*** june typhoon tokyo ***

野宮真貴 with 矢舟テツロー・トリオ@BLUENOTE TOKYO

 40年目のエンドロールを彩った、ジャジィでスウィートなレヴュー。

 2021年9月21日に40周年のデビュー記念日を迎えた野宮真貴。以来、40周年アニヴァーサリーとしてさまざまな活動を精力的に展開し、そのアニヴァーサリーイヤーの締めくくりとして行なわれたのが、ブルーノート東京での1日限りのスペシャルライヴ〈JCB Presents 野宮真貴 Live in BLUE NOTE TOKYO〉。JCBプレゼンツということで、ブルーノート東京のサイトのスケジュールには“Private”と示されていたのが、またスペシャルなイヴェントという雰囲気を醸し出していた。
 バックを務めるのが、ジャズ・ピアニストでシンガー・ソングライターの矢舟テツロー率いるジャズ・トリオ。2021年12月にビルボードライブ横浜にて開催されたジャズ・ライヴ〈野宮真貴✕矢舟テツロー ~うた、ピアノ、ベース、ドラムス~〉の好評を受け、再び野宮と矢舟テツロー・トリオがタッグ。このジャズ・ライヴ第2弾をもって、野宮の40周年アニヴァーサリーイヤーのエンディングを迎えることになった。

 野宮真貴というと、言わずと知れた“渋谷系の女王”として1980年代から活躍。特に90年からは小西康陽率いるピチカート・ファイヴの3代目ヴォーカリスト“クイーン・オブ・ピチカート・ファイヴ”として音楽シーンのみならず、ファッションでも大きな影響を与えてきた。ピチカート・ファイヴは84年からで活動してきたが、グループ名こそ耳にしても、当初はその音楽に触れたことはなかった。2代目ヴォーカリストの田島貴男になると耳にする機会もあったと思うが、それでもいわゆるヒットチャートに乗るようなアクションは目にしなかったと思う。やはり、ピチカート・ファイヴといえば、小西=野宮体制となった94年のアルバム『Overdose』以降という印象が強い。

 個人的には“ピチカートマニア!と言えるほど、熱狂的にのめり込んだ訳ではないから、おそらく当日会場に駆け付けた多くのファンとは異なり、胸を張ってピチカートファンとはおこがましくて言うことは出来ない。ただ、東京をテーマにした楽曲というと、地方から夢を持って上京するも都会の流儀に打ちひしがれて夢破れるとか、人に冷たく世知辛さを痛感させられるといった類のものが蔓延るなかで(実際の東京人は地味で情に厚い人間性なのだが)、東京の日常を洒脱に見立て、エレガントに綴った詞世界や音楽性に惹かれたのを、東京出身として嬉しく思えたのを覚えている(それを北海道出身の小西と野宮が創り上げたので、なおさらに)。当時は彼らの音楽に対して軽薄だのなんだのという批評も少なからずあったが、東京の日常の悲喜こもごもを“ハッピーサッド”に描き上げる作風は、非常に憧憬の的でもあった。

 余談になるが、旧ホームページ時代を含め、拙ブログのタイトル「*** june typhoon tokyo ***」にある“アスタリスク”は、“モーニング娘。”の誕生後に末尾に“。”を付けるアーティスト名が出てきたように、小西が設立したレーベル〈*********(readymade)records,tokyo〉のアスタリスクを、tokyoを冠するサイトのネーミングの一部としてインスパイアしたものだったりもする。また、拙ブログの副題に「The night is still young...」とあるが、これは夜行性な自身を江戸っ子風で言い表した「今宵はまだこれからよ!」を英語の慣用句的にした意味のほかに、「東京は夜の七時」の英題(サブタイトル)「〜the night is still young〜」を被せたものだ。ということもあって、ピチカート・サウンドは自身の音楽遍歴の小さくないピースとして、今も身体に染み付いている。


