みふうずらの縁側

へっぽこライダー
家族構成は犬・猫・人間、のんびり暮しています。

次から次へと…

2022-07-29 09:40:00 | 日記
北海道ツーリングへ出発する準備をしている頃から、次から次へと物が壊れました😰
北海道ツーリングの間も色んな物が壊れ…ツーリング後も…。

一昨日、10年一緒に過ごしたオカメインコのキイロイトリさんが突然天国へ行ってしまいました。

今日の12時に火葬です。
お骨も拾わせて貰う事にしました。

キイロイトリさんは私を支えてくれた大切な家族です。
天国に行った今も、大切な家族です。

本当に突然でした。
鳥さんに最期を見届けて下さった獣医師の先生は「オカメインコは以外と難しい生き物なんです。今までも突然亡くなる事も珍しく無いのです」と慰めて下さいましたが、自分を責めて自分の過失を思い出す事しか出来ません。

母の介護の為に、家族と離れて1人ぼっちで介護をする日々も、母が亡くなって家を守る為に1人で実家に留まる決心をした時も…犬のなっちゃん、猫のレオン、オカメインコのキイロイトリさん、そして私。
みんな心で繋がっていました。

母が亡くなった時の数倍悲しく、涙が止まりません。

次から次へと物が壊れて行って、行き着いた場所は家族が1人(あえて1人と言わせて貰います)欠ける日が来るなんて…

ミフウズラ

2022-07-01 18:15:49 | 日記
ミフウズラとは簡単に言うと鳥です。
漢字では 三斑鶉 と書きます。
ウズラの仲間では無いんです^_^

写真はお借りしました🙇🙏

ミフウズラはチドリ目ミフウズラ科
ウズラはキジ目ウズラ科
全く別物です。
ただ姿は似ています。

羨ましい?事に、ミフウズラは一妻多夫なのです。
正に逆ハーレム😍
何気に憧れてしまいます(^^)
抱卵と育雛はオスが行うそうです🎉
南方に住む鳥で、日本では鹿児島・沖縄に分布しますが、鹿児島では絶滅危惧種、沖縄では準絶滅危惧種となっています。
南西諸島に多く見られる様ですね。

ミフウズラという響きが良いんですよね💕
ひらがなにすると、かわいい💕
お気に入りの野鳥です。

昨年末、リビングの外にある縁台が古くなっていたらしく、わたくしメ縁台ごと倒れて、肋骨6本ビビが入ったり折れたりたり…とんだ目に合いました。

この際だから!と、広い縁台を作ってもらい、サンシェードも付けてもらいました❣️

今は暑すぎて外に出るのも嫌になってしまいますが、広い縁台で飲む朝のコーヒー、お風呂の後のビール🍺の美味しいことと言ったら、それはもう…続く言葉が思い起こせないのでご想像下さい🙏

さて、この7月はバイクで北海道ツーリングに出かけます。
フェリーの予約も終わって、嬉し楽しい準備段階です。

生きているとこんなチャンスにも恵まれるのですね🙏🙏💕💕

天気が気になるところですが、仕事以外で北海道に行ける日が来るとは❣️

信仰心が微量しか無いので、何にお願いしましょう。

自分のこと その後(図らずもその2)

2022-06-04 13:42:00 | 日記
結婚したばかりの頃は毎日が楽しくて仕方無かったです🎉
両親から解放されて、自分的にかっこいい苗字で呼ばれて。
楽園でした。
後々夫が高機能自閉症スベクトラムだと分かり、非常に辛い思いもしましたし、何度も離婚も考えましたが今も夫婦でいます。
ありがたい事に夫の顔色を見て暮らした事も有りません。
何より私を常に自由で居させてくれるのです。今もです。
夫に怒られた事も無いです。
要は人の気持ちも分からないし、家族にも全く興味も無く、家族内での問題も自分の部が悪くなりそうになると、耳を塞いで逃げて行くのです。
おかげで、我が家ではわたくしメが最大の権力者です😄

娘はいつの頃からか、自分の誕生日になると「産んでくれてありがとう」と言ってくれる様になりました。
息子は金喰い虫ですが、バイトして、私の誕生日か母の日には必ずプレゼントをくれます。

