秦郁彦氏は『南京事件』の第二章 東京裁判の小見出し【哀声地に満ち......】のP.34の6行目にこういう一文をお書きになって居られる。引用《「哀声地に満ち、屍山を築き、流血膝を没し、さながら生地獄を現出したといわれる四週間」(朝日新聞法廷記者団)を聞かされて気分が悪くなり、退出する傍聴人もいたという。》
この有名な南京事件のフレーズであるが、確かに、南京で悲惨な生き地獄があったかのような文章である。しかしながら、この《哀声地に満ち、屍山を築き、流血膝を没し》は、実際には南京事件についての言葉では無い。
これは実は、蒋介石政府による、東京裁判向けの史料である【南京地方院検察處敵人罪行調査報告】の中の一節である。
引用《南京陥落に瀕せる当時、雨花台地区に在りす我方軍民二、三万は、退却に当り敵軍の掃射を蒙り、哀声地に満ち、屍山を築き、流血脛を没する惨状を呈し、又八罫洲に於ては、争ひて揚子江に渡り逃れんとする我軍民は悉く掃射を受け、死体は江面を蔽ひ、流水も赤くなりたる程なり。》である。
読めば判るが、南京での捕虜や民間人の殺害の様子ではなく、軍民つまり支那軍兵士の敗退中の様子である。この言葉が南京虐殺を表現していないことが判る筈。しかし、秦氏はどうもそうではなく南京虐殺の様子をイメージして記述されているようである。しかもこの【南京地方院検察處敵人罪行調査報告】を伏せてである。公正科学的な基準をご主張される秦氏が何故この重要な情報を省かれたのか全く理解できない。御自身の研究姿勢からかけ離れた、まるで虐殺前提の基準が有るように見え、全く客観性が観じられない。
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