 アルバムなどはいくつかゲットして良く聴いていたりもしたのだが(当時は「ピチカートのアルバムは変形モノが多くて収納に困るな」などと呟きながら、CDラックに収納していた記憶も)、マニアに比べれば、常にピチカートと過ごしてきたとは言い難い。特にライヴにはほとんど足を運べないまま、2001年に解散してしまってからは、疎遠になっていた期間も長くあり、実際に野宮真貴名義でのステージを生で観るのは初めて。小西のDJステージには何回か足を運んだことがあるが、覚えているのは、東放学園の学園祭という位置づけでのフェス・イヴェントで、いきなり照明スタッフに暗転を指示すると「みんな、携帯電話のライトつけて、左右に振って」(当時は折り畳み式携帯電話だったか)や「ほら、星空みたいに綺麗だよ」と言ったかと思いきや、DJブースを飛び出してツイスト・ダンスを踊りまくる光景を見て驚いたくらいか。その後、野宮がm-floの“loves”アーティストの一人となって(m-flo loves 野宮真貴 & CRAZY KEN BAND「Cosmic Night Run」)、m-floのライヴステージでその歌声を体感したが、生で野宮の声を体感したのは、その時以来になるのかもしれない。

 そんなニワカなピチカート・ラヴァーな自分を、ブルーノート東京での野宮のステージへと駆り立てたのは、バックバンドが矢舟テツロー・バンドということも大きかった。矢舟テツローはジャズ・ピアニストの活動と並行して、2015年の『ロマンチスト宣言』までアルバム6枚を発表するなどシンガー・ソングライターとして既に評価を得ており、小西との邂逅から2021年に小西プロデュースのアルバム『うた、ピアノ、ベース、ドラムス。』をリリース。小西の計らいで野宮をゲスト・ヴォーカルに招くことに成功し、「ブルーノートでライヴやればいい」という一言で、この野宮の40周年イヤーの締めくくりのステージに矢舟率いるジャズ・トリオとして参加が叶ったようだ。

 シンガー・ソングライターとしての名前は知っていたが(といっても、目にしたことがある程度)、個人的に深く知るようになったのは、「EST! EST!! EST!!!」「IRONY」を提供した脇田もなりや、“座って聴ける大人のアイドルポップス”をコンセプトにした矢舟のバンド“MILLIMILLIBAR”(ミリミリバール)の2代目ヴォーカリストにミア・ナシメントを起用するといったEspecia出身者を手掛けたり、無名だった加納エミリの発掘、桐原ユリほか女性ヴォーカルのプロデュースを務めるなどの活動から。ジャズのことはまったく明るくなく、かつては先入観の一つとして、独りよがりなアレンジを粋に捉える風情があるような印象も持っていたのだが、矢舟の演奏にはそれがなく、あくまでもポップを忘れずに、楽曲として“跳ね”がある、センスに長けたアレンジメントゆえ、好感を抱くことも多かった。その矢舟率いるトリオをバックにした“クイーン・オブ・ピチカート・ファイヴ”の歌声ということならばと急遽馳せ参じた……というのが、このライヴへ足を向かわせた顛末となる。表参道の街並みにすっかり灯が灯る頃にブルーノート東京へ到着。2部制のラストとなる2ndステージを観賞した。

◇◇◇


 左にピアノの矢舟テツロー、中央にドラムの柿澤龍介、右にウッドベースの鈴木克人を配し、矢舟がおもむろに鍵盤を奏で始めると、鮮やかなピンクのワンピースドレスを纏い、髪に花を飾り付けた野宮真貴が登場。周囲からは思わず「可愛い」という声も聞こえたその艶姿は、昭和期のレトロモダンなエレヴェーターガールか、旅客機のトラップから降りてくる要人のファーストレディかといった佇まい。一際パッとフロアを輝かせるファッシネイトな薫りで包み込んで、ステージの幕が上がった。

 40年の軌跡を凝縮したステージゆえ、おそらく選曲も苦労を重ねただろうが、やはり冒頭の「陽の当たる大通り」をはじめとするピチカート・ファイヴ時代の楽曲を中心に構成。「今夜は木曜日ということで……」と選曲リストに入れたという「優しい木曜日」や、野宮が1990年にピチカート・ファイヴの3代目ヴォーカリストになって最初のライヴで歌ったという「No.5」から、1965年のクライヴ・ドナー監督によるコメディ映画『何かいいことないか子猫チャン』の主題歌でバート・バカラック作曲、トム・ジョーンズが歌った「何かいいことないか子猫チャン」や、サイモン&ガーファンクルが1966年にリリースしたニューヨークのイースト川にかかる(エド・コッチ・)クイーンズボロ橋の別名を冠した「59番街橋の歌」といったカヴァー曲へと展開。「No.5」では当時のライヴ録音にある曲中の「手伝ってくれるメンバーを紹介します」というフレーズを再現してメンバー紹介したり、「ツイッギー・ツイッギー」のダンスの原型となったという振り付けを「みなさんご一緒に」というフレーズで促すところも同様に再現。マニアにとって心をくすぐられる演出で楽しませてくれた。

