熊本市電、段山(だにやま)町 電停 と蔚山(うるさん)町電停の間、熊本城方面の入り口のところに「「西南の役激戦地跡」の碑があります。
砲弾の形なのか、不思議な形をしています。
隣には、その所以を記した碑がありました。
碑文には、次のように刻んでありました。
『西南の役は日本最後の内戦であってそれを最後として日本内部での戦火は消えた。
役は熊本城の攻防を緒戦として明治十年二月に起こった。攻めたのは西郷隆盛が率いる薩摩の旧士族二万三千人であり、守ったのは司令官谷干城が指揮する鎮台兵三千八百十五人であった。
攻防三ヶ月、海路陸路からする増援軍の投入によりて薩軍は熊本城の包囲を釈き退却帰薩、城山で完敗、西南の役は終焉したが、緒戦の場が熊本城であったため熊本城とその周辺、熊本城下はいずこも激戦地となった。熊本市の至るところは戦火の影を帯び戦塵の香を纏ったといえる。
そこに住みそこで生活をする者は何人もそれを忘れてはならない。激戦地跡の碑が市街地の中に建てられている所以である。』
ないんですね、、、
けっこう深い話です、、、
この碑にあるように、熊本市内には沢山の史跡があるんでしょうね。