楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

タイのお葬式(2-2)

2016-09-13 18:38:53 | タイの暮らし

わが家の近所に住む日本人男性が亡くなったのは9月2日・金曜日の午後3時5分でした。看取った現地妻のタイ人女性とそのお姉さんによると、最後はうっすらと笑みを浮かべ、男性の手を握っていた女性の手をしっかりと握り返して息を引きとられたそうです。

そのころ外出していた私と妻は、男性が亡くなった30分後に駆けつけました。私が目にした男性の死顔は安らかでした。私は亡くなっていることを自分で確認してから、すぐに日本の娘さんにLineで一報を入れました。

夕方になって、遺体を冷やして保管するための金属製の大きな冷蔵庫が自宅に運び込まれました。この箱は遺体を冷凍することもできますので、2か月でも3か月でも遺体を綺麗な状態に保つことができるそうです。

 

そうこうするうちに、日本の娘さんから連絡が入りました。弟さんと相談した結果、たとえ保存できるとしても父親の遺体を長く置いておくことは忍びないので、翌土曜日の夜に日本を発ち、日曜日の朝早くチェンマイに着くチケットを手配されました。

人が亡くなると24時間いつでもお坊さんが自宅に来てくれる地域もあります。でもチェンマイのお寺は夕方以降は来てくれないようです。したがって、この日は読経がありませんでした。夜は食事をお供えし、お線香と蝋燭を絶やさないようにしました。

私の妻は翌日の朝バンコクへ飛ぶことになっていましたので、夜の12時過ぎまで通夜とお葬式の準備を手伝いました。手伝ったというより、葬儀のやり方を熟知している妻は、必要なものを全てリストアップして、親族の人と一緒に何回も買い物に行きました。男性の遺影も妻が手配しました。親族の人たちは、「どうしてもバンコクへ行かなければならないの?」とか「用事を早く切り上げて戻ってきてくれないかしら?」と言いました。でも私は予定通り妻を行かせることにしました。

妻は、病院が大嫌いな男性を病院へ連れて行ったり、看病で疲れた相方の女性を励ますだけでなく、男性と女性が意思疎通できるよう、まるで2人の通訳のような役割も果たしてきました。でも、男性が亡くなった今となっては、妻を解放してやりたかったのです。それに、バンコクの病院では生死の境をさまよっている長年の友達が待っています。それだけでなく、妻は自身のがんの治療のためにバンコク近郊にあるクリニックへ定期的に通っていて、3日後が1か月ぶりの診察日だったのです。

タイの葬儀のやり方は、同じ仏教の葬儀であっても地域によって少し違いがあります。日本だと、通夜があってその翌日に告別式を行うことが多いのですが、タイでは通夜が3日とか5日とか続くことが普通です。今回は、亡くなった翌日には遺体をお寺に運び、その日から3日間の通夜が行われました。遺体を自宅に置いたまま5日間の通夜を行う地域もあるそうです。

通夜の雰囲気も地域によって違いがあるようです。どちらかと言うと、しめやかな雰囲気で執り行われる通夜もあれば、大きな音量で音楽を流し、ビールやお酒を飲みながら親族や近所の人たちが一晩中明るく過ごす通夜もあります。妻の実家のあるカムペンペットでは、通夜がお寺で行われる場合でも、みんな食べたり飲んだりして楽しく過ごします。あの世へ行く人が怖がらないように、あえて明るく笑顔を絶やさないようにするのだそうです。

さて、3日間の通夜のあと、男性が亡くなった日を含めて5日目の朝10時から、日本で言うところの告別式が近所のお寺で行われました。

11時ごろには読経も終わました。そして参列者に食事がふるまわれました。

この日の参列者は親族と近所の人たちを中心に70人くらいだったでしょうか。仮に見ず知らずの人が紛れ込んでいてもわかりません。料理の中身は6~7種類のタイ料理で、みんな美味しい美味しいと言って食べていました。確かにそうでした。