 バラエティ番組『マツコの知らない世界』のBGMでよく使われている「何かいいことないか子猫チャン」や、「フィーリン・グルーヴィー」の名でも知られる「59番街橋の歌」では、矢舟の軽快で瀟洒なアレンジがエレガント&スウィートなムードを創出。特に「59番街橋の歌」では、野宮が矢舟のピアノに寄り添うデュエット・スタイルで演奏。可憐な野宮の歌声とテンダーな矢舟のそれによる温かいハーモニーは、昼下がりの川沿いのオープンカフェを想起させるような、麗らかなグルーヴを醸し出していた。
 ちなみに、「59番街橋の歌」は野宮と矢舟が出会った曲とのことだが、これは矢舟がアルバム『うた、ピアノ、ベース、ドラムス。』制作時に、プロデューサーの小西康陽が女性ヴォーカルの楽曲を提案し、野宮を推薦。小西が野宮へ「矢舟テツローという才能のあるジャズ・ピアニストがいて、矢舟がどうしても野宮とデュエットしたい」という手紙を送って、実現に至ったという(矢舟によれば、その手紙は“盛った”内容であるとのこと)。


 中盤では、野宮の“お色直し”を兼ねて、矢舟テツロー・トリオによるオリジナル曲「会えない時はいつだって」を演奏。矢舟、鈴木、柿澤はトリオを組んで19年とのことだが、40年という野宮を前にすると「半分もいってないので、まだまだ頑張らねば」と恐縮していた。「会えない時はいつだって」は矢舟のアルバム『うた、ピアノ、ベース、ドラムス。』に収められた一曲で、ジャズ・ヴォーカルな楽曲なのだが、ニューミュージック・ミーツ・ジャズといった風情のほか、詞やアレンジからはブリリアントなアクセントも感じられた。矢舟は元来、ルックス同様に優男なロマンティストな作風が特色だと思うが、そこへ小西流のエレガントが添えられたような煌めきを放っていた。

 鮮やかなピンクのドレスで華やかに沸かせた前半とは異なり、今度は鱗のようなアクセントを施したシックな黒のドレス&ロンググローブ姿で登場し、野宮のニュー・アルバム『New Beautiful』から「Portable Love」を披露して後半がスタート。野宮が結成し、自身同様40周年を迎えたユニット“PORTABLE ROCK”からタイトルをとった……などと話している最中に、矢舟が「足を攣ってしまって……」と公演中にまさかのカミングアウト。「水分が足りないんじゃない?」「靴脱いでグーッとやった方がいいんじゃない」と野宮に言葉を掛けられながら足を伸ばすという、約20年トリオを組む中で鈴木や柿澤も見たことがないという事態に、フロアからは笑いがこぼれる。だが、すぐさま「これからカッコイイ曲をやりますから……足攣ったことは忘れて」と冷静に諭されると、矢舟がリクエストしたという「きみになりたい」へ。野宮いわく「これまた随分とレアな曲をリクエストするなあと思って」というピチカート・ファイヴ初期の楽曲が、シックでほんのり物憂げなジャズ・アレンジでフロアを覆っていく。先程足を攣って笑いをとっていたとは思えないソフィスティケートなムードで満たされると、アウトロをバスドラムで繋いでシームレスに「東京は夜の七時」へ。オリジナルはもちろんだが、ブルーノートが舞台ということもあり、ファッシネイトな野宮のヴィジュアルとスタイリッシュでスウィートなジャズ・アレンジがあいまった矢舟テツロー・トリオ・ヴァージョンの「東京は夜の七時」も、心潤うグッド・ヴァイブスとなった。

