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もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※1回目の紹介

2014-10-14 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。1回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

プロローグ
「3・11福島原発」の序曲
それは「もんじゅ」事故から始まった

 ここに、段ボール7箱分にもなる、膨大な資料の山がある。

 それは報告書であったり、「マル秘」の印が押されていたり、手書きのメモであったりー 一部が破れたものもあれば、茶色に変色したものもある。一見してかなり年季が入っていることがわかる。大きさも、B5用紙からA3用紙までまちまちだ。手帳やノート、パンフレットの類も交ざっている。

 だが、これらは決してゴミの山ではない。これまでベールに包まれてきた日本の原子力行政の「闇」が凝縮された、貴重な内部文書の数々なのだ。

 その資料を記し、几帳面に整理してきた男は、もうこの世にいない。1996年1月13日早朝、変死体となって発見されたからだ。男は、なぜ死に追いやられなければならなかったのかー まずは、その話から始めよう。

 男の名は西村茂生(享年49)。動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構<JAEA>)の総務部次長だった。

 動燃は、「核燃料サイクル」の研究開発などの事業を行うために67年に設立された国の特殊法人だ。

 福島第一原発事故を契機に広く注目されるようになった「核燃料サイクル」とは、原発の使用済みウラン燃料から、プルトニウムや燃え残りのウランを取り出して再利用する一連の仕組みをいう。

 「核燃焼サイクル」では燃やしたプルトニウムからさらに多くのプルトニウムを取り出せることから、理論上は無尽蔵といっていいほど某大なエネルギーを生み出せる。このため、50年代前半から資源小国である日本のエネルギー問題を解決する「国策」と位置づけられ、多額の税金を投じて開発が進められてきた。

 動燃はその実現を担う、いわば国の研究機関だ。特殊法人として、その費用の大半を国が負担してきた。優秀な技術者を集めた2千人を上回る職員を擁し、協力会社の人員は3千人以上。国内の研究機関としては最大級の規模を誇る「マンモス国策企業」だった。東京電力、関西電力など商用原発を運転する民間電力会社と並ぶ、「原子力ムラ」のもう一つの大勢力である。


 その動燃の”使命”として位置づけられてきたのが、発電と同時に、原発の燃料となるプルトニウムを生み出す高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)だった。85年10月の建設工事着工から約10年を経た95年8月、ようやく発電開始にこぎ着けたものの、そのわずか4ヶ月後の12月8日、もんじゅはナトリウム漏れ事故を起こす。

 このとき、事故の深刻さに加え、大きな社会問題となったのが動燃の「隠蔽体質」だった。配管から漏れ出したナトリウムが雪のようにうず高く白く積もった生々しいビデオを、事故直後に現場に入った職員が撮影していたにもかかわらず、その存在を隠したのである。「想像を超えた事故隠し」と批判された動燃は世論の集中砲火を浴び、頭を下げ続けた。

 組織の存亡自体を揺るがす騒動の最中、渦中の「ビデオ隠し問題」の内部調査を命じられたのが西村氏だった。

 「ビデオ隠し」の関係者からの聴取を進めていた西村氏は、96年1月12日、科学技術庁(当時)で記者会見に臨み、ビデオ隠しに本社の管理職が関与していたことについて発表した。ところが、その翌13日早朝、宿泊先の都内ホテルの非常階段の下で、変死体となって上司に発見されたのである。

 妻と上司、同僚に宛てた3通の遺書が発見されたことで、警察は飛び降り自殺と断定。上司や仲間を調べなくてはならなかった心労かー マスコミでも、”ナゾの死”は大きく報じられた。

 だが、妻のトシ子さん(67)はこう話す。

「夫の死について動燃に説明を求めても、ほとんど情報を出してくれない。会社にあったはずの遺品も返してくれず、逆にこちらの動向を探るような対応ばかりだった。遺書の内容や遺体の状況にも不審な点が多く、『これはおかしいな』と思い始めたんです」

 不信感を募らせた遺族は、旧動燃を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2012年1月、敗訴が確定。しかし、いまもトシ子さんは夫の死に疑念を持ち続けている。

 その大きな理由の一つが、冒頭の「西村ファイル」の存在だった。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/15(水)22:00の投稿予定です。


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