岸田劉生
《道路と土手と塀(切通之写生)》
1915年、56.0×53.0cm
東京国立近代美術館
1915年11月5日午前11時頃の、代々木の切通し。
関東ローム層の赤土。山内豊景侯爵邸の白い石塀。電柱の影。
開発の波に飲み込まれていく武蔵野の風景。
当時の痕跡は全く残っていないと承知していたが、劉生の重要文化財の現場を一度見ておきたい。
と、小田急線で新宿から2つ目の参宮橋駅を降りる。
季節は春、時刻は夕方近く、いずれも劉生の作品制作時とは反対のタイミング。
駅から高速道路のある西参道を進んで5〜6分ほど、小さな公園を越えてすぐ、立正寺があるところが「切通しの坂」の坂上である。
立正寺の門そばの「切通しの坂」坂上の標識。
坂上の標識近くから見た「切通しの坂」。
「切通しの坂」をしばらく下ると、すぐに坂下に到着する。
「切通しの坂」坂下の標識。
坂下の標識近くから見る「切通しの坂」。
絵の方向。高速道路やビルが空を塞ぐ。
この先はまた上り坂となって、高速道路が走る山手通りの初台一丁目東の交差点に至る。この坂の方が、勾配があって垣やビルに挟まれていて、より「切通しの坂」っぽい雰囲気である。
劉生の作品が制作された年、明治神宮と諸参道の造営工事が始まり、その後この辺りは住宅地として開発されていく。
この切通しは、「神宮造営工事の過程で、高所を通る西参道と、宅地化する低地を走る細道を結ぶために、台地を掘り起こして生まれた坂」である。
岸田劉生
《代々木附近》
1915年、37.7×45.4cm
豊田市美術館
本作品は、重文作品の1ヶ月ほど前の制作で、同じ場所を描く。
中央に電柱。山内侯爵邸の白い塀。右手の作業員は、第二早蕨幼稚園(現存しない)を工事中。
都会の狭間の住宅街。
坂の道はアスファルトとなり、赤土は伺えない。1970年代までは残っていたという旧山内侯爵邸の石塀も、マンションの駐車場に変わって消えたらしい。マンションと住宅に挟まれた現代の切通しの風景にも、電柱はあって電線が走っている。
人通りが結構あり、また車が多く通るので、撮影時には注意が必要であった。