実はこの葬式の食事に一番こだわったのは私の妻でした。お金をケチることなく、いいものを出してください。たとえ余りそうに思えても、食事にあたらない人が絶対に出ないよう、十分多めに注文してください。妻はそう言い残してバンコクに発ちました。亡くなった男性は、親戚や知人と外で食事するときは、いつも美味しいものをたくさん注文し、誰かが払うと言っても絶対に拒否して、全部自分で支払う人でした。妻はそれをよく知っていたのです。

食事が終わるといよいよ出棺です。金属製の冷蔵庫の中に、木製の棺桶が入っていました。取り出したとき蓋をあけ、近しい人が遺体の前で一人3本ずつのお線香をあげてから送り出しました。(日本でよくやるように、タイでも参列者全員が順番にお花を棺桶に入れて花いっぱいにすることも多いようです。)

このとき、3日ぶりで男性の死顔を目にした相方の女性が大声で泣きました。その声の大きさと、悲嘆にくれてくしゃくしゃになった顔を見た私も、思わずもらい泣きしそうになりました。

霊柩車はありません。ピックアップトラックに棺桶を載せ、相方の女性とそのお姉さんの数名だけが一緒に乗りました。火葬場まではお寺から1キロほどの道のりです。本来は、この車以外は遺影をもった親族を先頭にして、みんなが徒歩で火葬場まで行くのだそうです。でもこの日はかなり暑かったので、お寺側の葬儀進行担当者が機転を利かせ、この車のあとに10数台の車列ができました。

火葬するこの場所(火葬台)は、サンスクリット語でメルマートと呼ばれます。黄金の火葬台と言う意味です。ここよりも、もっともっと大きなのもあります。チェンマイでは、公共の大きな火葬場もありますが、大体お寺から1キロ前後離れた場所に小さな火葬台が設けられているようです。県によっては、火葬台がお寺の境内に設けられています。

最後のお別れです。相方の女性はやっぱり顔をくしゃくしゃにしました。

日本からやってきた娘さんは、私にこう言いました。

「いろいろありましたけど、父が死んでしまった今は、すべて水に流せる心境になりました。」

私は、この娘さんの言葉がすべてを物語っているような気がします。

タイではお墓に遺骨を埋葬することはめったにありません。男性は、生前に自分のお墓はいらないと言っていたこともあり、女性の親族が相談して来月、バンコクの近くの海に散骨することになりました。そこは相方の女性の実家に近いところです。

男性がタイにやってきたのは10数年前のことです。なぜ日本の家族を捨てて、一人異国に移住したのか、その理由を聞かなかったので私は知りません。でも、ここで金目当てではない20歳以上も年下の一途な女性と知り合いました。彼女は、最後まで男性のそばに居て、必死の看病をしました。(日本の奥さんには申し訳ないですが)そんな女性と最後の10数年を一緒に暮らせた男性は幸せ者ではないしょうか。

そして、男性が不義理をしたであろう自分の子供たちが、わだかまりを捨てて、最後はこんなに父親を思ってくれたのです。来月の散骨には、2人の子供たちもまたタイにやってきます。

男性のご冥福を心よりお祈りします。

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8 コメント

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感じたままに (異土の乞食)
2016-09-14 09:12:05
死者やその関係者を決して誹謗するつもりは毛頭ありません。ただ、このブログを読んで自分が感じたことを偽らずに記させてもらいます。

死んだ日本人男性:
20年間も欲得抜き(?)で尽くしてくれた内縁の妻が、これからの生活に苦労しないように心配り及び物質面での配慮をしてから逝ったのだろうか。
「病院嫌い=金欠+狭量」&「奢り性=傲慢+無計画」と世間の大勢の感じでは、そこが欠如しているように思われてならない。
また、その女性とはどのような状態で、どのような過程を経たのかは不明だが、内縁であろうが女性が一番望むであろう子供を授けることが出なかったのか、しなかったのか。
男性70歳とすれば女性は既に50歳、薹が立つった女性がこれから穏やかに暮らしていける準備があることを願いたい。

