3月下旬から、バタッと筆が止まってしまいました。そういうことは、これまでも度々ありましたね。いつも私の(タイ化による?)「怠け癖」を理由にしてきました。でも、書けなくなったのには、実は別の理由もあります。
このブログは、2011年6月に始めました。今月でちょうど5年です。タイの政治経済のことや日本の現状への思いなども、ごくたまには書きましたが、多分90%以上は私の家族のことです。もし私が日本で暮らしていれば、妻の病気のことも含めて、家族の素顔をあからさまに晒すことはなかったでしょう。タイで骨を埋めるつもりだからこそ、タイの家族のことを多くの人に知ってもらいたい思いに駆られたのです。
でも、6年前に手術した妻の乳がんは少しずつ少しずつ進行しています。上の娘はもうじき20歳だというのにまだ定職がありません。一時は、看護師を目指そうかという気になったようですが、その話は私の期待に反して立ち消えになっています。親のスネをかじらずに、いろいろなアルバイトをして自活している点は少し評価していますが。
2番目の娘は1歳半になった幼児の母親として、また妻を支える代理主婦として、一生懸命家事をしてくれています。高校生になった息子はバスケットボール部に入りました。毎日夕方6時過ぎまで汗まみれになって練習に励んでいます。どうやら本気を出しているようなので、先日アディダスのバスケシューズを買ってやりました。今年になって6年ぶりに再開したピアノは、最近先生が褒めてくれるようになりました。親と話すとき、タイ語も日本語も生意気な言葉遣いをする点以外はとくに問題がありません。
さて、ブログがときどき書けなくなる理由を書こうと思って書き始めたのですが、ここで一瞬躊躇です。家族のことというより、私の心の中を少し晒さなければならないからです。
私がタイへの移住を決めた最大の理由は、妻の乳がんのことです。先がどうなるかわからない病気になってしまった以上、治療に最善を尽くすのは当然ですが、6年前にある程度の覚悟はしました。妻と子供たち3人がチェンマイで一緒に暮らせるよう、私は家作りを急ぎました。理由があって、妻は娘2人とは離れ離れに暮らしていた時間が長かったのです。そして私は60歳で早々と仕事をやめて、タイの家族と合流しました。
移住してから4年と2か月。この間、妻と一緒に病院へ行った回数は数えきれないくらいです。今も、右わきの下のケアのために、毎日毎日病院通いをしています。最近は右わきの皮膚の真ん中の表面にも少しがん細胞が出てきています。都合3種類の抗がん剤と、ほぼ同じ部位への2度の放射線治療でも、がん細胞の息の根を止めることができなかったのです。内部はどこまで浸食されているかわかりません。痛みがかなり酷くなってきているようなので、相当に進行しているかもしれません。骨や肺への転移も時間の問題かもしれないと心配です。
そんな状況ですから、考えたくないことも考えてしまいます。妻はあとどれくらい生きられるのだろうか?もし妻がいなくなったら、我が家はどうなってしまうのだろうか?私一人でタイの家族を守っていけるだろうか?そして、もしそうなったら、私がタイへ移住した意味は・・・
もちろん毎日ではありませんが、そんな不安がふと湧きおこることがあります。妻は、右腕の腫れと腋の中の痛みに耐えながら、努めて普通の生活を送ろうとしています。ただ、ときどき私に言うのです。
「死ぬのは怖くないんですけど、寝たきりになって何もできなくなるのは、まっぴらです。苦しむのも嫌です。でも一番怖いのは、私が生きているうちに、あなたが私を捨ててしまうことです。」
最後の言葉は、ちょっと俄かには信じがたい言葉です。でも妻は本当にそのことを気にしているようなのです。自分がもう6年も病気で、容姿も昔とは変わってしまった。きっと自分と一緒にいても楽しくないに違いない。この何年かゴルフに打ち込んでいるのもそのせいではないか。そのうち別の若い女のところへ行ってしまうのではないか。そんなことを本気で心配しているようなのです。そんなつもりは微塵もないのに。
というわけで、たとえ楽しいことや面白いことがあっても、この先への不安が高じてくると、なかなかブログを書こうという気持ちが湧いてこないのです。