 次に披露したのが、野宮のデビュー・アルバム『ピンクの心』に収録され、のちにピチカート・ファイヴとしても歌った「ツイッギー・ツイッギー」。40年間の代表曲を1曲選ぶとしたらと自身に問いかけた時、やはりこの曲だなということでセレクト。20歳くらいのショートカットの痩せた女の子を見て佐藤奈々子が手掛けてくれた、野宮を歌の世界へ導いてくれた楽曲とのことだ。印象的なキュートなダンスをオーディエンスとともに体感していると、間奏中に野宮がピアノの方を指差し、クイックイッと呼び寄せるポーズ。指差された矢舟が「いやいや足攣ってるんで無理です……」みたいな顔を見せるも、次の瞬間にステージ中央の野宮の横へ向かってサイドステップを踏みながらしたり顔でダンスを披露するという、ちょっとした“仕掛け”で場を盛り上げてくれた。
 本編ラストは“ハッピーでラッキーな”楽曲「スウィート・ソウル・レヴュー」。颯爽としたファンキーなグルーヴと“チュルチュ~”という愉し気なスキャットによるジョイフルなムードで、フロアに心地よいクラップの波が重なり合っていた。


 アンコールは2曲。2年前の還暦ライヴの際、自分の生まれた年(1960年)の楽曲を探していたら行き当たったという、オードリー・ヘプバーンが映画『ティファニーで朝食を』で歌った「ムーン・リヴァー」に小西が日本語詞をつけたカヴァーと、幼少からピチカート・ファイヴを聴いて育ったというGLIM SPANKYの松尾レミが提供した「CANDY MOON」を。「ムーン・リヴァー」にある小西がペンを走らせた「夢見る夢子さんだった子供の頃」という詞が、子供の頃から歌手を夢見ていた野宮自身のことだと気づき、人生の3分の2を歌で過ごせていることに感謝しながら、これからも好きな歌を歌い、皆に会えるよう、“夢見る夢子”でいたいという想いを吐露する場面では、より大きな拍手がフロアを包んでいた。
 40年の締めくくりの曲ではあるが、41年目のスタートの曲でもあると言ってから始めた「CANDY MOON」では、序盤で歌詞をトチってしまうハプニング。「もう一回やっていいですか」とやり直したが、どこかこのライヴを終わりにしたくない野宮の想いを汲んだフロアに宿るステージの神のいたずらでは、と思えなくもなかった。

 ダバダバ、ドゥビドゥバ~のスキャットが軽やかに跳ね、それにクラップが折り重なるなか、微笑みがフロアの隅々までに横溢しながらのエンディング。40年の締めくくりのステージといえども気張ることなく、ファッショナブルかつカラフルな彩りと軽やかな佇まいを最後まで崩さずに、五感で楽しませてくれた80分強だった。バックを固めた矢舟テツロー・トリオも、長年の盟友たる抜群の呼吸で、シックで華やかなムードを色づけてくれていた。矢舟は小西を介して野宮に出会い、自らのリクエストやデュエットをブルーノートの舞台で叶えるなど、役得のステージなのではなかったか。ただ、それはひとえに小西に見染められた矢舟の秀抜なセンスが引き寄せたものなのだろう。野宮が元来持つスタイリッシュなアティテュードにアダルトな可憐さを添えたジャズ・サウンドは、40周年アニヴァーサリーのフィナーレを飾るに相応しい、麗らかなエンドロールとなったようだ。


◇◇◇

<SET LIST>
00 INTRODUCTION
01 陽の当たる大通り(Original by PIZZICATO FIVE)
02 優しい木曜日(Original by PIZZICATO FIVE)
03 No.5(Original by PIZZICATO FIVE)
04 何かいいことないか子猫チャン(Original by Tom Jones “What's New,Pussycat?”, composed by Burt Bacharach)
05 59番街橋の歌(Original by Simon & Garfunkel “The 59th Street Bridge Song(Feelin' Groovy)")
06 会えない時はいつだって(Performed by Yafune Tetsuro Trio only)
07 Portable Love
08 きみになりたい(Original by PIZZICATO FIVE)
09 東京は夜の七時(Original by PIZZICATO FIVE)
10 ツイッギー・ツイッギー
11 スウィート・ソウル・レヴュー(Original by PIZZICATO FIVE)
≪ENCORE≫
12 ムーン・リヴァー(Original by Audrey Hepburn from “Breakfast at Tiffany's”)
13 CANDY MOON


<MEMBER>
野宮真貴(vo)

矢舟テツロー・トリオ are:
矢舟テツロー(p,vo)
鈴木克人(b)
柿澤龍介(ds)


◇◇◇

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