子育てには苦労が付き物ですが、2人共自分で「マザコン」だと言って憚りません。
嬉しいような…悲しいような…複雑ではありますが、やはり嬉しいです。

姉達のその後ですが、長女は親の大反対(親戚の人も)を押し切り結婚しましたが、長女の夫は皆の期待通りのヤバい人で、結婚して直ぐに本性を表し、DVで持って長女はフルボッコにされ、長女の夫が産まれたばかりの子供の首を絞めたのをきっかけに、のこのこと実家に帰って来ました。
お前にはプライドって物はないのか?と思いました。
その後、子供を連れて再婚しましたが、相手の人に嫌われて(正しくは本性がバレて)あっという間に離婚されてしまいました。
その後は何度か不倫を繰り返していましたが、今は略奪婚?の末、父に買ってもらった家に住んでいます。
父は母が認知症を発症している事に気づいていたらしく、転勤の多い私の代わりに母の介護をして欲しいと言う願いがあって、長女に実家から徒歩10分の所に中古住宅を購入したのですが、長女は母の介護をするどころか、認知症が進行して行く母を虐め、1日1回1錠の薬さえ飲まさず放置しました。
民生委員さんに注意されて怒った姉は「あんた(私)が跡継ぎなんだから、あんたが介護しろ」と言い続け、余りのしつこさに私は仕事を辞めて実家に帰り、3年余り、とは言いましても、途中から特養に入れたので、実質の介護は2年弱です。
実家は純日本家屋ですので、人が住んでいないと直ぐに家がダメになってしまうので、母が特養に入った後も、母が無くなった今も1人で実家に住んでいます。

次女はと言うと、学生結婚をして惚気まくっていましたが、両親から甘やかされて育ったせいか、非常に気位が高く口が悪い性格で、学生時代は口げんかをすると、相手が泣いていても構わず相手を非難し続ける様な性格だったせいか?次女の夫は浮気をし、次女は泣いて縋った様ですが、離婚されてしまいました。
ですが、次女は非常にタフな人なので、仕事で知り合ったヨーロッパの人とあっという間に再婚しました。
それなりに上手くやっているのですが、次女の新しい夫もDV気質が有り、時々?フルボッコにされているようです。

結局は両親の教育が間違っていたのだと思います。
娘に向かって「尻尾を振って来る犬ほどかわいい」と平気で言う様な人でしたから。

そんなだから、結局のところ、跡継ぎも、苗字も…父の一番大事な物は残らず、私達3姉妹は縁が切れてしまったのです。
こう言っては悪いですが、自業自得だと思っています。

私は現在も自分的にカッコ良いと思っている苗字を名乗っていますし、親戚の方々もそれを認めて下さり、とても良くしていただいております。

今、生きてて良かった‼️と、心から思っています。
これからが私の幸せな人生のです始まりだと思っています。

私のくだらない愚痴にお付き合い下さり、貴重なお時間を割いて下さった方々に、心よりお礼申し上げます。

これで『海に沈む月』というブログ名は終了です。

ミフウズラ

2022-06-01 20:10:00 | 日記
ミフウズラとは簡単に言うと鳥です。
漢字では 三斑鶉 と書きます。
ウズラの仲間では無いんです^_^

写真はお借りしました🙇🙏

ミフウズラはチドリ目ミフウズラ科
ウズラはキジ目ウズラ科
全く別物です。
ただ姿は似ています。

羨ましい?事に、ミフウズラは一妻多夫何です。
正に逆ハーレム😍
何気に憧れてしまいます(^^)
抱卵と育雛はオスが行うそうです🎉
南方に住む鳥で、日本では鹿児島・沖縄に分布しますが、鹿児島では絶滅危惧種、沖縄では準絶滅危惧種となっています。
南西諸島に多く見られる様ですね。

ミフウズラという響きが良いんですよね💕
ひらがなにすると、かわいい💕
お気に入りの野鳥です。

昨年末、リビングの外にある縁台が古くなっていたらしく、わたくしメ縁台ごと倒れて、肋骨6本ビビが入ったり折れたりたり…とんだ目に合いました。

この際だから!と、広い縁台を作ってもらい、サンシェードも付けてもらいました❣️

今は暑すぎて外に出るのも嫌になってしまいますが、広い縁台で飲む朝のコーヒー、お風呂の後のビール🍺の美味しいことと言ったら、それはもう…続く言葉が思い起こせないのでご想像下さい🙏

