当方の知りたかった松村俊夫氏の論文に掲載されておった部分について北村稔氏の著書『「南京事件」の探究―その実像をもとめて(文春新書) 2001月11月20日発行』に掲載されておりましたのでご紹介。
「南京地方院検察処敵人罪行調査報告書」(1946年作成)という二次史料?に掲載されておりました報告です。
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P142 7行目より
「敵人罪行調査報告」の主張する死者の数量は、二つの部分から構成される。戦後の調査による日本軍の殺戮行為に関する住民証言と、1938年当時の南京で遺体埋葬に従事した慈善団体や個人による遺体処理の証言である。
「敵人罪行調査報告」の述べる調査時の状況には、理解に苦しむ文面が存在する。調査された人々の反応である。南京地方院検察処の調査に対する市民の反応は、「敵側の欺瞞妨害工作激烈にして民心消沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者甚だ少なきのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際に於いても、冬の蝉の如く口を噤みて語らざる者、或いは事実を否認するもの、或いは又自己の体面を憚りて告知せざる者、他所に転居して不在の者、生死不明にして探索の方法なきもの等あり」という状況であった。それ故に、事実の調査は「何れも異常なる困難を経て調査せるもの」であったというのである。
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*P141の後列2行目に国民党政府側が1946年2月に「南京地方院検察処敵人罪行調査報告書」を完成させたとある。原本非公開。東京裁判でも朗読されたとある。洞富雄の『国際軍事裁判賢慶資料編』(141-145、374-380)に収録。また、中共から『南京事件中国関係資料編』にも収録とある(日本語に翻訳)。
因みに、松村俊夫氏の論文『アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった』(http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf)からの引用。
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P29 16行目より
最後に、読者の理解を助けるために、二つの中国側資料(東京裁判の検事側提出証拠)をお目にかけよう。これらは、恐らく日本の研究者以外には知られていないと思う。検察側文書第1706号の一部には次のようにある。日本軍による暴虐の事実を全力を挙げて調査したときの文書である。
「調査の期間中、敵側(日本側)の欺瞞や妨害活動が激しかったために、人々の心は消沈してしまったので、自発的に日本軍による殺人の罪状を申告する者は非常に少なかった。調査員を派遣して人々を訪問しても、あたかも「冬の蝉」のように口を閉ざして語らない者、或いは事実を否認する者、自分の体面上しゃべらない者、転居して不在の者、生死不明で調査の方法の無い者があった。」
この調査が行われたのは、1945年から46年にかけての日本の敗戦後であった。その頃の日本のすべての国家機関はアメリカをはじめとする連合軍の統制下にあった。そのような状況のなかで中国の検察官が、「日本側の欺瞞や妨害活動が激しかったから、日本軍暴虐の証言を殆ど得ることが出来なかった」とあるのは眞に不自然極まる言い訳である。彼等が期待したような日本軍の暴行は無かったので証言を集めることが出来なかったという状況がありのままの事実であろう。
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この部分の出典などネットで探しておったのですが、中々見つからず、ようやく見つかったひと安心。
これだけを読んでも、やはり旧日本帝国軍人の非道な行為がなかったと考えられますな。