でも、ここまで書いてきて思いました。そうだからこそ、家族の今をきちんと書いておくべきではなかろうかと。たとえそれが何の役にも立たないとしても。
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子供さん達もそのことは各自覚悟していて、自立する努力をしていると思います。
気を紛らすためのゴルフ判ります。
奥さんのことは何とも言いようがないですが、いろいろと大変ですね。
私も早くチェンマイへ行きたいと願っていますが、私の場合は1人なので、自由に自分の思いだけでやっていけますが。
家族を持って海外で暮らすことは大変だと思いますが、チェンマイの大先輩として頑張っていただいて、いろいろとそちらのことを教えていただきたいと思っています。
外向きには常に明るく快活にふるまう妻ですが、闘病生活の疲れが蓄積されていますから、私には弱音を吐くことがあるのでしょう。
私自身は、もしゴルフをやっていなければ、妻の病気のことで頭がいっぱいになって疲れ切っているかもしれませんね・・・
家族が煩わしくなると一人になりたいと思ったりすることもありますが、ちょっとそれは贅沢かなと。でも、自由にやっていけるのはいいですね。
またチェンマイでお会いするのを楽しみにしております。
いつもの大兄とは打って変わった筆致だったので、お悩みがひしひしと伝わってきますが、同時に大兄の温かいお気持が表れていて、心が洗われるような思いがいたします。
何か気の利いたことが言えればよいのですが、浅学菲才の身にはとうてい叶うところではありません。そこで、ただ一言だけ:時間を見つけてブログを更新してください。大兄の軽妙な筆致は楽しみにしてきましたので。
しばらく更新が無いのでどうしたのかな?と心配でした。
年を重ねるといろいろ悩みも重なってくるものですね。
良いことも有り、そうでないことも有る人生ですがここ一番長丁場でしょうが頑張ってください。
苦しい事が長く続くと、人間だれでも弱音を吐きたくなります。
今の「ヤルゾー」と言うお気持ち、弱音を吐きたくなった時はその心細いお気持ちを、ブログにぶつけて下さいよ。
多くの読者の方々が叱咤激励を書き込むと思いますよ。
そして 御自分でも読み返しとひと踏ん張り、ふた踏ん張りの馬力の源になるのでないでしょうか。
国際結婚・人生の先輩として、拝見しております。
奥さまは、若いのに、、、、。大変ですね。
もし、自分より先に、、、と思うとつらいです。
人は必ず死にます。年齢は関係ない。死があるからこそ生が大切であり、輝きのある人生が送れます。
私も約4年、マハサラカム県に家族と暮らしています。
いつか、会えるのではないか?と思っています。
応援していますので、元気に生かさせてもらいましょう。
ちょいちょい、覗きには来ていたのですが、更新が無いのは、「ネタが切れたのか?」、「モチベーションの問題か?」、「或は、うさぎさん自身の体調の問題か?」と思っていましたが・・・
いずれにせよ、苦しい時は「あるがままに有ること」が大切だと思います。
可能な限り「自然体でいること」が、結果として、周囲に対しても余裕を持った対応が出来ることにつながるのだ思います。
そして、そのことが、奥様を含めたご家族との「かけがいのない時間」を有意義なものにすることになるのだと思います。
とにかく、無理をしないで、ご自分に素直に、正直に「いま」を過ごしてください。
必ず、道は開けて行きますよ(*^_^*)
元来が筆不精ということもないのですが、私的なことを書くのが億劫になることもあります。時事的な問題に反応したり、評論家のようなことを書くのはある意味簡単だと思います。でも、自分のことや家族のことはそれよりも遥かに重いです。
これからもできるだけ蛮勇をふるって(笑)書いていきますので、ご支援よろしくお願いいたします。
一度お聞きしたかもしれませんが、マハサラカム県にお住まいでしたか。
妻が転移癌だからと言って、私より早く死ぬとは限りませんよね。明日交通事故で私の方が先にあの世へ行くかもしれませんし。実はときどきそう言って、妻が悲観しないように励ましてはいるんです。順当に、私が先の方がありがたいような気もします。でも、状況は不利ですかね。こればっかりは、自分の思うようにはなりません。早く悟りの境地に入りたいと思ったりもします。