新渡戸 稲造『武士道』③「義」
様々な方が、新渡戸 稲造『武士道』についてまとめている。
それぞれ、表現は違うけれど意味は一緒だと私は思う。
それを、今の私なりに以下へまとめ記した。
1.武士道は、目に見えない心の掟
・個々の武士が、家庭教育で「武士の子ならこういった生き方をしなさい。」としつけられたものの総体が武士道。
・それゆえ、サムライひとりひとりが自分なりの武士道をもっている。
・武士道とは一言で言えば、武士階級の「高い身分に伴う義務」
・武士が守るべきものとして要求され、あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法である。
・それは、成文法ではない。
・せいぜい、口伝によるか著名な武士や家臣の筆になるいくつかの格言によって成り立っている。
・ときには語られず、書かれることもない作法。
・それだけに実際の行動にあたっては、ますます強力な拘束力を持ち、人びとの心に刻み込まれた掟である。
・これが、「武士道」の重要な性質のひとつ。
・書かれない・語られない、心の中にある掟だからこそ、強く長い拘束力を持ち続けている。
・人間にとって本当に大切なことは、あえて書かれなくとも、言われなくとも、心の中に存在する。
・こうしたメンタリティは、日本人にとってごく自然に理解できることである。
2.武士の戒めで、最も厳格な掟 「義」
『・義は武士の掟 中最も厳格なる教訓である。
・武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。』
『・義の観念は、誤謬であるかも知れない、狭隘であるかもしれない。』
⇓
・卑劣で陰険な行為を憎む心から生まれるのが「義」であり、それは武士の最上位概念にあると説いている。
・また、この「義」の観念は間違っているかも知れないし、おそらく概念としては狭すぎるであろうと。
・あらゆる学問や芸術を究めることよりも、ずっと大切なこと。
・それが「義」なのである。
・現代に照らしてみても、それは決して不自然な価値観とは思われない。
・勉強ができることよりも、正々堂々と生きることを潔しとする考え方は多くの日本人が受け入られるものだろう。
3.或る著名の武士〔林子平〕
・これを定義して決断力となした。
曰く
『・義は、勇の相手にて裁断の心なり。
・道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。
・死するべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり。』
4.また、或る者〔真木和泉〕
曰く
『・節義は、例えていわば人の体にある骨がるごとし。
・骨なければ首も正しく上にあることを得ず。
・手も動くを得ず。
・されば人は才能ありとても、学問ありとても節義なければ世に立つことを得ず。
・節義あれば、不骨不調法にても士たるだけのこと欠かぬなり』
次回は、「義理」について記したい。
様々な方が、新渡戸 稲造『武士道』についてまとめている。
それぞれ、表現は違うけれど意味は一緒だと私は思う。
それを、今の私なりに以下へまとめ記した。
1.武士道は、目に見えない心の掟
・個々の武士が、家庭教育で「武士の子ならこういった生き方をしなさい。」としつけられたものの総体が武士道。
・それゆえ、サムライひとりひとりが自分なりの武士道をもっている。
・武士道とは一言で言えば、武士階級の「高い身分に伴う義務」
・武士が守るべきものとして要求され、あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法である。
・それは、成文法ではない。
・せいぜい、口伝によるか著名な武士や家臣の筆になるいくつかの格言によって成り立っている。
・ときには語られず、書かれることもない作法。
・それだけに実際の行動にあたっては、ますます強力な拘束力を持ち、人びとの心に刻み込まれた掟である。
・これが、「武士道」の重要な性質のひとつ。
・書かれない・語られない、心の中にある掟だからこそ、強く長い拘束力を持ち続けている。
・人間にとって本当に大切なことは、あえて書かれなくとも、言われなくとも、心の中に存在する。
・こうしたメンタリティは、日本人にとってごく自然に理解できることである。
2.武士の戒めで、最も厳格な掟 「義」
『・義は武士の掟 中最も厳格なる教訓である。
・武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。』
『・義の観念は、誤謬であるかも知れない、狭隘であるかもしれない。』
⇓
・卑劣で陰険な行為を憎む心から生まれるのが「義」であり、それは武士の最上位概念にあると説いている。
・また、この「義」の観念は間違っているかも知れないし、おそらく概念としては狭すぎるであろうと。
・あらゆる学問や芸術を究めることよりも、ずっと大切なこと。
・それが「義」なのである。
・現代に照らしてみても、それは決して不自然な価値観とは思われない。
・勉強ができることよりも、正々堂々と生きることを潔しとする考え方は多くの日本人が受け入られるものだろう。
3.或る著名の武士〔林子平〕
・これを定義して決断力となした。
曰く
『・義は、勇の相手にて裁断の心なり。
・道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。
・死するべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり。』
4.また、或る者〔真木和泉〕
曰く
『・節義は、例えていわば人の体にある骨がるごとし。
・骨なければ首も正しく上にあることを得ず。
・手も動くを得ず。
・されば人は才能ありとても、学問ありとても節義なければ世に立つことを得ず。
・節義あれば、不骨不調法にても士たるだけのこと欠かぬなり』
次回は、「義理」について記したい。