりとは?

2013-01-06 01:43:20 | 台湾
 私は、子供の時から、自分で自分を嘘つきだと思っている。それは、少し天才的だったかも・・・。もちろん、私が言っているのは、家族内での話。私は、ものが必要なとき、自分の机から動かずに声色を使って「こんばんは」「お母さん、誰か来たよ。」お袋が出てくると「誰もいないじゃないの?」「悪い、ついでに、鉛筆削り取って、」とお袋を中心に詐欺的に悪知恵を働かせていた。
 後は、親父が稼いでくるアサリの代金をちょろまかしていた。お父さん、「金を数えておいてあげる」と言っては、親父の稼いだわずか売り上げの中から、百円、二百円とごまかしていた。これは、家族内でも犯罪かもしれない。わずか、三千ぐらいの上がりの中から、くすねていた。毎回、悪いと思いながら、その犯罪に手を染めていた。
 当時、アサリが一杯70円位の時代。新聞配達をしなくなって、中学生後半少しの遊ぶお金の出所は、親父の売上金。当時お小遣いというものがあまりなかった。自分のお金は、自分で稼げという我が家の方針に基づき・・。今考えても、恐ろしい。
 もちろん、教師になって、そういう公金は手を出すことしなかった。当たり前だ。
家族内だからという「甘え」
がそうさせたのだと思う。後は、自分の好きな人には、好きといえずに、いつまでも悶々としていた自分。俺は、学生の頃は、自分の気持ちに嘘付いているなと思いながら、、人付き合いしていたように思う。
 61歳になって、今は、あまり嘘付く必要がない。だって、見栄はるところが無い。
できないものは、できない。むしろ、学生時代から世間体とかみんなの目が気になる時期どうも自分は、「嘘つき」だ思いながら、生きてきた。
 太宰治の「人間失格」の主人公のような気持ち。いつもいい人を装いながら、実は・・・。人間の二面性。多面性を多分に備えていた。教師時代は、そんなに息張らなかったから・・・。あまり、見栄も張らずに、自分の裸の姿で生きていたように思う。
 けど、どこかに、幼い頃の「嘘つき」な治郎がいるような気がして為らない。
人間どこまで「自分に正直」に生きられるかいつも試されているような気がする。
 ま、今学生だから、見栄張るところがない。中国語も若葉マークがまだとれきれない現状では、見栄などという事態が無駄。むしろ、見栄張るくらいに、他人におおボラ吹いて、その後から、見えない努力するくらいのが伸びるかもしれない。
 残念ながら、現在は、法螺を吹く相手が居ない。相手が居なければ、詐欺師である必要性はない。ありのままで充分になってしまう。
これからもいろんな人と付き合っていくが、あまり、自分自身に偽ってまで人付き合いはしないと思う。
 自分に誠実にとか正直に生きることが、今は、そんなに難しくないように思う今日この頃の心境。
 なんで、学生時代は、正直に生きられなかったのか、今でも不思議に思っている。
現在と過去との差に驚く。若いと言うことかもしれない。だから、若い連中は、「もうひとりの自分を大きく見せる」このことは、もしかしたら、大切なことかもしれない。
それぐらい、おおボラの方が伸びるのかもしれない。
けど、俺は、どうも、その大ボラは、性に合わない。やっばし、俺は、俺らしく、ドジで間抜けで生きていた方が俺らしいような気がする。
                                                再見。