さて、この7月はバイクで北海道ツーリングに出かけます。
フェリーの予約も終わって、嬉し楽しい準備段階です。

生きているとこんなチャンスにも恵まれるのですね🙏🙏💕💕

天気が気になるところですが、仕事以外で北海道に行ける日が来るとは❣️

信仰心が微量しか無いので、何にお願いしましょう。

自分のこと その6

2022-05-31 08:28:00 | 日記
その5から随分と時間が空いてしまいました。

今回が自分の気持ちを整理する為としても、一番辛い時期だった為、いざ文章にするとなると思う様に文章になりませんでした。

私が2度目の入院をしている間、彼とは全く連絡が取れませんでした。
父が再度、彼のご両親に二度と会わせないと告げたと、後に知りました。
2度目の入院は3週間程でしたが、母は「色に狂った子の顔など見たくも無い」と言い捨て、幸いにも一度も両親の顔を見ずに済みました。

退院後は自宅療養と言う事で、直ぐに仕事に復帰出来ませんでした。
ですので、最期の時まで一緒にいたいと思っていた私は勇気を奮い立たせ、彼の主治医に今現在の彼の病状を尋ねるため、主治医に時間を設けて欲しいとお願いしました。
主治医の先生は心良く時間を取って下さり、包み隠さず彼の現状を教えて下さりました。
ある薬の名前を上げて「○○(強い抗がん剤)も効かなかった。とおっしゃいまそた
そして「もう、あなたが立ち入る事は出来ない」と告げられました。
彼は私が入院した後、直ぐに再発が確認され、本人の強い希望で余命宣告も受け入れていました。
「2人部屋に入院し自分のプライバシーを守りつつ、心静かに過ごしているから、あなたの存在は今の彼には邪魔だ」と主治医から言われてしまいました。
私は「はいそうですか」とは簡単には言えず、この後、最後にもう一度だけ面会の許可をもらい、彼に会いました。

彼は脊椎にも転移が見られ、自由に動きづらい状態になっていました。

彼は以外とスッキリした表情をしていましたが、私は無理をしている様にしか見えませんでした。
「会いに来れなくてごめんなさい」とか、「今度こそ本当に元気になったから、また会いに通っても良い?」とか、言いたい事や伝えたい事はいっぱいありました。
父が彼のご両親に酷い事をしたことも謝りたかったですし、その事は私の意志とは全くかけ離れた事であることも。

でも、何も上手に伝える事が出来ませんでした。
たとえ短い時間であっても、その時間を何に変えても一緒にいたいと言う事。
最期まで彼に付き添い抱きしめていたいこと…
ですが、両親への恐怖と自分の幼さから何一つ上手に伝えることができませんでした。
彼は想像していたのかも知れません。
自分が亡くなったら、私が直ぐに後を追いかけようとする事を。

彼は私に言いました。
「ちゃんと生きて、結婚して、子供を産んで育てて、天寿を全うするまでずっとみふうずらを待ってる。そうしたら次の世でみふうずらに会えるまでずっと待ってる。だから幸せな人生を送って自分の所へ来てくれるのを待ってる。途中で自分の人生を投げだしたら待つのはやめるからね、約束だからね」と言いました。

私はもう返す言葉がなくて…「頑張って生きる。だけど、貴方以上に好きになったり愛する人とはもう出会えない。約束を守る努力はするけど、一生貴方を愛し続けるし一生貴方を忘れる日は来ない。だけど私を待っていて。絶対に待っていて。ちゃんと生きて必ず貴方の元に行くから、絶対に私を見つけて一緒に幸せになるって約束して」と言いました。
「ちゃんと生きたみふうずらを待ってるから大丈夫」
…それが私と彼の最後の会話になってしまいました。
私は彼の命日すら今も知りません。
共通の知り合いはいませんでしたから…。

ごめんなさい、こんな私でごめんなさい…とずっと泣き続けていました。
彼を失ってまで生きる勇気は当時の私にはありませんでした。
ただただ死にたい。彼の側に居たい。
死んだら彼の側にいられる…そんな事しか考える事が出来ませんでした。

そんないつも泣きそうな顔をしている私に父は「いつまでそんな顔をしているんだ。そんな顔をしている奴には誰も近寄ってはこない。頭を切り替えて笑顔でいられる人間になれ」と言いました。

その時は父を恨みましたが、よくよく考えると父の言う事は正しいと思う様になりました。
どんなに泣いても戻らないものは戻らない。
このままぐずぐずしていたら、彼も失った上に仕事まで失ってしまう。
もうこれ以上何も失いたくない!
かなり抵抗はありましたが、何も無かったかの様に笑顔で会社に復帰しました。