日本の留守家族:
失踪届を出されていないので、この男性のことは呆れて、諦め、不在をせいせいしていたと思われる。すくなくとも、出奔からうさぎさんの知らせを受け取るまでは、穏やかな暮らしをされていたと思う。奥さんも(それによってどのような利益があるのか不明だが)離婚届けを出していなかったのは奇異だが、そこには愛が慈しみという感情が欠損していたと言える。
意識的な、無意識か詮索しないが、すくなくとも男性がタイで病んでから逝くまでの長い年月、介護の労力、費用は負荷されなかった。
これからしても前回の娘さん、食料品の送達、今回の娘、息子さんの訪泰はせめてものその罪滅ぼしかと勘ぐってします。
せめて葬儀の費用は日本の遺族が丸抱かえしてやったと思おうとしている自分がある。

内縁のタイ妻:長年の苦労を続けられたのは、やはり男性に甲斐性があったと思われる。それが苦労に見合うものであったこと願っている。

うさぎさん、奥さん、お疲れがでませんように。
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Unknown (聴枩庵主人)
2016-09-14 09:36:59
初めてコメントさせていただきますがいつも拝読させていただいています。

タイの多くの地域ではお墓がないとは聴きますが、チェンマイもそうなんですね。私の妻の田舎のイサーンの街では逆にお墓を建てるのが一般的で、街中でもお墓に使う仏塔を売っているのをよく目にします。
地域によってだいぶ違うのですね。
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寂しいです。 (スモール明)
2016-09-14 12:41:34
とうとう、亡くなってしまいましたね。
寂しいです。でも、自然なことですね。
子どもさんが、日本から駆けつけてくれる間柄?になったのは、うさぎさん夫婦のおかげだと思います。
親子のわだかまり、も無くなって、水に流し、いい親子関係になったと思います。
うさぎさんの奥様の振る舞い料理の指示は、よかったですね。食事も楽しみですし、亡くなった人の思いでもあるでしょうから。
うさぎさんも私もタイで暮らす以上、タイで死を迎えるでしょう。日本への役所関係の書類提出には、日本人のサポートがどうしても必要になります。
私も、イサーン在住の先輩が亡くなったとき、奥さまの遺族年金で、私も含め世話なった人たち3人で、年金の手続きをしました。最後は、その人の人柄で、皆がなんとかしたい、と思うのではないでしょうか?
うさぎさん夫婦のサポートに感謝です。ありがとうございました。
私の住むマハサラカムの小さな集落では、お寺の敷地内の火葬場で火葬します。葬儀の期間は、お金持ちほど長いようです。そして、火葬・点火したという合図で花火を打ち上げます。音だけの花火です。それなりの地位のある人・有名人は、花火の数も多いです。
普通の人は、だいたいは、9発ですね。
我が家から500mほどのところに、私が火葬されるであろうお寺がありますから。
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ほんとうに感動させられました。 (S)
2016-09-14 21:21:27
このブログランキング掲載の諸兄姉のブログは長年、読んできました。うさぎ様の今回のブログがランキングの第一位です。(二位も三位該当作なしです。)
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異土の乞食さんへ (うさぎ)
2016-09-14 22:07:14
コメントありがとうございます。
家族には、家族それぞれの事情があるのだと思います。
ま、男性は亡くなってしまったので、あまり詮索せずにご冥福を祈りたいと思います。
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聴枩庵さんへ (うさぎ)
2016-09-14 22:19:12
コメントありがとうございます。
女性の出身地がバンコクの近くなので、散骨が多いのかもしれませんね。タイでは海だけでなく、大きな川への散骨もよく行われているようです。北部から中部にかけては、ピン川とか。
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スモール明さんへ (うさぎ)
2016-09-14 22:24:15
コメントありがとうございます。
仰るとおりですね。日本人がタイで亡くなったときは、日本人の手助けが大なり小なり必要なことが多いと思いますね。遺族年金のことなどがあれば、なおさらです。

葬式に花火ですか・・・全く知りませんでした。いかにもタイらしいと言えばタイらしいですね。
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Sさんへ (うさぎ)
2016-09-14 22:33:01
コメントありがとうございました。
この記事に限って、なぜか3回も書き直すことになりました。4年以上もブログをやっていて、こんなことは初めてです。

おかげで、どうでもいいことをなるべく削ぎ落とすことには成功したかもしれません。それでやっと、亡くなった男性のOKが出たのでしょうね。
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